これが目に入らぬか!

ネコ エレクトゥス

第1話

 すごい写真を見てしまった。何であんなことがあり得るのか。何がそんなにすごいのか。印籠。

 美術図鑑に載っていた幕末の印籠の写真なのだが、よく見ると何かがおかしい。普通印籠というと『水戸黄門』のテレビでも見るように上に開くものなのだが、その同じ印籠が観音開きのように横にパカッと開いている。どうしたらあんな構造が可能になるのか。ただ上に開くというだけなら時間さえ与えてくれたら僕だって作ってみせる。横に開くだけでも同じこと。もし実物を見せられたのなら「ああ、こんなことか」と思うのだろうが、そうでもないと上に開くものがなおかつ横にも開くということが想像できない。非常に奇妙な光景だった。

 江戸時代、大きく見れば平和の時代が続いた日本では、他の国なら戦争にでも流れ込んでいたはずの知恵や技術が奢侈品と呼ばれるようなものに流れ込んだ。印籠もその一つ。そしてある時何かが起きた。その結果、本来上に開くものや横に開くものだっただけの印籠が上にも横にも開くようになってしまった。

 それと同じ「何か」が奈良時代から平安時代にかけても起こった。


 日本が世界に誇る最高の建築物、法隆寺の五重塔。五重塔が作られる前にも多くの仏教建築物が作られたのだろう(中国の唐の都が寺院で埋め尽くされていたと言われるように)。ただ、今も昔も変わらぬ自然災害大国日本では多くの建物が倒れていったのだろう。現代の僕らが知らないだけで。当時の人たちはその光景を見ていた。そして何とかならないものかと悩んだ。そしてある時「何か」が起こった。その結果あんな建物ができてしまった。

 エジプトの有名な三大ピラミッドはその前段階として多くの小型のピラミッドがあったことが知られている。だからどのようにして三大ピラミッドができたかの大まかな流れを知ることはできる。ただ法隆寺の五重塔は不思議なことに後にも先にも同じようなものが全くない。ということはあの五重塔を作るのが当時の人たちにとってもいかに負担が大きかったかということの表れなのだろう。労力としても物資としても。結果あのようなものを作ることに関心を失っていった。また時代の流れが仏教寺院を十円玉で有名な平等院鳳凰堂のようなスタイルに変えてしまったこともあって、二度とあのような建物が作られることはなかった。

 同様に武士の時代の終焉、明治の到来とともに印籠に対する関心も失われてしまった。残念なことに優秀な印籠の多くは海外にあるという。ただ僕らには五重塔がある。いつまでも。

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