第2話 丘の屋敷の少女

1.依頼書

 雨の中、まだ夜の深い時間にもかかわらず扉が勢い良く開き、とるものもとりあえずといった様子で数人の人影が飛び出してきた。


「出た!やっぱり出た!」

「逃げよう!はやく!」


 口々に悲鳴を上げて、雨が打ち付けるのもかまわずに、ランタンも持たずに真っ暗な道を、文字通り転がるように駆け出していく。


「急いで!早く逃げるわよ!」


 荷物も何もかもを放り出して、我先に逃げ出す旅人たち。


「………」


 それを見つめていた白い少女は、無言でふわりとドレスの裾をひるがえして夜の闇に浮かび上がる屋敷の中へと姿を消したのだった。




「……幽霊退治……?」

「だそうだ。そもそも幽霊なんていう物理が効かない相手をどう退治すればいいかなどは分からないが」


 ヴェルークの冒険者ギルドの依頼掲示板を眺めていたアーシェに、エドガーは先刻依頼書を更新しに来たギルド職員に「こういうのはどうですか?」と手渡された依頼書を差し出した。


 初めての依頼からひと月と少し。8月になりヴェルークもすっかり夏だ。

 夏だからと言っても、駆け出しの身としてはまず仕事が最優先である。

 どこかの海洋都市で依頼のついでに、砂浜で水遊び……という訳にもいかず、またそういう依頼があったとしても、数少ないおいしい依頼であるため中堅や熟練の冒険者パーティがすでに請け負ってしまっており、駆け出しパーティは地道で堅実に仕事をこなしていくしかないのだ。

 まだ午前中でありギルド内の窓という窓は開け放たれ、時折魔術による室温調整を行っているようだが、暑いものは暑い。


 ギルド職員の制服も袖の短めな夏仕様に変わり、アーシェたち冒険者も仕事時以外ということもあり袖の短いシャツやブラウス、種族や民族によっては上半身裸であったり、簡素な胸当ての身といった軽装で過ごしている。

 何となしに待機所に目を向ければ、果実水売りのおばあさんがいる一角はいつもよりも多くの冒険者でにぎわっており、その繁盛ぶりに手の空いたギルド職員がおばあさんを手伝っている姿が見える。


「……この仕事、報酬がなかなかいい金額ですね。2000シリルだそうですよ」


 クレールがアーシェの手にした書類を覗き込んだ。

 クレールも草色のローブの袖が暑いのか、ベルト代わりに腰に結んでいる細い帯と同じ物でたすき掛けにして無理やり5分袖にしている。


「2000シリルってことは鉱山の依頼の倍じゃない。すごい難しい依頼じゃないかしら……」


 ラファリ鉱山の依頼の報酬は1000シリル。それに加えて大蛇討伐の報酬で800シリル上乗せされて1800シリルの報酬を得たのだ。


「しかもこの依頼はヴェルークとカートルの二つの都市からの依頼ですから、堅実な依頼ですよ。……幽霊っていうのが気になりますけど……」

「エドガーも言ったけど物理が通らない相手にどう戦えばいいのかしら……?」


 アーシェは手にした依頼書に目を落とす。

 報酬も、依頼主もいい条件だ。

 ただ、幽霊退治というのが何とも言えない。


「教会の司祭様でもだめなのかしら……」

「まず、司祭はそう教会を空けて遠出はできないんじゃないか?」


 呟くようなアーシェの疑問にエドガーが思案しているのだろう、小さく唸りながら答える。


「まあ、考えられる方法としては、神の加護や祝福を受けた武器や神聖魔法が有効とは聞きますけど……僕たちのパーティだと……」

「神聖魔法を扱えるのはいないな。セイシェスの魔術とは系統が違うだろうし……できそうなのは教会で聖水を買い込んで、後は司祭に武器に祝福と加護の祈りを施してもらえば何とかできないことはないと思うが……」


 対応策を考えるクレールとエドガーを見上げて、アーシェはぽん、と2人の背中を叩いた。


「とりあえず、ジークとセイシェスもカウンターにいるし、ベロニカさんに聞いてみましょうか」


 わからないまま思案を続けるよりも、まずは情報を揃えましょう、とアーシェは入り口から入ってすぐ近くに並ぶカウンターに向かって歩き出した。



「ジークさん、セイシェスさん。お預かりしていた身分証をお返ししますね」


 カウンターでベロニカはいつもの、一部の冒険者たちからは『微笑みの女神』と熱狂的な支持を受けている笑顔で、2人の前にそれぞれ身分証のプレートを並べた。


「遅くなってごめんなさいね。思った以上に時間がかかってしまって……。でも、お2人とも問題なく無事に審査に通りました。『剣』の刻印、おめでとうございます!ギルドでも久しぶりの最速ランクアップでみんな驚いていましたよ」


 ベロニカの指がジークとセイシェスの身分証を裏に返して、そこに刻まれた剣の刻印を示した。

『刻印なし』と言われるまっさらな裏面に、ギルドが技能や経験を認めた証でもある『剣』の刻印が刻まれている。


「これでオレたちも刻印持ちか」

「まさか、登録して初めての依頼でランクが上がるなんて……私も驚きました」


 ラファリ鉱山の依頼から帰還後、大蛇を退治したこともありベロニカの推薦とエドガーたちにも勧められたこともあり7月になるのと同時にジークとセイシェスは刻印の申請書を出したのだ。


 そして依頼内容の精査に、大蛇討伐の確認、鱗の鑑定。さらには『剣』の刻印にふさわしいか、ギルド職員立会いの下の盗賊ギルド、及び王立魔術院のそれぞれの幹部による技量査定に技能試験。

 これらをこなしてジークとセイシェスは『剣』ランクの冒険者として身分証に刻印が入ることになったのだ。


 やはり、あの大蛇を退治したのと山賊の件が査定に大きく影響を与えたのもあるだろう。

 山賊の頭目もあの後、ヴェルークの治安隊がハロウズ近郊の村や町に赴き、現地の若者を募っての大規模な周辺の捜索を行ったことで、身柄の確保に至ったのだ。


「2人共、身分証貰った?」


 エドガーとクレールと共にカウンターへやってきたアーシェが2人に声を掛けた。


「ああ。ほらよ」


 ジークは自分の身分証をカウンターからとると、アーシェに見せる。

 しっかりと刻まれた剣の刻印をアーシェは指でなぞり、ジークに微笑んだ。

 その身分証に刻まれた刻印に、ジークやセイシェスの実力が認められた気がして自分まで嬉しくなる。


「すごいわね。わたしも追いつかなきゃ」

「アーシェも一緒に申請すればよかったのに……。アーシェだって頑張っていましたし、山賊とやりあった時も奮戦していましたよ?」


 さすがに8月なので麻の軽やかな素材にはなったが、袖の長いゆったりとしたローブコートを羽織るセイシェスがそう声を掛けながら、彼女が依頼書を持っていることに気づいて、場所を開ける。


「ううん、わたしはまだ技能が足りないと思うの。みんなみたいに戦えていなかったし……」


 アーシェは申請書の提出を辞退していたのだ。

 エドガーやセイシェスがアドバイスをくれたから、平常心を何とか保てただけで、実戦では防戦一方だった。

 もう少し、実戦経験を積まないといけない。

 アーシェはセイシェスに微笑んで首を振った。


「お、次の依頼見つけたか?」


 ジークもアーシェの手にした書類に気づき、ベロニカの向かいをアーシェに譲る。

 ありがとう、と礼を言いつつアーシェは依頼書をカウンターに差し出した。


「ベロニカさん、この依頼について教えてほしいのだけど……」


 にこりと微笑みベロニカはアーシェを見つめた。


「はい。では依頼の説明をいたしましょうか」

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冒険は風の標すその先に 月守 宵 @yoi731

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