朝帰り。—— 彼と彼女のソネット
♪〜今の私たちを もしも なにかにたとえたなら
朝の霧のなかで 道をなくした 旅人のよう……
この歌はもともと、フランス語の歌。
それを大貫妙子さんはまったく別の日本語詞をつけて歌った。
その歌詞が私に、あの日の朝を思い出させる。
*
足取りを変えず、私は意識的に淡々と歩いていた。
夜が明けて、でも、見慣れた住宅街の風景はどこか
それは、乾きかけた涙でかすんだ目のせいなのか、心がどんよりしているせいなのか、それとも実際に霧が出ていたのか、よくわからない。
*
夜明け前、まだ暗い公園のエントランス広場に停めた彼の車から飛び出して、私はめちゃめちゃに泣きながら木立ちの中を彷徨った。
だからって死ぬわけじゃないけれど、そのまま死んでもいいと思った。
結局、行き場もなくて木陰にしゃがみ込み、ひとしきり泣いて、ふと涙が途切れた時、しゃがんでる自分が滑稽に思えた。
本当は地面に突っ伏して、どくどくと血のような涙を直接土に流していたなら、自分も溶けて消えてしまえたかもしれないのに。
私ったら、きっと服を汚したくなかったんだ。
こんな時に、無意識にそんなことを気にするくせに、死んでもいいなんてバカみたい。
そう思ったらやっと立ち上がれた。
駅は遠いし、バスもまだ動いていない。
「歩いて帰ろう」
そうして、私は家までの道のりを歩き出したのだった。
*
途中で、夜が明けてきた。
プップップッとクラクションを鳴らされる。
彼が、公園内の車道を徐行しながら私を探していたのは知っている。でも、とっくに諦めて行ってしまったはず。
振り返ると見知らぬ車のウインドウがスルスルと開いて、「家、どこ? 送ってあげるよ」と、チャラい男が顔を出した。
何も言わず、ぷぃっと前に向き直ると、「ねぇ、乗りなよ」としつこい。
なおも無視して歩き続けると、やっと走り去っていった。
確かに、おかしい。
こんな時間に町はずれのこんな所を女が一人で、不自然にガシガシと歩いてるなんて。
何らかの目に遭っても、不思議じゃなかったのかもしれない。
*
「留学しちゃったらたぶん二度と会えないから、見送りに行ってくる」
数日前そう言って、彼は成田空港へ元カノに会いに行った。
私はその言葉を信じて、まだ未練があるらしい彼も、これでやっと想いを断ち切れるだろうって思った。
だから、行ってくればって、快く言ったのだ。
ゆうべは、一泊して戻ってきた彼とデートだった。
久しぶりに会った彼女のことを、彼は楽しそうに私に話してきた。
食事をしたと聞いて、驚いた。
空港に見送りに行ったんじゃなかった。彼は前泊してる彼女とデートまがいのことをしてきたのだった。
彼の話は止まらない。
最後は、ホテルまで送ったと言う。
***
「寝たの?」
硬い声で発してしまった質問。
訊かなければよかったのに。
直感の通り、黙ってうなずく彼。
——こんな時、正直すぎるのは罪だよ。
いや、そこが彼のいいとこでもあった。
だから、好きになったんだ。嘘つきはキライだから。
なのに、嘘をつかなくちゃいけないような裏切りをして、
嘘がつけないから、ホントのことを言っちゃって。
最悪だよ、君は。
彼女ともう一度寝て、
彼女ほどは私のことを好きじゃないって、気づいちゃったんだね。
だから、口から出るままにホントのこと言ったんでしょ。
そのことで私と別れてもいいって思ったんだよね、きっと。
唖然として責めた私に、彼は言った。
「また彼女を抱けて、正直うれしかった」って。
それで、私は車から飛び出してきたのだ。
***
♪〜いくつもの 夜を超えて渡った時の迷路 解きあかしてきたのに
——この歌の中の、彼と彼女の事情は知らないけど。
私たちにもいくつもの夜があって、いつも心の迷い路があって。
そして、行き止まりに突き当たった時にも、何とか前向きな答えを出してきた。
その積み重ねを、彼はあの一言で全部吹き飛ばしてしまったのだ。
別れてからしばらくは、確かにそう思っていた。
***
だけど、この歌は最後にこう歌う。
♪〜もう一度 いそぎすぎた私を 孤独へ帰さないで
いつまでも あなたのことを聞かせて 愛をあきらめないで
一時間以上も、一人で歩いていたあの朝。
もっともっとずっと、彼のそばで彼のことを知り続けたかったのに……と悲しかった。
けれど、もしかして、二人を終わらせてしまったのは、あのたった三文字の質問をした私の方だったの?
私が私に問いかける。
あれは、二人の関係を急ぎすぎた私が、自分で自分を孤独へ追いやったってことなの?
歌を聴くたびそう思っては、やり切れなさが募った。
***
歳月を経た今は、あの三文字がなくても、ダメになるのは時間の問題だったんだろうってわかってる。
結局、私たちが紡いできたソネットには、何の意味もなかった。
ただ、時を引き伸ばしていただけで、最初からうたわれるはずもないものだったのだ。
うれしくない朝帰りは、二度としたくない。
♪「彼と彼女のソネット」大貫妙子
https://www.youtube.com/watch?v=Pg0X_zcu8RQ
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