迷宮病(旧)

しめさばさん

迷宮病

冒険者だった僕の父、ハルディンが家に帰ってきたのが僕が十二の頃。父はそれまでも、腕の立つ戦士としてあちこちの戦場や魔物の討伐に参加してきたが、五年前に最後の冒険として、ファランドゥールという街にある地下迷宮に仲間と共に潜った。その迷宮で、田舎町で家族四人が暮らすぶんには、少々贅沢してもお釣りが来るくらいの稼ぎを得て、僕らの待つミードの町に帰ってきた。

 僕も母も大喜びで父を迎えた。弟のトールは、最後に父の顔を見たのが四歳の頃で、ちゃんと父の顔をおぼえていなかったのだろう、久々に家に帰ってきた父を珍しそうに見つめていた。

「マックス、大きくなったな。いくつになった?」そう言いながら、父が僕の頭を撫でる。その指には、母との結婚指輪が大事そうにはまっている。

「もう十二だよ。トールは九歳」

「そうか、ずいぶん経ったものだ。俺が迷宮に行く前にはまだ二人ともほんの子供だったのに」

「父さん、これからはずっと家にいるんでしょ?」

「ああ、もう十分に稼いだし、お前や母さんにも寂しい思いをさせた。これからはのんびりと畑でも耕して暮らすさ」

 その言葉に僕とトールは飛び上がって喜んだ。



 その日から、父に異常が出始めるまで一週間とかからなかった。


 

 最初におかしいと思ったのは、父が晴れた日や明るい居間を嫌がるようになったことだ。

「どうにもな、光が眩しいんだ」

 そう答えた父のいる部屋は、何一つ照明が灯されていなかった。

「ずっと薄暗い迷宮の中にいたからかもしれないな。暗いところに目が慣れすぎてしまったのかもしれん。まあ、そのうち元に戻るさ」

 その時はそんなものなのかな、くらいにしか思わなかったが、その後も父の奇行は続いた。


 その日は薄曇りの日で、父も外に出て、家族で農作業をしていた。途中、納屋からロープを取ってくると行って畑を離れた父が、小一時間経っても戻ってこない。途中で誰か近所の人にでも会って立ち話しているのかもしれないが、ロープが届かなければこれ以上作業が進まないこともあって、僕が納屋の様子を見に行った。

 父は、納屋の前でじっと立ち尽くしていた。

 厳密には、納屋の中にあるチェストの前だった。雑多な道具を突っ込んであるだけの、何の変哲もない木の箱の前で、父はその身を固くしてじっと立っている。

「父さんどうしたの?ロープなかったの?」

 僕が後ろから声をかけると、父はゆっくりとこちらを向き「鍵が……」と呟くように言った。

「鍵?」

 僕もチェストのそばまで進み出て見てみたが、鍵などどこにもかかっていない。それどころか、あれこれ物を詰め込みすぎて、少し蓋が浮いてさえいる。そもそもただの農具入れの箱に誰がわざわざ鍵などかけるというのか。

 僕はそのままチェストを開けてロープを取り出すと、蓋を持ち上げたまま父を見た。「どこにも鍵なんてかかってないよ、父さん」

 あっさりと蓋の開いたチェストを見て、父はようやく安心したように大きく息をついた。

 

 父は前にもまして、昼間は暗い部屋にいることが多くなった。曇りや雨の日、それに日が沈みかけの時間になると普通に散歩に行ったり庭でくつろぐようにはなったが、一度ならず、庭に迷い込んできた野ウサギを異常なまでに恐れる姿を目にするようになった。

 かつてはオークやトロールとも臆することなく戦ったはずの父が、ウサギを見るなり椅子から飛び上がって身構える様子は、見ているこちらとしては滑稽を通り越して悲しくなるほどだった。この三ヶ月、父をこの先どうしたものかと母が悩んでいるのが手に取るようにわかる。せっかく家族が揃って暮らせるはずだったのに、家の中は重苦しい空気に包まれていた。僕もトールも、父が何か変なことを言い出さないか毎日神経を尖らせられ、日々をうんざりした気分で過ごしていた。

 そしてついに、きわめつけの一件が起こった。


 夕食の準備をしていた僕と母の耳に、トールの泣き叫ぶ声が飛び込んできた。慌てて駆けつけると、そこには床に倒れたままわんわんと泣き喚く弟と、呆然と握り拳を見つめる父がいた。母がトールを抱き上げると、弟のこめかみの端から赤い血が流れている。

 父はまだ、呆然と弟を──弟が倒れていた床の辺りを見ながら立ち尽くしていた。父の指に、わずかに赤いものがついているのが見えた。


 もうたくさんだ。



 出来上がったばかりの夕食に手もつけず、僕と母は必要な荷物だけをまとめて、弟の手を引いて家を出た。町はずれの教会に着いて神父さんに事情を話すと、今夜はここに泊まるように言ってくれた。

 トールはこめかみの辺りを切って血が出ていたので、神父さんはその手当てもしてくれた。運悪く、殴られた際に父がはめていた結婚指輪が当たって切れてしまったらしい。

 その日は僕と弟は一緒のベッドで寝た。母は遅くまで、神父さんと何か相談をしていたようだった。

 翌朝、神父さんが家に行ってみると、父の姿はどこにもなく、食事もそのままに冷え切っていた。





 父が姿を消してから四年。十六になった僕は、ミードとは別の町の宿場で働かせてもらっていた。

 父は家のものに何一つ手をつけず出て行った。迷宮で稼いだお金もまるまる家に残ってはいたけど、どうしても使う気になれずに、教会に全部寄付した。あの家にももう住む気になれず、今の僕らは、酒場に併設された宿屋で住み込みの従業員として働いて、つつましく暮らしていた。ただし、弟はあの夜父にいきなり殴られたショックからか、他人を怖がるようになってしまったので、今もミードの町のあの教会で過ごしている。教会への寄付は、弟をお任せするから、という理由もあった。

 僕がたまに教会まで様子を見に行くと、建物の周りで草むしりをしたり、玄関先を掃除したりしている姿をよく見かけた。僕に気付くと、弟はニコニコして手を振ってくれるが、そばまで近寄ると途端に恐怖と緊張の発作が出てしまうらしいので、僕もその場で手を振り返す。

 家族がこんなふうになるなんて、四年前までは思いもしなかった。けど今それを嘆いたって仕方ない。父が帰ってこないなら、僕が働いて暮らしを助けないと。






「お、きたきた。これで七通目だな」

 行商人ベッカーは荷馬車の中で、これから町で売り捌いたり、配達する荷物を地区ごとに仕分けしていた。ファランドゥール発の荷物の中に、ミードの町行きの小包みを見つけ、差出人を見てニンマリと笑う。

「ハルディンさんとやら、あんたのご家族はもうミードにはいないんだそうだよ。それを知らずにまあ、殊勝な事だねえ」



 ハルディンから彼の家族への包みは、これまでに何度もファランドゥールからミードに向けて出されていた。しかし、四年前、最初の包みをベッカーがミードに持って行ったときには、もうすでに彼の家族は別の町に逃げるように引っ越して行った後だった。

 家族に逃げられるなんてどんなヤツだ、と、ベッカーが荷馬車の中でこっそり封を解いてみると、中身は手紙と、金貨や宝石のつまった小さな袋だった。思わず口笛を吹きそうになりながら、ベッカーは手紙へと目をやる。

 

『マックスへ


 突然いなくなってすまない。トールは大丈夫だっただろうか?怪我はしていないだろうか?

 あの時、私の目には、あの子が迷宮の死角から襲いかかってくるゴブリンのように見えたのだ。それで、反射的に殴ってしまった。酷いことをしてしまったと思っている。

 あの後、私はファランドゥールの街に戻った。ミードの町にいる間ずっと、迷宮の幻覚が私を苦しめていたからだ。庭の野ウサギが魔物に見えたり、ただの木箱が罠を仕掛けられた宝箱に見えたり……迷宮の幻覚を見るなら、原因は迷宮にあると考えたからだ。

 

 どうやら、迷宮に潜り続けた冒険者の中には、私のような症状が出るものがたまにいるらしい。冒険者を引退した元僧侶に教えてもらった。

 熟練の冒険者の間では、『迷宮病』と呼ばれているものだ。迷宮の環境に身も心も慣れすぎて、外にいても迷宮にいるような幻覚を見たり、暗いところに引き寄せられるようになるのだという。迷宮を構成する魔力との相性とか、色々と難しい話も聞かされたが、それは今は置いておこう。


 マックス。はっきり言おう。私はこのまま、また迷宮に潜る。

 迷宮病は薬で簡単に治るものではない。長い時間をかけて、再び外の環境に身体を馴染ませなければならず、その間幻覚がいつまた私を襲うかわからない。もしまた、家族を傷つけることがあったら、私はどうしたらいいかわからない。

 

 私がいなくなることで、また迷惑をかけるだろう。迷宮での稼ぎを、引き続き送ることにする。こんなことでしか助けになれなくて本当にすまない。

 トールと母さんによろしくな。


ハルディン』



「ふーん」

 特に感銘も受けず、ベッカーは手紙を雑に畳むと、荷馬車の外の焚火に突っ込んだ。他所の家庭の事情には興味もなければ情もない。大事なのは、このハルディンという男はファランドゥールの迷宮に釘付けにされて二度と帰らない。そして家族はそのことを知らず、今別の町にいるということだけだった。

 ベッカーは金貨の袋を愛しそうに持ち上げ、中身を数えにかかった。



 その後もハルディンの包みは、不定期にファランドゥールから発送された。その度に袋は重くなり、逆に手紙は短くなっていった。ベッカーはそのたびに、手紙を焚火にくべ、金貨を自分の服のポケットに突っ込んでいった。

 四通目の手紙は、なんとなく開いて読んでみた。


『マックスへ


 今までは街に戻って手紙を出していたが、もう夜の街ですら、私には明るく感じる。これからは、迷宮の中で手紙を書こう。迷宮の入り口の兵士に手紙を預けて、彼に発送してもらうことにする。

 母さんやトールは元気にしているか? 畑は豊作か? お前たちに会いたくてたまらない。しかし迷宮の恐ろしく深い闇が、私を捉えたまま離してくれない。

 私の指にはまっている、母さんとの結婚の時の指輪。この指輪が辛うじて、私を人間として引き留めていてくれる』


 読み終えたベッカーの感想は、「今後この兵士が金貨を自分の懐に入れるんじゃないか」だった。せっかくいい小遣い──というには大きすぎる額にもうなっていた──稼ぎができたのに。

 しかしベッカーの不安を他所に、しばらくして五通目もズッシリとした金貨袋とともに荷馬車に現れた。今後の動向を知る為に、ベッカーは初めて真面目に手紙を読んだ。

 

『マックスへ


 さいきんどうも、文字がよくおもいだせない。

よみにくいかもしれないが、ゆるしてくれ。


 いまはずっと、迷宮の地下でくらしている。

もう迷宮をくらいとかんじないし、おそろしくもない。


 ひさしぶりに、ちかふかくまでおりてきたぼうけんしゃと、話をした。

 わたしは、もう、まものとも、人ともちがうものに、なりつつあるらしい。まじんとよばれる存在になるのだそうだ。そうなれば、にどと迷宮の外には出られない。


 マックス。おねがいがある。いちどファランドゥールにきてくれないか。いまならまだ、私も迷宮の入り口までならいける。

 せめてさいごに、おまえとはなしたい。


ハルディン』


 これはもう長くないな、とベッカーはため息混じりに手紙を畳んだ。魔人と呼ばれる者のことは、ベッカーも冒険者から聞いたことはある。迷宮に心を喰われ、人でありながら、魔物の渦巻く迷宮に棲みついてしまう者。人としての姿は残しつつ、その強さや生態は魔物のそれと変わらない。時に最深部で、迷宮の主よりも強い個体となり、冒険者ギルドが討伐依頼を出すこともあるらしい。

 なるほど、迷宮病の末期が魔人化か。


 そして六通目が、ほとんど間を置かず届く。これまでの倍はある大きさの袋を見て、ベッカーは文字通り躍り上がった。 


『マックス、ファランドゥールには いつきてくれる?

りょちんは こんかいのつつみで たりるだろう

すこし おおめに いれておいた

おまえがきてくれるのを たのしみまっている』


 ハルディンの痛切な思いの綴られた手紙を見て、ベッカーはほくそ笑んだ。このまま焦らせば、次はもっと大量の金を包んでくるだろうか?

 おぞましい考えだが、恐れることは何もない。相手は迷宮から一歩外に出て来ることすらできない魔人なのだから。


 そして今、七通目が目の前にある。おそらくこれが最後の包みになるだろう。いそいそと荷物の山の中から包みを持ち上げると──軽い。

 今までと同じくらいのサイズの包みだが、金貨の重さではない。嫌な予感がして、ベッカーは包みを乱暴に破り捨てた。


 中から出てきたのは、布や綿で丹念に包まれた指輪だった。銀製だが、所々汚れて、細かい傷があちこちについている。これでは到底売り物にならないだろう。よりによって最後がこれか。ベッカーは舌打ちとともに、指輪を荷馬車の隅にある、処分予定のガラクタの箱に投げ込んだ。



 ベッカーは気づかなかったが、指輪を包んでいた布の中には、一枚の紙切れも一緒に入れてあった。そこには震える字で


『すまない』


 とだけ書かれていた。



 


 迷宮都市ファランドゥールで、魔人ハルディンの名前が囁かれるようになるのは、この半年ほど後のことになる。


 

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迷宮病(旧) しめさばさん @Shime_SaBa

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