涙は隠せない。ー雨 ほか
♪〜雨は冷たいけど ぬれていたいの
思い出も涙も 流すから
カラオケで女友だちが歌う『雨』。
彼女は、森高千里をよく歌っていた。
私はといえば、彼女が初めて『渡良瀬橋』を歌った時に、
森高千里という歌手を知った。
『雨』の歌詞は、とても切ない。
私は、この男女が別れるに至った事情がいったいどんなものなのか、
そこに妙に引っかかりながら聞いてたものだった。
*
♪〜傘もささず 二人黙っているわ
さよなら 私の恋
「私」は「あなた」がまだ好きだけど、
追いすがりたい気持ちを抑えて、黙っている。
「あなた」も何か言いたげに見えるけど、
やはり何も言わずに黙っている。
そんな「あなた」の心は、もはや遠いところにあって、
「私」はなす術なく、ただ雨に打たれて涙を隠している。
——私は漠然と、歌詞では語られてない何らかの事情がなければ、
この二人は別れなくてもよかったんだろうなと、解釈していた。
それにしても、なんでこの彼は何も言わないの?
自分の側にその事情があるから、何も言えないの?
私は歌の中の彼女に同情していた。
***
それから約半年ののち。
当時の恋人と別れたばかりの私は、
友だちが歌う『渡良瀬橋』を聞きながら、
別れた彼の故郷の街へ行った時のことを思い出していた。
失恋の追悼旅行のような一人旅だった。
♪〜渡良瀬川の河原に降りて ずっと流れ見てたわ
北風がとても冷たくて 風邪を引いちゃいました
情けないほどバカな自分の姿が浮かぶ。
私も、彼が好きだと言っていた海の風景から離れがたく、
寒風にいたぶられながら、やっぱりずっと海を見つめていたのだ。
歌とは違って、風邪気味くらいで済んだけど。
そしてやがて、カラオケルームにお約束の『雨』が流れる。
♪〜そっとあなた 私の手を引き寄せ
最後の言葉 探してるの?
いいじゃない、手を引き寄せたんでしょう?
きっとまだ、彼はあなたのことが好きなのよ。
私の彼はね、そんなこともしてくれなかった。
私は浮気されて、ポイされたみたいなもんなの。
歌を聞きながら、だんだん腹が立ってくる。
♪〜思い切り泣いて あなたに抱かれたいけど
何もいらない このままそばにいて
泣いたら抱きしめてくれるかもしれないんでしょう?
素直に泣いて、すがったらいいじゃない。
かっこ悪くったって、「行かないで」って言えばいいのに……。
私はそんなこと言えなかった。
言うチャンスすらなかったの。
——「ちょっと、ごめん」
そう言って、涙がこぼれ落ちる前にカラオケルームを出た。
誰も追いかけてこなかった。
結局、私はそのまま家に帰った。
外は晴れていて、涙を隠してくれるものは何もなかった。
ただただ、急ぎ足で駅へ向かった。
後日、ほかの友だちが「あの時、泣いてたでしょ」と言ってきた。
そうだよね、バレバレだよね。
雨が降っていたとしても、きっと涙はなかなか隠せない。
***
いつしか、カラオケの『雨』が嫌いになっていた。
イントロのあの、重たいキーボードの音が流れてくると、
怒りなのか、悔しさなのか、悲しさなのか、
何なのかわからない感情がフツフツと浮かび上がる。
私は誰に怒ってるんだろう?
別れた彼に?
それとも、先を急ぎ過ぎて、むざむざと彼を失った自分に怒ってるんだろうか??
カラオケビデオに映る女の子をにらみながら、
なりふり構わず素直になればいいのに……と心の中で吐き捨てるのだった。
♪「雨」「渡良瀬橋」森高千里
https://www.uta-net.com/movie/361/
https://www.youtube.com/watch?v=hYUrBTYuhAQ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます