第7話 天の島
「死ぬの? 誰かが?」
学校帰り、天莉は沙夜の話を聞き驚く。アグニアを倒したら、その元となる人が死ぬなんて、知らなかった。
「言おうかどうしようか、迷ったんだれけれど……」
「じゃあ私達のしていることは……人殺しなの?」
「それは違うってドロンは言ってた。元々死にそうな人が、アグニアになるんだって。だから、心配はないと」
「そうは言ったって……」
たとえ運命でも、自分の行動が引き金となって死んでしまうのは耐えらえないと、天莉は思った。
「どうする? 辞める? 辞めてもいいってドロンは言った」
「沙夜は、どうするか決まってるの?」
「私は続ける」
迷うことなく答えたので、天莉は少し驚く。
「どうして……?」
「誰かがやらないと、この街はアグニアの幻から抜けられない。もちろん、私以外の誰かに任せてもいいけれど、その人が、私より苦しんだら気の毒だよ」
「そうなんだ……」
沙夜は強いと思うと同時に、少し引っかかる。それが何かはよく分からない。
「天莉は? どうするの?」
天莉はどうしようか迷う。ただ、沙夜一人にはさせたくない。それでは自分だけ逃げてしまうみたいだ。
「私も続けるよ。私だって、この街を救いたいし、それに……」
もし、沙夜の言う相手がルリエだったら。なおさらに逃げ出せない。
「救わなきゃ。ネメシスの子を。その子について、ドロンは何か言ってた?」
「一応その子のこと、知ってるみたいだったけど。でもルリエかどうかは分からない。ドロンは私達の関係をよく知らないんだ」
「写真か何か、見せなかったの?」
「ルリエの写真なんか、持ってないよ」
「それもそうだね……」
写真を交換するような子じゃないし、そもそもスマートフォンも持っていない。
それから、天莉はルリエの家に行った。また学校を休んでいる。沙夜は今日も用があるとかでついてこなかった。沙夜はルリエの相手をしたがらない。ルリエの家の玄関口で、インターホンを押すと、今日は母親が出てきた。天莉は母親に訊いてみる。
「最近ルリエさん、外に出ていますか?」
母親はそれを聞き、首を横に振る。
「ううん、全然……まあ、昼間は私も家にいないんだけど。多分ずっと家よ」
「そうですか」
アグニアと戦うのは夕刻が多かった。この間の電波塔もそうだった。あの時、あの少女がいて襲ってきた。そしてルリエは家にいた。とすると、やはりルリエではないのか。
ルリエの部屋に入る。ルリエはベッドで半身を起こしていて、天莉を見ると弱く微笑んだ。
「いつも、ありがとう」
相変わらず小さな声だった。天莉は学校からのプリントなどを渡しながら訊く。
「具合は、いいの?」
ルリエはうなずいた。
「明日は行ける……と思う」
天莉は笑った。
「そう言ってもう、三日ぐらい経ってるよ」
「そうだね……いろいろ、うまくいかなくて」
「無理しなくていいよ」
ルリエはうなずいた。そして、天莉を見つめる。
「天莉さん……」
「なに?」
「どうして私に、優しくしてくれるの? 他の人は、私のことなんて相手にもしないのに」
「それは……私、覚えてるんだ。小学校の頃、あなたはもっと活発で、目が輝いていて、笑顔も多かった。去年からそれがなくなって。私も似たようなものだった。あなたの方が大変だったろうけど。でも、私は取り戻したいんだ。あの頃……」
「じゃあ、今の私ではダメなんだ」
「そんなことはない! そういう意味じゃないよ」
天莉が必死で言うので、ルリエは少し笑った。
「沙夜さんとは、どういう関係なの?」
「えっ……普通に友達だけど」
何か、特別な関係だと思っているのだろうか。
「私とどっちを優先する?」
思わぬ質問に、天莉は戸惑う。
「そんなの……答えられないよ」
それを聞いて、ルリエはまた微笑したが、少し意地の悪そうな顔だった。
「そうだよね……みんなに好かれたいものね」
そんな棘のある言い方をされるとは思わなかった。天莉は言葉が返せない。少しして、ルリエはうつむいた。
「……ごめんなさい。私、意地悪なんだ……人に傷つけられると、痛みが分かるから、優しくなるなんて……嘘だよ……私……」
ルリエは涙をこぼした。
「私、自分が嫌だ……」
天莉は思わずベッドの縁に座り、ルリエの肩を抱いた。
「大丈夫だよ。心配しないで。私は平気だから」
ルリエも天莉にもたれかかる。半分泣きじゃくっていた。
「私……人を憎んだりする……止めることができない……」
天莉はルリエを支えながら、前に同じような会話をしたと思った。あれからずっと誰かを憎んでいるのか。まさか……沙夜? するとあの少女は。やはりルリエ?
「ねえ……誰を憎んでいるの?」
ルリエは首を横に振るだけで、答えてはくれなかった。
天莉もこれ以上、問いつめることはできなかった。
夕暮れの部屋。少女は、目の前の光景に呆然としていた。死にかけの、小さな女の子がいる。やせ細っていて、全身傷だらけで、かろうじて呼吸をしていた。どうしたらいい……少女は自分に問いかける。アグニアどころではない。この子を助けなければ。親に虐待されている。部屋に閉じこめられている。コウモリになって、窓の隙間からかろうじて入ってきたらこんな状態だ。
でも、自分の役目を放棄するのは、今までの自分を否定することだった。人々よ……人々よ、私達の声を聞け。私達の絶望を受け止めろ。私達の存在を思い知れ。そう訴えるべきなら、この子も同じだ。
少女は震えながら、女の子に近づいた。それに気づいたのか、女の子がかすかに言う。
「ママ……? おなか……すいた……」
少女は涙を流した。きっと母親に虐待されている。でも、頼る人が母親しかいない。
「ママは、来ないよ……」
「ママ……ママ……」
小さい手に、石を握らせた。その瞬間、女の子は全身を震わせ、目が開いた。それは血走った、異様にはっきりした目だった。
「ママは、どこ?」
はっきりした声だったが、母親を憎んではいない。いや、母親を憎むということができない。少女は答えた。
「あなたがママだと思っている人は、ママじゃない。優しい本当のママは、いつまでも来ない。本当のママは連れてかれたんだ」
嘘だった。でも少女は、女の子の怒りを、この世界に向けたかった。少女が憎むこの世界へと。
「誰が? ママを連れてったのは、誰?」
「現代社会。つまり、みんなよ。この世界のみんな」
「じゃあ、みんなみんなやっつけてやる」
女の子は起き上がり、握っていた手を開いた。石は真っ赤に燃えていた。少女はうなずいて叫ぶ。
「アグニア、ゲノス!」
石から光が飛び散った。
外が急に暗くなった。不思議に思い、天莉が窓から外を見ると、空に巨大な雲のようなものが浮かんでいた。いや、あれは雲ではない。何か光を通さないものだ。上空のほとんどが覆われている。向こうの方だけが明るい。街には街灯が次々と点った。
『出たぞ! こりゃ大型だ』
ドロンの声がするのと、時を同じくして、雨が降ってきた。しかし、ただの雨ではなかった、地面を見ると、小石が次々と落ちてくる。地面が汚れていく。それだけではなく、物が壊れる音がし始めた。落ちてくる中には握りこぶしぐらいの石もあり、屋根に穴が開いたり、木の枝が折れたり、石に打たれたりする人もいた。
「アグニアだ。行かなきゃ……」
天莉は窓から身を乗り出す。
「テュリスフィリア!」
天莉は赤いコスチュームに変身して、羽ばたいて飛んでいく。雨のように落ちてくる石に当たるが、天莉には幻と分かっているので、全て透過して下に抜けていく。地上は暗く沈み、石で汚れて壊されていく。破壊された家々や車、あるいは人々まで見える気がして、天莉は身震いした。
間もなく青いコスチュームの沙夜と合流した。上空を覆う黒い塊を見渡す。
「ねえ沙夜、あれは何だと思う?」
「分からないけど、あれに向かって窓を出せばいいのかな」
その時、ドロンの声がした。
『あの上側に何かあるかもしれん。どうやらあれは空中の浮島みたいなものだ』
「分かった、行ってみる」
二人はまっすぐに浮島に向かって飛んだ。幻なら浮島を突き抜けることができるはずだ。少しためらったが、二人同時に突入した。突入すると、間もなくその上に出た。そこには異様な光景が広がっていた。確かに浮島のようだったが、そこに地面はなく、広大なフローリングの床だった。そして一面に食べ物や飲み物。コンビニで売っているパンやサンドイッチやおにぎり、ペットボトルのジュース、そして袋に入ったスナック菓子が散乱していた。二人は唖然として見渡す。
「何、これ?」
「食べ物で散らかった部屋が、島になったみたい……」
その時、沙夜が何かに気づいた。
「あそこ、誰かいる!」
「本当だ。子供?」
一面散乱した食べ物や飲み物の中に、小さい人の姿が見えた。二人はそこに空から近づいていった。三歳ぐらいの、小さな女の子だった。夢中になって袋からスナック菓子を食べていた。可愛らしい子だった。
「ねえ、あなた誰? ここで何しているの?」
天莉が声をかける。女の子は声に気づいて、天莉を見上げた。
「本当のママを、待ってるの」
「本当のママ?」
「いるんだって、本当のママが。あなたがママ?」
「……違うけど」
その時、いきなり大人の女性が二人出現した。主婦のようだったが、同じ顔をしていた。女性は天莉と沙夜に殴りかかってきた。
その勢いで天莉は思い切り飛ばされた。沙夜も別の方向に飛ばされた。不意のことで、幻だと身構えることもできなかった。女性はそのまま消えた。
二人は羽ばたいて戻り、再び合流する。女の子は、まだ夢中で食べていた。
「さっきのは、もしかして母親?」
「本当じゃないって言われてる人かも」
「それにしても一生懸命食べてる……」
「おなかすいてたんだ……」
天莉がつぶやくように言う。
「とにかく、窓を出そうよ」
「うん」
その時、不意に下から黒い少女が出現した。以前と同じく、顔はマスクで隠してあり、手には大鎌を持っていた。沙夜は恐怖の表情になると同時に叫んだ。
「ドゥレパーニ!」
沙夜の手に大鎌が出現。黒い少女に向かって身構える。少女は二人の前で滞空していた。天莉が声をかける。
「あなた誰? ルリエなの?」
「私はネメシスの使者だ」
冷たい声だったが、ルリエに似ている。ただ、今のルリエはいつもうつむいていて、こんなはっきりした口調にはならない。
「どうしてこんな幻を生んでいるの?」
そう訊いたのは沙夜だっだ。少し間を空けて、少女が答えた。
「この世界で、弱い人間は、いつでも正しいとされる力に従わされ、傷つき、時に、命まで失う。私達は、この世界を憎む。憎むから破壊する。たとえ幻でも、それが永遠に続けば本当になる」
「憎まないで!」
天莉が叫んだ。
「それは、相手が悪いことだってあるよ。でも、憎んて破壊したって、何もならないよ。傷つく人が増えるだけだよ。憎しみが増える一方だよ」
「うるさい!」
少女も叫び返した。
「憎むのは……憎むのは私達の最後の希望だ!」
そう言うと。二人に向かって襲いかかってきた。沙夜は大鎌を持っているが、天莉はまだ大鎌を出していなかった。
「天莉! 武器を……」
沙夜がそう叫んでも、天莉は迷っている。
「でも……あの子ルリエかも」
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
沙夜は天莉をかばって前に出て、大鎌を構えた。襲ってくる気なら、こちらも本気で戦う。
「ルリエ、やめて!」
天莉が叫んだ。少女の動きが止まる。
「あなたがルリエなら、もうやめて!」
少女はしばらく滞空していたが、不意に上の方に飛び、そのまま下に向かって飛んで、敷き詰められた中に飛び込んでいき、姿が見えなくなった。沙夜はうなずく。
「よし、じゃまがいなくなった。窓を出そう」
天莉の答えがない。
「ねえ天莉……」
「……あの女の子、窓を見せたら死んじゃうの?」
「それは……でも、どうしようもないよ」
「助ける手はないの? ねえドロン! 聞いてる?」
天莉はドロンに呼びかけた。
『残念ながら……そんなものがあれば、とっくに教えているだろう』
ドロンの答えは苦しそうだった。
『しかし死ぬわけではない。いや、ただ死ぬわけではない。可能性の数だけ、自分達は生きている。その中には幸せな人生もあるのだ。窓はそれを理解させてくれる。だから不幸せだった一つがたまたま途絶えるだけなんだ。決して不幸せに死んでいくわけじゃない。天莉、窓を使ってくれ』
「でも……」
天莉は窓の意味が、今一つ理解できない。
『窓は、幸福を増やす一つの手段だ』
「でも、そんな物があったら、世界中のどんな不幸も、救わなくていいことになるよ。救うために誰も何もしなくていいことになるよ……そんなのおかしくない?」
『天莉……世界中の全ての不幸を、まともに救う手段はないんだ。窓なんかを使わずに済めば、それに越したことはない。でも世界には問題が多すぎる。だから……』
沙夜も天莉に呼びかけた。
「天莉、迷うのは分かるよ。でも、この世界がこのままでは、人類も何もかも終わってしまう」
「……分かった。窓を出そう」
天莉が言って、二人は距離を取った。
「テュリスアニックス!」
二人の間に光る窓が出現し、それが開いていく。女の子は窓を向こうを見た。そして歓喜の表情をした。
「ママ! ママ! ママ!」
女の子は立ち上がり、窓に向かって空中を歩いてくる。
「ママ! ごめんなさい! ごめんなさい! いい子にするから。だから、もう、怒らないで。優しいママになって!」
天莉の胸が痛んだ。きっとママに冷たくされていて、ここに散らかっているぐらいのものしか食べさせてもらえなくて。そして死んでいこうとしているんだ。
女の子は窓の向こうを見ると、表情が明るく変わった。
「ママ! ママは、やっぱり優しかったんだ!」
そう言って、窓の向こうに消えていった。窓の向こうに、どこかのパラレルワールドに実在する、本当に優しいママが見える。そして女の子は実在を理解して……幸せに死んでいく。
「それが……窓……」
それでも喜べない。何か間違えている。
浮島が砂のように崩壊していく。それは砂嵐のように、窓に向かって流れていく。窓からどこかへ消える。地上には、空からの光が戻ってくる。
この戦いも終わる。そう思った時、突然、沙夜の目の前に、砂嵐の中から黒い少女が飛び出してきた。少女は大鎌を振り上げ、振り下ろしながら襲いかかってくる。沙夜は驚いて飛び退いたが、そのすれすれを大鎌の刃が通り過ぎた。沙夜は恐怖に襲われ、反射的に自分の大鎌を振り回した。それは少女の体に深く突き刺さった。
砂嵐が消え、窓が消えた。大鎌が刺さったまま、少女が落ちていく。顔のマスクが取れた。やはりルリエだった。
「ルリエ!」
天莉が悲痛な声で叫んで、落ちていくルリエを追いかけた。沙夜は滞空したまま動けない。ドロンの声がした。
『おい、何が起きた?』
これには沙夜が答えた。
「私が……ルリエを刺した」
天莉は必死で落下する沙夜を追いかけ、体を抱くと落下に抵抗して羽ばたいた。地面に激突することなく地上に降りたが、ルリエの意識はほとんどなかった。天莉は、ルリエに刺さった大鎌を引き抜いた。血が吹き出したりはしなかった。天莉はルリエにしがみつく。
「ルリエ! これは幻だよ! 本当は傷ついていないよ!」
ルリエは今にも意識が失われそうな顔で、天莉に話しかける。天莉はルリエの体を抱き、頬を撫でた。
「しっかりして……ルリエ……」
天莉の頬に、涙がいくつも流れる。
「天莉さん……お願い……」
「何? 何? お願いって?」
ルリエはゆっくりと、小さな石を出した。
「これを握って……言うの……アグニア……ゲノス……」
「アグニア、ゲノス?」
天莉は石を受け取った。その時、ドロンの声がした。
『待て天莉! その石を持ってはいけない!』
遅かった。石から天莉の体に、異様なエネルギーが流れ込んできた。全身の血管が、沸騰するような感覚。そして、体の中から、赤黒い何かが渦を巻くように沸き上がってくる。怒りだ。なぜ大好きなルリエがこんな目に遭うのか。ルリエは目を閉じたまま、もう意識はなかった。天莉はルリエの体をそっと地面に置いた。
許さない。
天莉は上空を見て、羽ばたいて飛んでいった。そこに沙夜がいる。恐れているように。自分が来るのを見ている。沙夜との距離が近づき。天莉は怒りを含んだ声を投げかけた。
「ルリエを返して」
沙夜は震えていた。
「襲ってきたのは、ルリエの方だよ。私はどうしようもなかった」
「ルリエは死んじゃったんだ! ルリエを返せ!」
「どうしようもないんだよ!」
『天莉! 落ちつけ! 沙夜を責めるな!』
ドロンの声もしたが、天莉の怒りはひたすら増大していった。目つきが鋭く変わり、髪の毛が逆立っていく。その怒りは石の方にも流れていく。手の中が異様に熱い。天莉は手を差しだし、手のひらを開いた。石が赤く燃えていた。
「天莉、その石……」
『天莉! やめろ!』
天莉は叫んだ。
「アグニア、ゲノス!」
石から強い光とともに、爆発が起こった。
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