1日目 午後⑦ 生きるため 誰かのため 復讐のため

105番の腕の中で、14番の吐き出す息が小さく、か細くなってゆく。

火傷を負ってからかなりの時間が経ってしまっている。

体力が限界へと近づいてきているのは誰の目にも明白だ。

だがそれで焦ろうものなら何かミスを起こし、それが全滅へと繋がる。


「おい嬢ちゃん。しっかりしろ」


大男はしきりに14番に声をかけ続けている。

意識がしっかりしているかの確認なのだろう。

105番はそれを止めさせたいと思いながらも黙認していた。

もし周りに都市外部の奴らがいたらと思うとすぐに止めさせたかった。

気が気でない。

言ってしまえば苛立っていた。

だが声掛けが14番が意識を保っている可能性を否定する考えを105番は持っていなかった。

それに大男は朝の会話から酪農、特に牛の出産を任されるくらいには、細かいところに目が行くようになっているのだろう。

105番や73番では気づけない、14番の小さな変化も見逃さないはずだ。

だから、105番は全身全霊で周囲の気配を感じ取ろうと気を張り続けていた。


あの河原から現在地までに既に数回、都市外部の人間とニアミスをしかけていた。

それがある度に数分のロスに見舞われた。

腕時計を見ると時刻は午後の4時45分を過ぎていた。

時間をかけすぎた。

仮に辿り着いて治療を受けることが出来ても、無事に何の後遺症の類も残らずにいられるか。


「見えた。あの建物だ。あのちょっと小さい白い建物」


105番達のいる場所、住宅街の外れからビル街が見える。

そのビル街の中にその建物はあった。

他のビルよりかは少し小さいが、他の鏡張りのビルとは違い、白い壁面が目立つ。

その建物こそが、『都市病院』のアジトであり、この都市内に存在する病院にカテゴリーの中で最大級のデカさを誇る存在だ。

距離にして4~5キロほどあるかといったところであった。


「ただ問題は……」


そのビル街からいくつか黒煙が上がっていることと、恐らく待ち構えているであろう検問、そしてすぐ近くに存在する脅威。

今、105番達がいるのは住宅街の大通りから2本離れた路地に身を隠している。

その大通りを今、ガスマスクの集団が練り歩いている。

楽し気に、自分たちの声を祭囃子にそれぞれ両の手に棒を掲げ練り歩く。


「見ちゃダメ…」


73番は15番の目元を手で覆った。

見せるにはあまりにも酷だと、判断したからだ。


棒に突き刺さっているのは、人間だったもの。

老若男女問わず、バラバラにされた手足や頭、胴体に下半身、果ては赤ん坊までもが上下に揺れる。

そこから零れ落ちた血や臓物を頭から被り、口の中や鼻の穴に入っても気にせず楽し気に血の通りを作ってゆく。


「よくまあ飽きもせずに1年近く同じことを…」


105番は呆れたような声を上げながらその集団を見つめる。

目の前の乱痴気騒ぎを見つめ、何時途切れるのかを待っていた。

105番が覚えている限り、この集団がこれを終えるのは、最長でオープンして即座に始め、そして終了時間までやり続けていたこともある。

参加する人数もその時その時でまちまちで、以前見たものよりかは短いことを105番は祈ることしかできなかった。

そして、集団が掲げる棒の一つに目が行った。


棒に突き刺さっていたのは、女の上半身だった。

上半身だけで、腕はなく、頭だけが付いており、引きちぎられたのか切り落とされたのかどのような手段を用いられたのかはどうでもいいが、他の死体のように臓物を零れ落とし、何も着てない哀れな姿で、どう考えても死んでいる。

そうとしか言えない姿のはずだった。

なのに、その女と今105番は、明確に目が合った。

女は明確な意思を持って、こちらを、105番を見ている。

馬鹿な、そう思って一瞬、頭を引っ込めるのが遅かったのが運の尽きだった。


「た…助けて!ねえ!そこの人!」


そうこちらを見ながら上半身をくねらせながら、叫び続け、助けを求めてくる。


「うぉっ!?何だこいつ急に暴れ出しやがって!」


「キーキー金切り声上げんな!ゴミ屑!」


腕や足などのまだ軽いものを刺していた何人かが、女の体を突き刺す。

黙らせるために刺したのだろうが、その痛みで更に女の悲鳴の音量のボリュームは跳ね上がる。


「たずけで!じにたぐない!あたじ!なにもわる゛いごとじてない゛!」


口からごぼごぼと血と唾液が混じった泡を撒き散らしながら女は喚く。

一言何かを吐けば、集団の中の誰かが女を罵倒し、棒を突き刺す。

無能、血税泥棒、浮気女、人でなし。

一本刺さる度に叫び声を上げ、十を超えたら血の塊を吐き、二十を超えたら頭を垂れ、もう動かなくなった。

それでもなお、人々は女を刺し続ける。

女を黙らせるために始めたであろうその行為は、もはや別のものへと成り果てた。


先ほどまで列を成していた集団も一目散に女を持っていた男の周辺に集まり女を突き刺す。

まるで、女に失った体のパーツを献上せんがために集まっているようにすら錯覚する。

だがその献上する民衆がことごとく口にするのは、受け取ってくれという嘆願ではなく、罵倒のみ。

それも言いつくしたのか、最後は馬鹿や阿保のような子供の口喧嘩染みたものになっていた。


三十秒、女はもはや人の形を保っていなかった。

女の全身に男の筋骨隆々とした腕が、女のほっそりとした足が、老爺の頭が、老婆の髪が、子供の全身が、女だったものの全身所狭しと棒によって縫い留められ、怪物もかくやと言わんばかりの有様だった。

それで満足したのか、集団は棒を投げ捨て、何かを話し始める。


『そこの人』『あそこの角』『男か女かわからない』

風に乗ってそんな断片的な言葉が105番の耳に届く。

何を話しているかはわからないが、何をしようとしているか105番には容易く想像が出来た。


ゆったりと、人の気配がこちらに近づいてくるのを105番、いや大男も感じているのだろう。

大男は僅かに身をこわばらせている。


奴らがどのような表情を浮かべているなど、105番は容易く思い浮かべることが出来る。

その表情に囲まれながら生きれば嫌でも刷り込まれる。

ニヤニヤ、ヘラヘラ。

自分は善人なんです、貴方の手助けがしたいんです。

そんな顔。

そしてその全身から殺意や悪意を垂れ流す。

自分がそんな状態になっていることに気づかないのは、そんな奴の同類だけだ。


105番は頭を回転させる。

何をどうすればいいか、自分がどうすればいいかはすぐに思い浮かぶ。

だが、心配することがあるとしたら、自分のいない間に73番らがうまく立ち回れるかどうかだった。

隠れ家から逃げ出した後は、最初から打ち合わせや話をしていたからどうにかなっただけだ。

このような、いざ逃げることになった時に、どうすればよいかは話はしたものの、実践するのは今日が初めてになる。

それにこの大男のこともある。

この男に105番は何も教えていない。

男がどれだけ隠れられるか逃げられるか、105番はそれを殆ど知らない。


影が近づいてくる。

残された時間は少ない。


「73番。俺が囮になる」


「え?」


「そこの家の裏に隠れてろ。俺があいつらの注意を引く。あいつらがいなくなったら、その間に」


「待って!トーゴはどうするの!」


「大丈夫だ。まだ死ぬつもりなんてない」


「そうじゃなくて!」


「腕無し」


「え?」


「『都市病院』に着いたら、建物の裏にある鉄の扉に行ってノックを5回、裏口の番をしてる奴が誰だと訪ねてきたら、『榊東吾』と『腕無し』のツレだと言え。それで入れてもらえるはずだ。入った後は敵対する意思はないと何としても伝えろ」


「トーゴ…?何を言ってるの?榊って誰…?トーゴの事?腕無しって…」


「ゴチャゴチャいうな。いつか気が向いたら話す」


そう言うと、105番はブロック塀に手をかけ、体を持ち上げた。


「いたぞ!あいつのことだ!」


集団の一人が105番を指差し、大声で周りに知らせる。

105番は言い切られる前にブロック塀の上を走り出した。

集団は先程突き刺していた棒を引き抜こうと一塊になるも、誰もが我先にと棒を手に取ろうとするせいで、誰も105番に攻撃することが出来ない。

なぜか。

簡単だ。

一番槍の名誉を、うまい部位を渡したくないのだ。

並んで順番良くなんて、守るわけがなかった。


そうしてる間に、105番は大通りに面したブロック塀まで辿り着いた。

対面のブロック塀までおよそ、車が二台は楽に通れるほどの距離がある。

そして、棒が使えないとわかるや、大勢が105番を引きずりおろそうと群がる。


「邪魔だ!」


「どきなさいよ!痛っ!クソ野郎がッ!」


誰かが前に進もうと目の前の人をかき分けて進もうとする度に、邪魔者を排除しようと乱闘が始まる。

その乱闘に誰かが混ざり、積み重なり、そこに人の山が出来上がる。

既に底にいる人間の何人かは圧死していた。

その山の上へ、105番は踏み出した。


一歩。

目の前にいた誰かの背を踏みつける。

頭痛が起きる。


二歩。

吐き気、どうしようもない寒気。

己が大罪を犯したのではないかという怖気が背筋を伝う。

それを振り切り三歩目を踏み出す時に、山の中の誰かが105番の足を掴まんと、腕を伸ばす。

それを、跳ぶことで躱す。


三、四歩。

頭痛が悪化し、鼻血が溢れ出す。

頭の中で誰かの喚く声がガンガンと鳴り響く。

奴らを傷つけるなと、抵抗せずに殺されろと喚く。

これ以上はまずいと判断し、105番は無理やり前に跳ぶ。。


五歩目。

反対側への横断に成功。


「はぁ…はぁ…!」


105番は鼻から溢れる鼻血を拭い、後ろをわずかに見る。

乱闘は今もなお続いている。

このまま放置していたら、何時まで経っても73番らは動けない。


「おい!そこの馬鹿ども!」


105番が、人の山にそう言うと、ピタリと乱闘が終わり、全員が目を丸くして、105番に穴が開きそうになるまで見つめた。


「お前らみたいなウスノロに俺が捕まえられるわけがないな!悔しかったら捕まえてみな!バァーカ!」


そう言って、105番は走り出す。

すると、先ほど前いがみ合っていたのが嘘のように乱闘を止め、即座に105番を追いかける。

追いかける人々は例外なく顔を茹蛸のように赤く染め、その目に殺意の炎を燃やす。

105番のあの挑発だけで彼らのプライドは沸騰し、もはや105番を殺す事以外目に入っていなかった。

単純だ、なにせ彼らはここ最近誰かに、特にこの都市内部にいる住人に馬鹿にされたことなどただの一度もないのだから。


「……」


走りながら、105番は無理やり呼吸を整える。

僅か数歩でこれだ。

いくら数度これより酷い目に遭った経験があれど、それも昔の話だ。

これ以上、自発的に攻撃的行いをするのは冗談ではなく命に関わるのは、自明の理だ。

チラリと後ろを見ると、誰一人欠けることなく105番を追いかけ続けている。


まだだ。

まだ、73番らに近すぎる。

遠回りを。

ここから一番近い検問を潰し、時間いっぱいまで、逃げ続けなければ。


ブロック塀が終わり、道路に降りる。

国道のような道だ。

105番がいる側に家々が、所々に何らかのチェーン店のレストランのような建物が数件炎上。

反対側に小さなビルの並木、その奥から徐々にサイズのデカいビルに、そして高層ビル、マンション、マンションの屋上から突き落とされる人影がちらほら。

周りを見渡し、検問を探す。

一番大きな道の検問。

そこだけを105番は探す。


小さな道に隠れ潜む奴らは放っておけばいい。

どうせ検問の騒ぎを聞きつけて我慢できずに来る。


そして、検問を発見した。

簡素な柵、武器を持ったガスマスク達、積み重なった死体。

銃火器ではなく、さすまた、槍、特殊警棒、盾。

検問へと105番は全速力で走る。


『止まれ!止まれば命までは取らない!』


欺瞞。

声にこれから行われる残虐行為への皮算用が聞いて取れる。

残り数メートル。

さすまたと槍が向けられる。


『処刑だ!』


一番近くにいたガスマスクがさすまたをこちらに突き出す。

さすまたの取り押さえる部分と取り押さえられた人間がつかめるだろう部分に数センチものトゲがある。

それは血と脂がテラテラと輝き、少しでも掠ればかなりの痛手となるのが容易に想像できる。

当たるか否かという直前、全身をひねり上半身を無理やりそらす。

それだけでさすまたを持った男は勢いを殺しきれず前に転ぶ。


次は槍だ。

両手持ちの槍、刺されば致命傷だ。

刺されれば、の話だが。

ガスマスク達は、殆どが素人の集まりでしかない。

どこかで鍛錬を積んだわけではなく、知っていてもそれは知識でしかなく体には一切染みついてなどいない。

我流、いうなれば監獄都市流。


ガスマスクが槍でこちらを突く。

だが腰も何も入っておらず、遅い。

105番は槍を掴んでこちら側に引っ張る。

さすまたを持ったガスマスクと同じようにバランスを崩し、他のガスマスク達の足にぶつかる。


『とんま!何やってだ!』


『このゴミが!』


転んだガスマスクをぶつかったガスマスク達が蹴り飛ばす。

それに気を取られている間に105番は刺突武器持ち達をすり抜けた。


『並べ!ここを通すな!』


盾持ちらが横に並び道を封鎖せんとする。

横にはビルの壁面があり逃げ場はない。

確かに、これなら逃げ場はないだろう。


本来ならば。


105番は斜めに走り、ジャンプした。


『んなっ!?』


壁を数歩蹴り、途中にある配管を掴む。

そしてそこからまた壁を蹴り、封鎖の先に着地、再び走り出す。


『猫かあのガキャあ!!!』


盾を持っていたガスマスクの一人が盾を投げ捨て走り出す。


『さっさと止まれクソガキィィィ!!!!』


さっきまで追っていたガスマスク達も混ざり、黒い濁流が105番を追いかける。

そこに細道から、建物から、そこら中にいたガスマスクが混ざり数は100や200は優に超えていた。

ここら辺りに何人いるか105番には到底把握できないが、これだけ集めれば73番らがここを通るのにかなり楽になるはず。

そう考えた105番は方向転換、『都市病院』から離れる道を走り出した。

ガスマスク達は、自分が誘導されているなんて夢にも思ってはいないだろう。

都市住人を手玉に取るのは自分たちだ。

その考えが常に頭の中心にあるから、自分たちが目の前に人参を釣らされた馬だと気づくことはできない。


105番はジグザグに走る。

その後を追ってガスマスク達もジグザグに走る。

両者ともに、体力が消耗し始めていた。

腕時計を見ると、後7分程で5時になる。

そうなれば、都市外部の奴らは問答無用で都市の外に出ることになる。

しかし、どう見繕ってもあと7分も全力疾走できるほどの体力はない。

どこか、ガスマスク達が入ることが出来ない場所に逃げ込まなければいけない。


めちゃくちゃに走ったせいで、今がどこか105番には皆目見当もつかなかった。

建物に逃げ込んだところですぐに追い詰められ屋上からダイブすることになる。

かといって他に逃げ場があるかと問われれば…


「ハァ…ハァ…あっ?」


あった。

ロボットたちが死体を押して、道路の真ん中にある穴に押し込んでいた。

その穴が何のためにあるのか、どこへ通じているのか。

105番は知っていた。

そこならば、ガスマスク達も追跡を諦めるだろうということを。

105番が穴に近寄ると、ロボットたちが105番に近づく。

捕えて手足を圧し折ってガスマスク達に差し出す腹積もりだろう。

それより先に、105番は穴の中にある点検梯子を駆け降りた。




『ゼェッ、ゼェッ…あのガキ。あん中に逃げやがったぞ…』


『でもよ…フゥーッ…あの穴の中には「あいつら」がひしめいてんだぞ…』


『ガキ一人捕まえてさっさと戻りゃいいだけだ…いくぞ』


「この先は死体処理槽です。危険ですのでお客様の立ち入りは」


『どけ!お客様は神様なんだぞ!神様が行きたいんだからてめえらは俺たちが戻るまで閉めるなよ!』




降り切った105番を出迎えたのは、咽返るような血の臭いだった。

小さなランプや開かれた穴から降り注ぐ光が積み重なった肉と流れゆく血を照らす。

死体処理槽、文字通りの屍山血河が築かれていた。

槽の中央は凹状にへこんでいるものの、肉でかさ増しされ、血に足がひたひたと漬かっている。

所々にフンが転がっており、それに手をかざすとまだ熱を感じた。


近い、それもかなり。


『急げ!あのガキがどこかに行く前に!』


梯子の上から男の声が響く。


「おいおい、まさかここまで追いかけてくるのかよ」


息を整える暇もなく、105番は走り出そうとした。

しかし、105番の耳があるものを捉えると、すぐに足を止めた。


『……ァァァァァアアアアアア…』


処理槽の中を、獣のような声が反響する。


「…ミスったか?」


声の主が近いことを察した105番は、周りを警戒する。


『見つけたぞガキぃ!』


ガスマスクが何人か降り、すぐそこに105番がいることを見つけると、持っていた武器を突き付けながら周りを囲む。

そうされていても、105番は周りをキョロキョロと見回す。


『逃げ場はねえぞ。…オイガキィ!こっちを見ろ!』


自分を無視されていると感じたのか、ガスマスクの一人が声を荒げる。

そのガスマスクの後ろに、ピンク色の肉の塊が直立していた。

肉の塊の皮膚は所々の皮膚が破け、筋繊維や骨が覗き、片方だけ肉に埋もれずに露出していた眼は、爛々とした輝きで、目の前の獲物を見下ろしていた。


「なあ旦那。後方注意だ。あんたら逃げろ!死にたくなきゃなあ!」


『ア゛ッ?後ほゥア?』


肉の塊がガスマスクの頭にかぶりつき、後頭部を齧り取った。


「ンンマァァァァァァァアアアアァ」


肉塊は甲高い奇声を上げながらクッチャクッチャと音を立てながら、ガスマスクの肉と脳味噌を咀嚼する。

不揃いに生えた歯の隙間からミンチと涎が泡立ちながら零れ落ち、見るものに不快感を抱かせる。


『ヒ、ヒィィィイ!!逃げろ!』


105番を囲んでいたガスマスク達は一目散に降りてきた梯子に登ろうと駆け寄る。


『俺が一番…ヒャアアアア!?』


一番最初に梯子に上ったはずのガスマスクの頭に、細い枯れ枝のような手が近づくと、その頭を掴んだ。


『死にたくべぶぅ!』


まるでリンゴを握りつぶすように手はガスマスクの頭を潰し、力なく落ちようとした体を掴み、肉塊に引き寄せた。

肉塊から生えている腕だ。

その二本の異様に長い細い腕の一方は、最初に後頭部を齧ったガスマスクを支え、もう片方の手で次に食べる肉を持っているのだ。


「マンマ!マンマァァァアアアアァ!」


105番が肉塊がいない方向に走ると、105番の後を追ってガスマスク達も走る。

105番に行く当てはないことをガスマスク達は知らないのだろう。

そのまま梯子を上れば数人犠牲になるだろうが、まだ何人か生き残れたはずなのに。


「マァァァァァ!」


横の道から別の―――細いゴボウのような体にゾウのような手足が付いた―――肉塊が這って飛び出してくる。

ぐちゃぐちゃに、4つもの関節がある腕を伸ばして105番を掴まんとする。

一歩バックステップして避けると、壁に腕が当たり、パラパラと天井からゴミが落ちた。


「イアァァァアァ!マンンマママママアアアアア!!パッパァァァァアアアア!!」


指と思しき突起が砕け開放骨折、骨が飛び出していた。

肉の塊は小さな瞳から濁流のような涙を流しながら、叫び声を上げる。


「…ァァァァァ」


その声につられて他の肉塊が寄ってくる。

生存していた全員がそう気づいた。


『黙れや化け物ォ!』


『早く死ねやぁ!』


105番は即座に走り出すもガスマスク達は、肉塊を黙らせようと武器を突き立ててから走り出した。


「キャァアアァアアアァァァァアアアアア!!!」


更に叫び声のボリュームが上がり、鼓膜が割れんばかり。

それに苛立った数人のガスマスクが逃走を止め、突き刺した武器を引き抜いて、肉塊を殺そうと武器を振るう。

それが、命運を分けた。


ガスマスク達の頭上から、細い爪が頭に向けられた。

そして



サンッ



音らしい音もなく。

ガスマスク達の脳髄に爪は突き立てられ、この場に留まったガスマスク達は全て崩れ落ちた。


「キュフゥ!!」


処理槽の天井に張り付いた8つもの手足を持った、まるで蜘蛛のような生き物は満足そうに笑いながら、仕留めたガスマスク達を掴み、来た道を戻っていった。



ぱちゃぱちゃと血が跳ねる音が響く。

その数は一つだけ。

105番のものだ。


他のガスマスク達は別の道を行ったり、横道から来た肉塊に襲われて餌になった。


「マンマァァア!」

「ゴォヒャアアンンンンンウウゥゥゥゥ!」


十字路の左右から肉塊が突っ込んでくる。

その勢いはさながらトラック。

105番が十字路を直進したゼロコンマ1秒後、ビシャァァァァァアアアン!という肉と脂肪と水分とがないまぜになった音と共に衝突。

衝突で巻き上げられた血肉が105番の全身を真っ赤に染めた。


「マンマァ!マンマァァアアアア!」


「オナキャスイタァァアアァ!」


二つの肉塊はくっついたまま、105番の後を追う。

二つは処理槽全体をギッチリ埋め尽くしたまま這い続ける。

そのせいで処理槽の壁にくっついている部分の皮膚はズタズタ、壁が血液の赤と脂肪の黄色に彩られる。

それでも肉塊は止まらない。


「「マンマァァア!マンマ!マンマァァア!」」


「しつこい……!」


走っても走っても、肉塊は諦めない。

冷たくなった肉よりも、温かい肉にむしゃぶりつきたいのだ。

いくら走ろうとも、道を曲がろうともどこまでも、どこまでも追跡し続ける。

L字に突入した105番の前方に影。


「ミャアアアァァアアア!」


「チッ!」


もう一体の肉塊が曲がり角からこちらを見つめていた。

三体目はすぐに体をぶつけながらワシャワシャと手足を動かし這い出した。

前方も後方も、すでに逃げ場はない。


ならばどうする?

近くに点検梯子はないか?


「はぁ…ハァ…あった!」


三体目がいたL字の角、そこに夕日に照らされた点検梯子。

だが問題がある。

前方の道の半分以上が三体目の肉塊に埋め尽くされていた。

目の前の肉塊が急に後ろに戻るなんてことでもしなければ、三体の肉塊に押しつぶされて終わりだ。

どうにかする方法がなければお終いだ。

どうにかする方法がなければ。


「……」


どうにかする方法なら、ある。

だがそれはとっておきもとっておき。

だが、今か?

今使わなければ、いけないのか?

今日は既に一度使っている上に、これを使えばしばらくは左腕が使えなくなる。


本来なら。

本来ならこれを叩き込む相手は既に決まっていた。

「あの男」の顔面にこれを叩き込んで報いを受けさせる。

それが、それこそが今、己が生きている意味、塔悟に生かされた意味。


『トーゴ!』


『あんちゃん!』


『お、兄ちゃん……』


「……チッ!システム起動!攻撃モードに移行!3秒後にぶん殴る!その時にやれ!!」


その声に応えるように、105番の腕が変形する。

ごく普通の人の腕だったそれの表面を、赤い光が駆け巡る。

その光の跡が開き、先ほどまで偽装されていた姿を取り払った。


黒鉄の腕が、そこにあった。


腕の内部からかすかな駆動音が響く。

筋肉を模したものがギチギチと音を立て、当たるタイミングを待っていた。


「3!」


105番が左腕を構える。

これから何が起きるか、肉塊にはまるで予想もつかない。


「2!」


肉塊と105番が当たるまであと数メートル。


「1!」


肉塊の顔面を、105番は左腕で全力で殴りつけた。


「ぶち抜け!!!」


ミヂィィィィィィ!!


瞬間、肉塊の中心部に穴が開いた。


動かなくなった肉塊の穴を105番が通り抜ける。


「クソッ…!まだイカレるなよ…!」


105番は左腕から白煙を噴出しながらだらだらと揺らしながら走る。


何が起きたか。

単純明快、左腕が当たった瞬間凄まじい速度で伸び、肉塊を貫いたのだ。


ロケットパンチ擬き。


それが、105番の奥の手。

都市外部の奴らに使えない、当たればマトモな生き物なら一撃必殺の拳だった。


「ヤアッァアッァアア!」


「ジャァアアアアアアア!」


105番を追ってきた肉塊は死んだ肉塊が邪魔で、足止めをされている。

だがそれも数秒程度が限界だろう。

しかし、その数秒が105番を救う。


「はっ…!はっ…!」


105番は左腕を動かさずに、点検梯子を上る。

動かせないのだ、左腕が。

これが一撃必殺の代償。

使えばある程度の時間左腕が動かせなくなる。

右腕のみで上へ上へと体を持ち上げる。


「マンマァァア!」


死んだ肉塊を踏みつぶし、追跡肉塊が突進する。

肉塊が壁に追突するのと、105番が処理槽の出口に到達するのは同時であった。




「ここぁ…!」


地上に出た105番を夕日が照らす。

そのあまりに明るさに目が眩むも、105番は辺りを確認する。

急いでいたから確認できなかったが、辺りに都市外部の奴らがいないとも限らない。

夕日だと思っていたのは、ガラス張りのビルに反射した明かりだった。


「しめた!」


そして、『都市病院』の建物が見えた。

めちゃくちゃに処理槽を走る内に、近づいていたらしい。

だが幸運ばかりではなかった。


「マァァァァ!」


「ここまで来るのかよ!」


105番が今出た処理槽からミチミチと音を立てながら、肉塊が出ようとしていた。

ロボットたちがサイレンを流しながら、アームでロボットを押し戻そうと試みる。

バチバチと音を立てるアームで肉を掴むと、肉が焦げる嫌な臭いが漂う。


「ヤァァァァァァァ!イアアアアアアァァ!」


「あぶねぇ!」


痛みに暴れる肉塊が振るった腕がロボットを吹き飛ばし、しゃがんだ105番の頭上をそのうちの一台が通過した。

ガシャアン!と大きな音を立て、ビルのガラスを突き破り辺りにガラスの破片が散らばった。


『おい見ろよ!アレ!なんか面白いことが起きてんぞ!』


そんな騒ぎが起こるものだから、ガスマスク達も嫌でも気づく。

105番は走り出した。


腕時計は後1分で終了することを告げている。

ここからならすぐに到着すると105番は確信した。


「イアアアアアアァァ!マンマァァア!」


だがその後を、ガスマスクに追い立てられた肉塊が追う。

全身に火傷と銃創を追いながらも、それでも食べることを求め、追う。


都市病院の裏手、駐車場に辿り着く。

建物の一か所、飾り気のない鉄の扉。

そこがゴールだ。

その時、扉がひとりでに開く。


「トーゴ!こっち!」


73番が大声でこちらを呼ぶ。

105番の後ろに迫る肉塊に気づくと、その異形に恐怖し更に焦った声で105番を呼んだ。


その時、監獄都市内部にアナウンスが響き渡る。


『五時を迎えました。お客様は最寄りの出口へ、もしくは、近くの案内係に申し付けて…』


そのアナウンスを聞いた瞬間、ガスマスク達が止まった。

先程までの活力がなく、まるでゾンビのようにふらふらとどこかへと歩き出す。

だが肉塊にそんなものは関係ない!


「マンマァァア!マンマァァア!マンマアアアアアアアアアアアアア!」


105番は建物の中に到着し、73番に叫ぶ。


「扉を閉めろ!」


そう言われるよりも先に73番は扉を閉め、鍵をかけた。


『マアアアア!!!!!』


バァン!


「きゃああああああああ!」


「73番!」


しかし、再び扉は開くことになる。

肉塊の体当たりによって扉の鍵や蝶番が破壊、吹き飛んだ扉が73番に当たった。

倒れた73番を105番が抱えた。


「マンマァ!マンマァ!」


片腕を伸ばし、ガリガリと地面を引っ掻く。

肉塊の腕が73番の足を掴もうかというその時、その身体をいくつもの銃弾が貫いた。


「マ…ンマァ…」


僅かに見える外に、ドローンが飛んでいた。

そのドローンが、肉塊を銃撃し仕留めたのだ。

肉塊がぐしゃりと潰れ、じわじわと血が溢れる。

それを105番は見ずに、73番を調べる。


「73番…!」


73番に目立った外傷はない。

虚ろに目を見開きながら天井を見上げていた。

息はしているが、返事はない。

脳震盪か否か、詳しい知識がない73番には判断しかねた。


「人を…!」


「その必要はねえよ」


105番の後ろから、男の声がした。

振り返るとそこには、105番の知っていた男がいた。


「あんたは…!」


「久しぶりだな、疫病神」


男はそう言うと、105番の顔面を殴り飛ばした。

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悪意肯定監獄都市ABASHIRI お豆腐メンタル @otouhumentaru

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