Kill the Hair その③

 江戸城天守閣から、魑魅魍魎と共にそれを見つめる女が一人いた。

「アレは何事です、意次おきつぐ

「あなた様の仕業ではないので? すぐに奉行所の者を動かして参ります。……妙な輩ならば、すぐさま伝魔の牢獄に入れましょう」

 天守閣は天狗星と共に現れた妖怪たちによって築かれた摩天楼。かつて焼失してから再建することはなかったが、それを妖怪たちはわずか一晩で禍々しい自分たちの城として創り上げた。

 廊下の襖には百鬼夜行の絵が彩られ、こちらを睨みつける。障子には全て目玉がついている。そこを足早に、老中田沼意次は歩いていた。

「……源内、やりおったな」

 ニヤリとしたのも束の間。今後の事を想像して、彼の胃がギリギリっと痛み始めた。鼻づまりもである。


 一方奉行所の屋敷では、大久保雪剛が内藤寒九郎、瀬田冬之介と月見酒に興じていた。

「内藤さん、せっかくの月が隠れてちゃつまんないですねえ」

「こっちの方が風情があんだよ。ああいう月をな……」

 内藤の言葉はビーム砲で中断された。ぐい呑みが酒の雫と一緒に縁側に転がった。その中で流石に大久保はどっしりと構えたまま、手元のそれを飲み干した。

「寒九郎、冬之介。アレが俺達の烽火のろしだ」

 大久保は妻を呼びつけ、着替えを用意するように言った。すぐに幕府の役人から知らせが来ると察しての事である。そして同時に、白装束を綺麗にしておくようにも言った。

「え、大久保先生。満点丸君に押し付けるんじゃないんですか?」

「あれからよく考えたが、やっぱり事情を知らん若僧に責を押し付けるなど、俺にはできん。士道に反する」

「言うことがコロコロ変わるお人だなあ。介錯は私がやってあげますよ、それが一番苦しまないでしょう?」


 どれほど自分は長い事、宙を漂っていたのだろう。背中を酷く打ち付け、気づけば天を仰いでいた。風天丸がかがんでこちらを覗き込んでいる。手を伸ばそうとしたが、うまくいかぬ。

「腕が無い。もう刀を握れぬ、髪を斬れぬ。……忍にも戻れぬ」

「……俺さ、今青く光る妖刀使いを探してんだ。そのためならなんだってやるって決めたんだ」

「つくづく似ておるなあ、拙者もそう決意してここまでやってきたが、このように頽れてしまった」

「すまねえ、許してくれ」

「いや、こちらも詫びねばならぬ。拙者はお前に隠し事をしておった。……里を抜ける時すら、言い出せなかったのだが」

 二人の隣で妖鬼妃は空を睨みつけていた。「未だ雲すら貫けぬのか」と苛立っているようであった。

「実はな、お前の名前は……別に仏法十二天の風天からとられたわけではないのだ。その日が風の強い夜だったゆえ、頭領とそう名付けたのだが……思いのほかお前が気に入っておるので、その……ゴホ」

「ぷ、やっぱ兄貴はさ、世界を変えるとか、そういうの似合わねえよ。俺の手裏剣下手も兄貴ゆずりだし、床屋なんかの方が似合ってるぜ」

「…………では口で鋏を扱う修練をしなければな」

 と、その時である。地面から男の頭が生えてきた。いや、というよりは暗闇の海から顔を出したと言った方が正しいだろう。男は髭面と古風な茶筅髷でもって、ずるりと影から身体を引っ張り出した。黒い直垂姿で、腰には黄金の太刀を差してある。

「おーおー、手ひどくやられたではないか」

 満身創痍のツゲ之進を小脇に抱えると、彼は再び影に沈んでいく。

「待て、兄貴をどうする気だ!」

「どうするも何も、最早こいつは人間ではない。同朋ようかいの面倒を我らようかいが見るのは、当然のこと。……それにしても先程のド派手なパフォーマンス、お主何者だ」

 既にツゲ之進は全身が沈んで見えなくなっている。「風天丸だ、青く光る妖刀使いを探しに来た」と声を張ると、男は妙に楽し気に笑い、闇に溶け、そこを泳いだ。脇に抱えたツゲ之進は、うめき声をあげながらも大人しく収まっている。

「拙者にかまうな。あの刀を失った今、最早妖怪ではない」

「そうかい。……にしてもツゲさん、お主がいくら髪に執着しているとはいえ、大妖怪として恐れられたいなら首ごと斬り落とせばよかったのではないか? そしてその生首をセットして晒すとか」

「…………だって、人間の血はグロテスクではないか、ゴホ」

「あっはっはっは! それだからお主は大妖怪たりえぬのだ!」

「どうでも良い……もはや妖怪ではないのだから」

 男は顎で、ツゲ之進の腕の方をしゃくった。視線を落としてみると、先ほどまで肘のあたりで焼き切れていた腕がある。そして掌は、よく研がれた鋭い鋏となっていた。

妖刀が無くなればただの人間。しかし柳堀で人々に恐れられた『髪切り』とは、紛れもなく彼の事。今宵からは正式に百鬼夜行の末席である。

「行くぞ」

 髪切りが頷いた。その表情は破顔していた。


 さて、風天丸は夜道に座り込んでいた。先程の騒動が嘘のように往来は静かである。蟋蟀こおろぎがどこかの家屋で鳴いている。

「おい、もう髪切りの件は済んだぞ。早う家路につけ」

「家路…………家路ったって、俺たちどこに帰りゃいいんだ。源内先生の牢獄か?」

「木偶の坊。あんな場所に戻ってたまるか、せっかく外に出て来たというのに。あの喧しい長屋に決まっておろう」

「いいのかなあ」

「一夜も二夜も同じことじゃ。さ、ゆけ」

 箱を背負うと、前より重くなったような気がした。遠くから数名がこちらへ走ってくる気配がある。奉行所の連中だろう。

「そうだ、お前に名前を付けてやるよ。あの名前嫌いなんだろ」

「変なのじゃったらお主にさっきのビーム食らわせるからな」

 今宵は風など吹いていなかった。月には刷毛で描いたように雲がかかっている。

おぼろにしよう、どうだ風流だろ」

「お主、空見て決めたじゃろ。まあ、妖鬼妃よかマシじゃな」

 二人は人目を避けながら観龍長屋へ走った。その様子を柳の影から人影が見ていることに、彼らは気づかなかった。鞘から覗くその刀身は、暗闇の中で青く光っていた。

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妖江戸パペット 備成幸 @bizen-okayama

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