第8話 ドラゴンの騎士道②
初日の夜は川辺でキャンプを張り、船は二日目の昼にトゥルハンスクへ辿り着いた。トゥルハンスクは八年前まではノヴァヤ・マンガゼヤと呼ばれた場所で、ここから北西にある商業都市マンガゼヤの衛星都市として興った村だ。海の氷が解け始める春から夏にかけて、活発に交易に行われているはずが、トゥルハンスクの街は閑散としていた。昼だというのに外へ出る住人が見当たらない。桟橋でヴァシリたちを待っていたのはトゥルハンスクの駐屯兵長、ドナート大尉だった。形式的な挨拶を交わし、ひとまず彼らの防塞に案内された。防塞で荷物を降ろし、ヴァシリはドナートから詳しい事情を聞くことになった。
ドナートはヴァシリたちに紅茶を出して話し始める。
「アントニーたちが去ってからの状況は、さほど変わりありません。ドラゴンは食事と眠るとき以外は教会近くの墓地をウロウロしているようです。今は近くの湿地帯にある巣に帰っているようですが、いつ戻るやも分かりません」
「トゥルハンスクでは既に五人やられていると聞いた。その五人がドラゴンに遭遇した状況を詳しく教えてくれないか?」
ユーリが訊ねた。ドナートが少し怪訝な顔をすると、ヴァシリが助け舟を出す。
「彼はドラゴ・ドゥーマ山脈に住むドラゴン殺しの一族の末裔、いわばプロフェッショナルだ。子供扱いはしないでいい」
「では」
ドナートは咳ばらいを一つすると、
「最初の犠牲者、キーラから説明いたしましょう」
キーラは酒場を営む父親、ヤーコフに頼まれ、教会地下に保存された酒類を取りに出かけた際にドラゴンに襲われた。かぎ爪で持ち上げられた際に、暴れたせいなのか、最初からそうするつもりか、空から落とされて首の骨を折った。発見したのは父親のヤーコフだった。娘の帰りが遅いのと、村中に響いた恐ろしい嘶きを心配して探しに来たのだった。
次に襲われたのは教会の神父で、キーラを墓地に埋葬して一日後のことだった。夜に黒い影が村の上空を横切ったかと思うと、まっすぐ教会へ向かった。駐屯兵長のドナートが様子を見に行くと、教会の前で体をズタズタにされて息絶えた神父を発見した次第である。
二人の農夫が襲われた状況はキーラや神父よりも単純だった。農場での作業中に飛来したドラゴンにまず農夫の一人が襲われ、助けようとしたもう一人が返り討ちにあった形だ。
しかし駐屯兵たちも黙って状況を静観していたわけではない。神父の襲撃でドラゴンの存在を認知した彼らは村の周囲を徹底的に捜索し、ついに西の湿地帯でドラゴンを見出した。彼らは扇状にドラゴンを包囲して、ドナートの合図で一斉に銃を撃った。 だがドラゴンの堅い鱗は銃弾を弾いた。怒ったドラゴンは暴れ回り、火を吐いた。兵士の一人がこの火の直撃を受けて死んだ。
「正直、我々には打つ手がありません。ドラゴンは、あまりに未知すぎる」
ドナートがため息を吐きながら言ったそれは感情的なものでなく、理性的な、堅い諦めだった。
「遺体の状況は?」
ユーリがそう訊くとドナートがぎょっとしたようにヴァシリを見た。構わずヴァシリが続けるように促すと、ドナートは五人の遺体の状況について詳しく話し始めた。
「歯形は無い、となると捕食が目的ではないということか」
「何かわかったのか?」
ヴァシリの言葉にユーリは首を振って立ち上がり「現場を見てみたい」と言った。
「まず教会だな」と、ヴァシリが銃に弾を込めながら言った。もちろん腰にはグロムを下げている。
「そのつるはしのようなものは?」
ドナートが訊ねるとヴァシリは「ドラゴン殺しの武器です」と答えた。
ドナートを始め、トゥルハンスクの駐屯兵たちは不思議な目でグロムを見た。兵士の一人はこれに霊的な力があると思ったらしく、十字を切った。
ヴァシリたちはドナートたちトゥルハンスクの兵士たちの案内で、キーラと神父が襲われたという教会へ辿り着く。
「ドラゴンが現れたらすぐに逃げてくれ」
ヴァシリが駐屯兵たちに言うと、彼らは「言われるまでもない」という表情をした。 トゥルハンスクの教会は北の森へあった。確かにドラゴンはいないようだった。辺りは荒らされている、というより局所的な嵐でも吹いたようだった。教会の前は塵一つなく、玄関は吹き飛ばされ窓ガラスは割れていた。墓石は殆どがなぎ倒され、折れた木の枝や石、枯葉が散乱している。
一体、こんな状況からどんなことが読み取れるのだろうか。ヴァシリはユーリに倣って、周囲を観察するが特に目に付くところがない。ユーリならこの状況を長年の経験でどう読み解くのだろうか。オリガに至っては退屈そうにあくびをしている。
「ヴァシリ、オリガ、これを見てくれ」
ユーリがそういって地面の凹みを指す。いや、それはただの凹みではなく、足跡だった。こんな基本的なことを思いつかないとは、とヴァシリは自分の浅慮を恥じた。足跡はⅤ字型で、鳥に似ていた。
「この足跡は二趾足に近いな。第二、第三趾足と第四、第五趾足がくっついて前へ、第一趾足は無し、代わりに踵の跡がある」
「つまり?」
「この足跡は全部後ろ足だ、前足なら踵の痕跡は残らない。このドラゴンは二本足で歩いている。四本足で歩くワイバーンは、この時点で候補から外れるな」
「なるほど」
「教会の前に足跡が集中しているのはドラゴンがここでしか離陸できないからだろう。あの巨体が飛び去るには十分な助走距離と翼を広げられるだけの広さが必要だ。湿地に巣を構えているのも同様の理由だろう。木々が少なく、見通しが良い場所だ。外敵が来てもすぐに飛んで逃げられる。もっとも、ここで奴の外敵になりえる生物は存在しないだろうが」
足跡は森の奥の墓地まで続いていた。足跡だけでなく、ところどころへし折られた木の枝も、ドラゴンが通過したことを物語っている。ヴァシリたちが足跡を辿っていくと、足跡は墓地の終端までたどり着いた。地面の形跡からすると、ドラゴンはここで寝転がっていたようだ。相当ここが気に入ったらしく、邪魔な木々はなぎ倒されている。バタバタと折れて、割れて倒れている墓石の郡は見る者の心を痛めた。ドラゴンは死者にも容赦が無い。
そんな中でヴァシリは奇跡的に無傷の墓石を見つけた。それはキーラのものだった。ヴァシリは心底ほっとして、十字を切った。
「おっ、これは鱗じゃないか?」
オリガが得意げに地面から確かに鱗らしい、青い破片を拾い上げる。それはステンドグラスの破片のように、太陽に照らされてキラキラと光った。ヴァシリも思わずその美しさに見とれるが、ユーリの反応は違った。
「まさか!」
ユーリはオリガの手から鱗を奪い取って日にかざした。そして信じられない、という声で「これは胆礬の鱗、この大きさだと生後一年三ヵ月あたりか」と言った。間違いない、ドラゴンの正体はクエレブレだ!」
そのとき、上空から大きな影が落ちた。
「来たぞ!」
駐屯兵が叫んだ。
クエレブレは教会を中心に旋回しながら徐々に高度を落とし、教会前へ音もたてずに着地した。突風のような風が、遠く離れたこの墓地にも吹き付けた。
「どうする?」
ヴァシリがユーリにたずねる。
「森の中へ逃げろ!」ユーリが言った。「ここは俺たちも一旦、引くしかない!」
「わかった!」
そういってユーリもヴァシリもクエレブレから背を向けた時だった。
しかし「現れたな怪物め!」一人、オリガがグロムを抜いてクエレブレに向かっていくではないか。
「このオリガが成敗してくれる!」
「駄目だオリガ!」
ユーリが止める。
「クエレブレの鱗には毒性がある! 砕けた破片を吸い込めば中毒を起こすぞ!」
ユーリが制止するも間に合わない。クエレブレとオリガは互いに走り寄って激突―――しなかった。クエレブレは大きく迂回してオリガを無視した。そしてそのままヴァシリたちの方へと向かってくる。
「あれ?」
オリガがグロムを両手に持ったまま立ち尽くす。今度は、いや今度もヴァシリとユーリが慌てる番だ。オリガを助けようと立ち止まった彼らは駐屯兵よりも逃げ足が遅れた。ヴァシリはユーリを抱えて森の奥へと逃げる。なるべくクエレブレが追跡しにくいように木と木の間を抜けるように走るヴァシリだったが、体格差ゆえの速さ、そして木々をなぎ倒す力によって、その差がすぐに縮まっていく。
「ギィエエエ!」
耳をつんざく鳴き声は、物的な衝撃となってヴァシリを突き飛ばし、転ばせた。ユーリをかばって背中から倒れこんだヴァシリの目に、青いドラゴンが飛び込んでくる。体高は見える限りでおおよそ四メートル、正面からしっぽの長さまで、正確には分からないが七メートル程だろうか。ワイバーンよりは小さいが、足は二本で翼はコウモリのように、翼膜が尻尾の付け根まで伸びていた。
「ヂヂッ、ヂヂッ」
クエレブレはユーリとヴァシリに噛み付くような仕草をしながら、何故か攻めあぐねるように手を出しては来なかった。
「何だ、どうした?」
ヴァシリが自分でも情けない声を上げている一方で、ユーリは冷静に閃光弾に火をつけて投げた。とっさにヴァシリとユーリは目と耳を押さえる。まぶたの下で激しい光が灯った。閃光に驚き、動揺したクエレブレは首を振ってどこかへ去っていった。
「助かったのか………?」
はぁはぁ、と息を切らして木の陰で一息つくヴァシリ。ユーリも息を切らしながら、オリガの持っていた青い鱗を見る。
三年前。
白樺の森の中で、一隻のカヌーが川をゆっくりと下っていた。馬が走るには地形が悪い場所ということもあるが、川の多いシベリアの地形はカヌーや船のほうが何かと便利なことが多かった。
ユーリは息を殺し、カヌーの中で身を潜めていた。カヌー自体が川の中で目立つため、あまり意味のある行為とは言えなかったが、何が出てくるか分からないこの世界では、常に身を潜める癖をつけておかねばならない。
だから父親が身をかがめてパドルを置いたとき、ユーリは、
「どうした?」
という質問をせずに話すのを待った。
「クエレブレだ」
ダニールはそう言ってカヌーを川べりに寄せた。ユーリも手伝って、川岸の木にロープを巻き付けてカヌーを固定する。その間にダニールはグロムを腰に差して、荷物を背負い草むらの中へ隠れた。
「見えるか?」
ユーリも草むらに身を寄せて、ダニールの指す方向を見やる。なるほど、青色の鮮やかな美しいドラゴンが川べりに横たわっていた。最初は寝ているのかと思ったが、足をだらりと地面に投げ出し、舌を出している。胸の動きから察するに、呼吸のリズムも早い。負傷しているか、でなければ病気のようだった。
「これを口に巻くんだ」
ダニールがユーリの口に絹の布を巻いてやる。
「クエレブレの鱗には毒がある。グロムで破壊したときの粉塵を吸い込まないようにするんだ。目に入っても危ないから、気をつけるんだぞ」
「とどめを刺すのか?」
もうすぐ死にそうなものなら、直接手を下すまでもない。そもそもドラゴ・ドゥーマ山脈の向こう側では、なるべくドラゴンとの接触を避けるのが原則だった。弱っていてもドラゴンはドラゴンだ。危険な存在であることに変わりない。そうでないなら、一思いにとどめを刺してしまうのが安全だ。その方があのクエレブレとかいう奴も苦しまずに済むだろう。
「いや、違う」
と、ダニールはユーリの考えを否定した。
「今日はお前にクエレブレの勉強をしてもらおう。ただし、いつも言うことだが」
「おとなしく、静かに」
「そう、それだ」
ダニールはユーリと共にゆっくりとクエレブレに近づく。白樺の森を出ると、クエレブレは、はっきりとこちらを認識していたようだった。だらりと地面に横顔をつけながら、目はしっかりとこちらを見ている。ユーリはいつでもグロムを抜けるように、あるいは逃げれるようにしてその目と向き合った。猛禽類と同じ、黄色い眼をしているが、その眼光にはもはや力がない。だけれど怯えた様子もなく、じっとこちらを見据える視線には、どこか惹かれるものがあった。
ついに二人はクエレブレの目と鼻の先まで接近する。相変わらず、クエレブレに動く気配はない。ダニールはクエレブレの体を観察し、あらためて異常がないことを確認すると、背嚢から袋を取り出した。中身は黒い金属粉だった。
「こいつは多分、軽度の栄養失調だ。ここらの金属鉱脈は混ぜ物が多いからな」
ドラゴンが生きていくには金属が必要だ。しかしドラゴンも全ての金属を代謝出来るわけではない。ダニールたちもその全てを解明したわけではないが、少なくとも金、銀、プラチナなどの貴金属は受け付けないらしい。ダニールの言う混ぜ物とは、とりもなおさずそういった金属を指している。
クエレブレはダニールの手に持った金属粉を、恐る恐る舐め始めた。金属粉は鉄ではなかったが、分かるのはそれだけだった。ドラゴンの死体から採取できるそういった金属粉末は、閃光弾などの武器を作る材料にもなった。
ユーリはダニールの手からクエレブレが金属粉を舐めとるのをじっと見ていた。クエレブレとはいったい、どういうドラゴンなのだろうか。父親は何故、このドラゴンを助けるのか。袋の中の鉄粉がなくなると、ダニールはクエレブレの鼻を撫でた。
「俺も撫でていいか?」
「ああ」
ユーリもクエレブレの鼻を撫でる。金属製の鱗を持つドラゴンの表皮は、逆なですると手をズタズタにするから、触るときは鱗の流れに沿うよう触れなければならない。二、三回撫でて、二人はクエレブレに別れを告げた。
ドラゴン殺しの一族である自分たちが「何故、あのクエレブレを助けたんだ?」と、ユーリは率直な疑問を父親にぶつけていた。ドラゴンはドラゴン殺しである自分たちの敵である。シベリア開拓の最大の障害である。ドラゴンの駆逐こそ自分たちの使命ではないか。感情的な話はともかく、理屈の上でユーリは少し納得がいかなかった。
「全く、子供らしくない奴だな」と、ダニールはカヌーを漕ぎながら、そんなことを言うユーリに呆れ半分、感心半分で言った。
「世の中、理屈だけで生きると窮屈だぞ。お前は俺の子供にしちゃ聡いが、そういう奴は大抵、視野が狭い。俺の親父、あーつまり爺様もそうだった」
カヌーを下りて、家路につく。急峻な山々を、一族だけが知るルートを伝って登っていく。東側からは狭く険しい山の上に、ユーリの家はあった。斜面にはユーリの三代前の先祖が切り開いた休憩ポイントがあって、二人はそこで一服した。
「見てみろユーリ」と、ダニールはシベリア、タイガの森を指さす。
「こんな広いところで、自由に生きないでどうする。この世界にはな、意味の分からん生き物や、景色や、天気がたくさんあるんだぞ? そんなことに一々、理屈をつけてみろ、ちっとも前に進まねぇ」
ダニールは水で多めに割ったウォッカ入りの水筒を飲む。ユーリもそれに続いた、とはいえユーリの水筒にはウォッカではなく、ドラゴ・ドゥーマ山脈の湧水が入っていた。
「クエレブレは特別なんだよ。ま、いずれお前にも分かるようになるさ」
そのいずれは存外、早く訪れることになった。
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