朝帰り。—— 彼と彼女のソネット

♪〜今の私たちを もしも なにかにたとえたなら

  朝の霧のなかで 道をなくした 旅人のよう……



この歌はもともと、フランス語の歌。

それを大貫妙子さんはまったく別の日本語詞をつけて歌った。



その歌詞が私に、あの日の朝を思い出させる。





足取りを変えず、私は意識的に淡々と歩いていた。

夜が明けて、でも、見慣れた住宅街の風景はどこかもやったように見えていた。


それは、乾きかけた涙でかすんだ目のせいなのか、心がどんよりしているせいなのか、それとも実際に霧が出ていたのか、よくわからない。





夜明け前、まだ暗い公園のエントランス広場に停めた彼の車から飛び出して、私はめちゃめちゃに泣きながら木立ちの中を彷徨った。

だからって死ぬわけじゃないけれど、そのまま死んでもいいと思った。



結局、行き場もなくて木陰にしゃがみ込み、ひとしきり泣いて、ふと涙が途切れた時、しゃがんでる自分が滑稽に思えた。


本当は地面に突っ伏して、どくどくと血のような涙を直接土に流していたなら、自分も溶けて消えてしまえたかもしれないのに。


私ったら、きっと服を汚したくなかったんだ。


こんな時に、無意識にそんなことを気にするくせに、死んでもいいなんてバカみたい。


そう思ったらやっと立ち上がれた。



駅は遠いし、バスもまだ動いていない。


「歩いて帰ろう」


そうして、私は家までの道のりを歩き出したのだった。





途中で、夜が明けてきた。


プップップッとクラクションを鳴らされる。


彼が、公園内の車道を徐行しながら私を探していたのは知っている。でも、とっくに諦めて行ってしまったはず。


振り返ると見知らぬ車のウインドウがスルスルと開いて、「家、どこ? 送ってあげるよ」と、チャラい男が顔を出した。


何も言わず、ぷぃっと前に向き直ると、「ねぇ、乗りなよ」としつこい。


なおも無視して歩き続けると、やっと走り去っていった。



確かに、おかしい。

こんな時間に町はずれのこんな所を女が一人で、不自然にガシガシと歩いてるなんて。

何らかの目に遭っても、不思議じゃなかったのかもしれない。





「留学しちゃったらたぶん二度と会えないから、見送りに行ってくる」


数日前そう言って、彼は成田空港へ元カノに会いに行った。

私はその言葉を信じて、まだ未練があるらしい彼も、これでやっと想いを断ち切れるだろうって思った。


だから、行ってくればって、快く言ったのだ。



ゆうべは、一泊して戻ってきた彼とデートだった。

久しぶりに会った彼女のことを、彼は楽しそうに私に話してきた。


食事をしたと聞いて、驚いた。

空港に見送りに行ったんじゃなかった。彼は前泊してる彼女とデートまがいのことをしてきたのだった。


彼の話は止まらない。

最後は、ホテルまで送ったと言う。



***



「寝たの?」


硬い声で発してしまった質問。

訊かなければよかったのに。



直感の通り、黙ってうなずく彼。



——こんな時、正直すぎるのは罪だよ。


いや、そこが彼のいいとこでもあった。

だから、好きになったんだ。嘘つきはキライだから。



なのに、嘘をつかなくちゃいけないような裏切りをして、

嘘がつけないから、ホントのことを言っちゃって。


最悪だよ、君は。


彼女ともう一度寝て、

彼女ほどは私のことを好きじゃないって、気づいちゃったんだね。


だから、口から出るままにホントのこと言ったんでしょ。

そのことで私と別れてもいいって思ったんだよね、きっと。



唖然として責めた私に、彼は言った。


「また彼女を抱けて、正直うれしかった」って。



それで、私は車から飛び出してきたのだ。



***



♪〜いくつもの 夜を超えて渡った時の迷路 解きあかしてきたのに



——この歌の中の、彼と彼女の事情は知らないけど。


私たちにもいくつもの夜があって、いつも心の迷い路があって。

そして、行き止まりに突き当たった時にも、何とか前向きな答えを出してきた。


その積み重ねを、彼はあの一言で全部吹き飛ばしてしまったのだ。



別れてからしばらくは、確かにそう思っていた。



***



だけど、この歌は最後にこう歌う。


♪〜もう一度 いそぎすぎた私を 孤独へ帰さないで

  いつまでも あなたのことを聞かせて 愛をあきらめないで



一時間以上も、一人で歩いていたあの朝。

もっともっとずっと、彼のそばで彼のことをのに……と悲しかった。


けれど、もしかして、二人を終わらせてしまったのは、あのたった三文字の質問をした私の方だったの?


私が私に問いかける。



あれは、二人の関係を急ぎすぎた私が、自分で自分を孤独へ追いやったってことなの?


歌を聴くたびそう思っては、やり切れなさが募った。



***



歳月を経た今は、あの三文字がなくても、ダメになるのは時間の問題だったんだろうってわかってる。



結局、私たちが紡いできたソネットには、何の意味もなかった。


ただ、時を引き伸ばしていただけで、最初からうたわれるはずもないものだったのだ。



うれしくない朝帰りは、二度としたくない。



♪「彼と彼女のソネット」大貫妙子

https://www.youtube.com/watch?v=Pg0X_zcu8RQ

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