言葉の続き。——Missing
キミはいったい、いくつなの!?
——初めて会った時、軽く混乱したんだ。
明らかに年下に見えるのに、しゃべり出すと「私は〜〜なんです」なんて、
堅苦しいくらいていねいに、しっかりとした言葉遣いでビックリした。
それでいて、弾むように元気がよくて、人なつこい、無邪気にさえ見える笑顔が、とにかくかわいかった。
白い歯と、長くて濃いまつ毛。
笑うと、そのまつ毛がギュッと寄せ集まる。
その様を見ると、私の心もギュッとなるのだ。
***
彼と私は、その後とてもいい仕事仲間になっていった。
とある文化施設の機関誌を作るという仕事で、ライターの私がカメラマンの彼と組む。
私が感心していたのは、彼のプロ意識だった。
言葉遣いだけでなく、態度、仕事ぶり、そして、人柄。どれをとっても、年上のこちらが自らを反省したくなるくらい、申し分なかった。
仕事がらか日に焼けて、健康そのもの。しっかりした雰囲気でいながら、人との間に壁を作らない物腰は好感度抜群で、彼がいるだけで取材先の空気も和んだものだった。
*
仕事では車での移動がほとんどで、運転免許を持たない私を彼はいつも迎えに来て、取材先へ行き、最後は送り届けてくれた。
長い時は1時間半にもなる車中、私たちはいろんな話をした。
そのかたわら、カーラジオからはリスナーからリクエストされた色んな曲が流れていた。それらを、おしゃべりの合間に聞くともなく聞く。
ほどなく、お互いにあるアーティストが好きという、共通点が見つかった。
後日、彼は私の持ってないアルバムを全部ダビングして持ってきてくれた。
「音はあまりよくないかもしれないです。私も友だちからダビングさせてもらったので」
恐縮しながら受け取る私に、彼は付け加えた。
「でも、絶対聴いてほしかったから」
また、あの屈託のない笑顔。
差し出したくしゃくしゃの紙袋が、いかにも彼らしい。
そこに入っていたディスクには、曲名なんか一切メモられてないところも。
***
♪〜言葉にできるなら 少しはましさ
互いの胸の中は 手に取れるほどなのに
ある日、取材先に到着する直前、カーラジオから『Missing』が流れて来た。
車が駐車場に止まる。
「この曲、切ないよね」
そう言いながら車から降りようとした私に、「待って」と彼は言った。
「この曲、大好きなんで、終わるまで降りないで聴いてましょう」
いつもストレートで明るい彼の、珍しく静かな口調に、
「あ、うん。そうしようか」と、私は体を戻した。
なぜか少し、ドキドキした。
二人とも、何も喋らなかった。
静かな車内で哀感を帯びた歌声が盛り上がる。
♪〜I love you 叶わないものならば いっそ忘れたいのに
忘れられない すべてが
I miss you 許されることならば 抱きしめていたいのさ
光の午後も星の夜も baby
叶わない恋。
って、道ならぬ恋?
無言の彼は、いったい何を思って聴いているんだろう。
もしかして、そんな相手が?
そう思った途端、胸が苦しくなった。
私は、いつの間にか年下の彼に恋をしている。
——その時、はっきりとわかった。
曲が終わると、何も言わずに、それぞれ車を降りた。
何もなかったように取材をして、何もなかったように送ってもらった。
***
本当に、3年間何もなかった。
でも、取材の合い間に食事をしたり、相変わらず車中で楽しく会話したり、そんな時間が、仕事や人間関係がキツい時も私を支えてくれた。
私たちが組んでから3年が過ぎようとするころ、新入社員が私の下につくことになり、彼との仕事もいっしょにするようになった。
取材はすぐには任せられなかったけど、将来的には完全に彼女に引き継ぐ。
それは、私にとっては少し残念なことでもあった。
ほかの仕事で、また彼と組めたらいいのに。
*
でも、その気持ちは、ほどなく断ち切られた。
まだ浅い春のころ、いつものように二人で取材先に向かっていた車中で、「お話があります」と突然切り出された。
——仕事をやめる。
家業を継ぐというのが、理由だった。
でも、夢はあきらめない。いつか、この仕事で名を成したいんで、と明るく付け加える。
○○くんの名前が轟く日を楽しみにしてるね。と、私は答えた。
話の最後に、仕事をやめることを、誰よりも先に私に話したかったと彼は言った。
それはうれしかったけど、心の大部分は悲しかった。
*
その日、取材の合い間に空き時間があった。
施設内のレストランでお茶を飲んで、時間をつぶす。
♪〜染まりゆく空に包まれて
永遠に語らう夢を見た
こうやって、いくつ仕事をしてきただろう。
空き時間や待ち時間を、むしろうれしく感じる仕事なんて、そうそうない。
でも、楽しい時間は、永遠には続かないのだ。
会話が途切れた時、ふいに意を決したように「あの、私……」と彼が言った。
顔を上げて彼を見ると、言いにくそうな間があった。
ちょうどその時、取材先の担当者が再開を告げに来た。
レストランの大きな窓は、すでに夕焼けに染まっている。
その日、結局、彼の言葉の続きを聞くことはなかった。
***
後日、別の取材で送り届けてもらう車中、私は「私ももうすぐこの取材の仕事から抜けるんだ」と言った。
「二人とも卒業だね」
仕事が終われば、サヨナラの関係だ。
その時、彼が晴れやかに言った。
「私、この仕事が一番好きでした」
フロントガラスの上を通り過ぎる青い信号を、私は見ていた。
この仕事が一番好き。
——それで、私には十分だった。
*
そのあと、もう一度くらい取材の仕事があったかもしれない。でも、私の中の彼との記憶は、「この仕事が一番好き」の日で終わっている。
ある年、彼から年賀状が来た。
写真だけで何も書かれてなかったけど、夢をあきらめていないことがわかる年賀状だった。
***
何年もしてから、私は彼の名前を検索してみた。
すると、ほかの人のブログに、カメラマンとして写真付きで紹介されているのが見つかった。
弾けるような屈託のない笑顔、ギュッと寄り集まった濃いまつ毛。
若さこそ失われているけれど、間違いない。
そして、軽く曲げた腕からカメラを持つ指までの筋肉のラインが昔と同じであることを、まだ認識できる自分に驚いた。
♪〜黄昏に 精一杯の息を吸って
目を閉じるだけ
I love you 僕だけのキミならば この道を駆け出して
逢いに行きたい 今すぐに
レストランで、彼は何を言おうとしたのだろう。
今でも『Missing』を聴くと、彼と、彼の語られなかった言葉の続きを思う。
あの時ダビングしてもらったものを、私はまだ持っている。
曲名なんか一切書いてないディスクたち。
あの言葉の続きを聞いていたなら、これも違った思い出になっていたのかな。
結局、聞かなくてよかったのかもしれないね。
二人で『Missing』を聴いた時に、はじめて自覚してすぐに封印した私の気持ちも、一度も封を解くことはなかった。
きっと、それでよかったんだ。
彼が私を忘れても、私の中の彼の思い出はずっと消えないだろう。
あの時、語られなかった言葉とともに。
♪「Missing」久保田利伸
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