1日目 午後⑥ 男はただ独り仲間の死を想い

悲鳴が聞こえる。

絶叫が響く。

歓喜の声が上がる。

嬌声が風に乗ってどこかから聞こえてくる。

酷く、懐かしい、この都市ではどこでも繰り広げられている、そんな日常。

悪意と暴虐のカーニバル。


こんな時間に出歩くなんて、何時以来だ?

…覚えている。

忘れられるわけがない。



雪の降ったあの日。

あの人と二人で。

積もった雪を踏みしめて。

武器を突き付けられ、終わりへと。



だが、今は違う。

いつも手を引いてくれたあの人は、もういない。

今いるのは、何故かついてきた女が一人、その女が拾ってきたガキが二人。

そしてそのうちの一人は今、己の腕の中で苦しんでいる。

放っておけば、容易く死ぬだろう。

こんな時にノスタルジーに浸かる暇があると思うな。


足を止めるな、目的を、忘れるな。

お前はもう、どこにでもいる都市住人なんかじゃないのだから。





105番達は、隠れ場所から出て、歩き出した。

都市内部に人工的に作られ、流れる川。

その川にいくつかある生活排水を流すための排水口。

人が入れるほどの大きさがあるそこが、105番達が選んだ場所だった。


排水溝の奥には、メンテナンスの為と思しき部屋があり、扉さえ隔ててしまえば、ドローンも猟犬も、早々見つけることなどできない。

都市外部の奴らが来てしまえばと思うだろうが、そもそも、こんな場所まで来る都市外部の人間は、皆無だった。

ドアに大きく「ここに4人、男1人、女3人、そのうち二人は幼女です!」と書かねば、誰もドアを開けようとしない。

いるかどうかわからない場所に行きたくない。

とにかくファストフードと変わらない待ち時間で、誰かを殺したい。

そんな欲求を優先するからこそ、ここが死角になる。


そこを出た105番達は、川の浅い部分を歩いて行く。

それでも、腹のあたりまで川の水に浸かる。

14番の顔と、火傷を水に浸からないように気を付けながら、川の水に足を取られないように、慎重に歩く。

73番も15番が溺れないように、抱えて歩く。

全員靴を脱いで、頭の上に乗せて、歩く。

尖った石がないため、幾分歩きやすいのが救いだった。

何故川の中を突っ切る必要があるか。

300メートルほど離れた距離にある橋に視点を向ければ、理由がわかる。



「ヒィッ!ヒッ!はぁっ!」


中年の男が、橋に向かって走る。

全身に切り傷があり、全裸のまま走る。

所々体の皮が無かったり、あるいは油性のペンで屈辱的な言葉を書かれていた。

何より頭頂部、本来髪の毛があるべきところは、まだらに短い髪の毛が残されていた。

走るたびにビール腹がぶるぶると震え、流れる汗は光を反射し、ほんの一瞬の青春感を演出する。


全裸中年を追い立てるのは、複数人のガスマスクだった。

手には血濡れの拷問道具を持ち、全裸中年を捕まえんと走る。


『一匹逃げちまった!捕まえてくれ!』


ガスマスクの一人が大声で前方、橋の上にいる人影に叫ぶ。

橋の上にいる人影は一人ではなく、複数だった。

いるのは同じガスマスク、しかし、装備が違う。

手に持つのは、特殊警棒、そして長方形の盾。

道を塞ぐ白と黒の二色が特徴的な車。


『検問だオラァ!』


橋の上にいる一人が威圧的な声を上げる。

それに全裸中年は一瞬たじろぐが、すぐに再び走り出す。

現状、全裸中年は挟み撃ちの形になっている。

前門の検問、後門の拷問。

後ろに振り返って走ったならば、ガスマスク達の持つ道具で体を傷つけられ、逃げ切れる可能性が低くなってしまう。

しかし、前方のガスマスク達の持つ警棒や盾ならば、顔や頭を守っておけば、すぐにやられる可能性は少ないはず。

そう考え、走り続ける。


全裸中年は橋を見た。

二車線歩道付き、欄干は全裸中年の腰より高い位置にある。

無理やり橋の上にいる妨害者をかいくぐり、ボンネットの上を転がって逃げる。

そう考え、遂に橋の上に全裸中年は足を踏み入れた。


『卑猥なもんブラブラさせやがって!』


ガスマスクの一人が、特殊警棒を全裸中年の腰から下に向けて指す。


『やるぞ!』


『おう!』


検問所にいるガスマスク達が、構えた。

全裸中年も、覚悟を決めた。

走る速度を緩めず、橋の向こう側に逃げる。

そして、ガスマスクの一人が振り下ろした特殊警棒を、腕で受けた。


「がががががが!?」


瞬間、全裸中年が痙攣を始め、その場で硬直した。

改造された特殊警棒から流れる電流が、全裸中年の動きを止めたのだ。


『逮捕だオラァ!』


『権力舐めんなオラァ!』


『警察官の言うことはちゃんと聞けやオラァ!』


『やましいことがないなら逃げんなよオラァ!』


「ヒィィィィィィィ!!!」


ガスマスク達は、そのような経験があるのか、そんなことを叫びながら、全裸中年を電流を止めた特殊警棒で袋叩きにする。

そこに追いかけていたガスマスク達も合流し、その場で拷問が始まった。

全身の皮を剥がれ、四肢を先端から少しずつ切り落とされ、眼球を抉られ、そして特殊警棒で何度も叩き潰され、骨と肉と臓器が潰され混ざりあい、挽肉が生まれる。

流れ出た血と飛んだ肉片、抉られた眼球が、欄干の隙間から川へと落ち、流れてゆく。


およそ全ての橋に、あのような検問が築かれている。

素直にああやって進めば、検問の餌食となり、死ぬだけだ。

105番はそうなることを知っているから、川の中を突き進んでいる。

上流から流れた血が、105番達を包む。

同じく流れてきた眼球が、14番を無機質な目で見つめ、下流へと流れてゆく。


気づかれないように、急いで川縁に辿り着いた105番達はすぐに生えていた背の高い草の中に姿を隠す。

傍にあるグラウンド、そこでも惨事が繰り広げられているのに、川を渡っている最中に気が付いたからだ。


「外野!そこまで飛ばすからな!」


「押忍!」


野球ユニフォームを着た男達が数人。

一人はえらく不格好な、凹凸があるバットを構えていた。


「んー!んー!」


猿轡を噛ませ、膝立ちにさせられた男が、バッターボックスの中央にいた。


「バッター、1番、俺。行くぜ!脳味噌ぶちまけろぉ!」


バットを振った瞬間、頭に当たった面が爆ぜる!仕込まれた火薬により、爆ぜるバットだ!

頭を打たれた男の首が吹き飛び、生首が放物線を描く。

外野手はその頭を特大のグローブで掴み、それを誇らしげに掲げた後に、川の方へとその頭を投げる。

岸の辺りに、流れずに転がったままの頭があるのを、105番達が見つけたから、すぐに隠れたのだ。


「出来る限り、服の水気を絞っておけ。絞れた水分がそのまま命に繋がる」


105番は、一度地面に寝かせ、14番の服の水気を着せたまま搾り取る。

今日の天気の設定が雨なら、そのまま行けるが、今は雨なんて一滴も降っていない。

このまま行こうものなら、したたり落ちる水が、105番達の足跡となり、容易に追跡されてしまうだろう。

靴を脱がせて川を渡ったのも、靴がずぶ濡れになって、足跡を残さないようにするためだった。

既に今日、あの火炎放射器使いに一度、大まかな居場所を探り当てられた105番は、14番の緊急事態であっても、念には念を入れて、痕跡を残す可能性を摘み取ってゆく。


「終わったよ」


「ああ、進むぞ」


再び14番を持ち上げ、しゃがみ姿勢のまま、草を倒さないように、進む。

さわさわと風に揺られ、草が揺れ動く。


その時、草の中から、大きな手がヌッと現れ、105番の左肩を掴んだ。


即座に14番の足を、抱えていた右腕を抜き、右膝の上へ。

その勢いのまま、肩を掴んだ何者かをサミングをせんと突き出した。


「おおい待て待て!俺だ!」


小声で叫ぶなどという無茶を成し遂げ、105番の腕を掴んだのは、朝食の時にひと悶着あった、あの大男だった。


「あんた、なんでこんなところに」


「こっちのセリフだ。ああ…98番」


大男は、掴みながら振り返り、グラウンドで頭を飛ばされた男のものらしき番号を呼んだ。


「…仲間か?」


「ああ…!同じ農場で隠れてたんだ…それをあいつらに見つかって…!牛の花子もあいつらに…」


この男が隠れていた農場は全焼、育てていた牛はすべて血液を抜いて殺され地面にばらまかれ、女は犯して殺し、子供はカカシに、男はこうして頭を球として提供をさせられている。

男はただ一人干し草の中に隠れた結果、生き残ることが出来た。

臭いや牛のふんの臭いなどで長時間の探索を嫌がったことと、早く犯し殺したい欲求を優先させたガスマスクたちの探索がおざなりになった結果であった。


「その子…朝お前らと一緒にいた子か?」


大男は、14番の火傷と顔を見て、朝に105番といた少女であるとすぐに気付いた。


「ああ、治療のために『都市病院』の所にまで行くつもりだ」


「バッ…!」


105番の衝撃的な発言を聞いた大男は素っ頓狂な声を出しかけるも、すぐに自分の口を押さえ、辺りを伺い、発見されていないか、警戒をする。

頭を飛ばす音と、歓声、そして風に揺れる草のさざめき。

気づかれていない確証を得た大男はグラウンドで殺人を行う集団を憚る声で、105番に問いかけた。

105番の真意を。


「お前、正気か…?あの毒をばら撒いてる奴らの所にこの子を連れていくと?」


なぜなら、大男は『都市病院』の所業を知っていたから。



『都市病院』

それはこの都市内にある組織の一つ。

オリジナルが立ち上げた組織の一つ。

病院と聞いて、思うイメージは色々あるだろう。

怪我の治療、病気の治療、手術、診断、あるいは死、別離…

色々あるかも知れないが、とにかく治す、あるいは死のイメージがあるだろう。


そして、件の『都市病院』は死のイメージを凝縮して生まれたような存在だった。


まず、死にかけの住人を、本拠地の、あるいは支配下の建物に連れ去ってゆく。

そして連れ去られた住人が、誰一人として出てきたものはいない。

次に、拠点近辺や多くの場所に、手下を潜ませ監視している。

それで、連れてゆくべき対象を探している。

最後に、都市内部の住人に、毒をばら撒いている。

錠剤の毒を、拠点近くにいる住人に持たせている。


まるで、都市伝説に出てくるような病院が、そのまま現実に、この監獄の内部に現れた。

そうとしか言いようがなかった。


そして、その悪行はここら一体の都市住人に知れ渡っている。

あまり仲間内以外に交友関係を築いていないこの大男ですら、その悪行を知っているほどだった。

そんなところに今、大男の目の前にいる男は、その手に抱く少女を連れて行き、あまつさえ治療するなどと宣っているのだ。

どう考えても、体のいい姥捨てならぬ娘捨てを企んでいるようにしか、大男は思えなかった。

それだけ、大男は、目の前の男、105番の事が信用できなかった。



「おい糞野郎、テメェ、その子を差し出して『都市病院』に取り入ろうって魂胆か」


大男は、再び105番の腕を掴んだ。

大男は105番の目的を、そうだと仮定した。

オリジナルの組織に取り入り、少女の命で浅ましく生き残ろうとしている。

『救イノ手』や『獄門組』よりまだ、『都市病院』の方が、取り入ることが出来る可能性がある。

大男の中で、義憤の炎が燃え上がる。

仲間を囚われ、現在進行形で遊び殺されているのも、拍車をかけていた。

大男も心のどこかで、理解していたのだ。

仲間はもう助からないということを。

だからこそ、今目の前で苦しんでいる少女を助けたいという思いが、強く燃え上がっているのだ。


「何考えてるか知らねえが、俺はあそこのボスと顔見知りだ。関係性は厳密には組織外の者だが、なんとかこの子を治療するくらいは頼み込んでみせるさ」


「はあ?つまりなんだ?テメェ。その子が助かるかどうか一か八かってことじゃねぇか」


大男の言うとおりだ。

14番が助かるか否かは結局のところ、『都市病院』のボスの胸先三寸次第でしかない。

105番は、そこのボスと知り合いだからという点でしか、ごり押すことが出来ないというのが実態だった。


105番は思う。

もし、塔悟がいたらもう少しやりようが、少なくともこんな危ない橋を渡らずに、14番を救う手があったはずだと。

105番の胸の内に、どうしようもない無力感が燻る。

すると、大男の腕を、73番が両手で掴んだ。


「お願いします。今は、トーゴの言っていることを、信じてあげてください」


「おねがい、おっちゃん。あんちゃんのことを今は見逃して!」


「…ああ畜生。少しでも妙な動きを見せたら、この子は別の場所に連れてくぞ」


大男は渋々といった感じに、105番を掴んでいた手を離した。

そして、すぐに周りの確認をする。

大男が105番に突っかかってから、三十秒ほどが経った。

今の状況でそれだけ、周りの状況の確認を怠るのは、命取りにも等しい。

それだけ、大男も105番も、精神的な余裕がないのだ。


「おーし次の球探しに行くぞー!」


「ウッス!」


グラウンドから、そんな声が聞こえ、105番と大男はばれない様に、草と草の間から顔を覗かせ、様子をうかがう。

グラウンドのバッターボックスは真っ赤に染まり、首から上を無くした死体が乱雑に積み上げられ、男達はスポーツドリンクを飲みながら町へと繰り出していった。


「……行ったか」


105番は目を細め、男達が消えるのを見届けた後に、腰を屈めながら草むらから出た。

男達が警戒のために残した物はない。

次にグラウンドを使用するために男達が戻ってくる前に、『都市病院』の建物へと進まなければいけない。

105番は73番と15番を手招きし辺りを警戒しながら進む。

そして、半分以上進んだ時に、あることに気づいた。

大男が付いてきていないことに。

そして後ろを振り返ると、大男は立ち止まっていた。

積み上げられた死体の前で。


「お……」


105番は声をかけようとしたが、声をかけてはならないと、大男を見てわかった。



泣いていた。

ボロボロと涙を流しなら、仲間の死体の前で立ち尽くしている。

本当なら大声で泣きわめきたいだろうはずなのに、声で気づかれないように、静かに泣いていた。


105番は理解していた。

あれは、別れを告げているのだと。

心の中で、一人一人に別れを告げているのだと。

本来なら、早く来いと呼ぶべきはずだが、それでは駄目だ。

無理に呼ぼうものなら、反発して不和の原因になるだけ。

だからこそ、105番は静かに待った。

頭の中で誰かが囁く「どうせ明日になりゃおんなじ顔の奴がいるんだから泣かなくたっていいだろうが」という言葉を吐き出さないようにして。



「……すまねぇ、急ごう」


時間にして二十秒ほどで、大男は105番達の後を追いかけて来た。

ズビッと鼻水を啜り、目元を泣き腫らしながらも、それでも無理やり気丈に振る舞いこちらを心配させないようにしている。

だから、105番は何も言わなかった。

73番も15番も、それを察したらしい。

5人は、グラウンドを後にした。

それを見計らうように、ロボットたちはグラウンドの清掃を始める。

あと数分もすれば、グラウンドの惨劇は跡形もなく消え去る定めだ。

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