第4話 ドラゴン殺しのユーリ④

 ロシア帝国の歴史にドラゴンが出現するのは四回。原初年代記によれば約五百年前の一二三七年、モンゴル帝国のルーシの諸公国(ロシア帝国の前身)侵略に際し、突然、一匹のドラゴンが現れルーシ、モンゴル双方に打撃を与えて戦争の継続を不可能にさせた。

 それから二十六年後の一二六三年にも七匹のドラゴンが東から襲来し、モスクワ大公国の街を火の海に沈めた。この出来事はイングランドにおいて『ドラゴンシフト』と呼ばれ、被害は周辺諸国へ飛び火した。七匹のドラゴンは二年後に最後の一匹がイングランドで死ぬまで、数百万人を食い殺したとされる。このとき諸国で『ドラゴンの出現に際してヨーロッパ諸国があらゆる紛争を中断して協力する』ために締結されたのがドラゴン条約だ。

 次にドラゴンが歴史に現れたのは一六〇一年。リューリク朝、最後の皇帝フョードル一世の死後、その弟ドミトリーを名乗る男がポーランド・リトアニア共和国がトヴェリを占拠したときだった。二匹のドラゴンがウラル山脈を越え、カザン、ニジニ・ノヴコロドに被害を与えた後でトヴェリに居座り、約千人のポーランド人を貪り食った。

 最後は百六十年前の一六二九年、貴族であり豪商だったストロガノフ家が、ドラゴンの調査、および毛皮を求めてシベリアへ進出したときだ。五百人のカザーク(傭兵団)を雇い、八年もの歳月をかけてオビ川河口の航路や、ウラル山脈の陸路を開いて最終的にこのドラゴ・ドゥーマ山脈まで到達し、彼らの旅はそこで終わった。

 彼らはドラゴンの襲撃に遭い、探検隊を壊滅させられたのだ。ただ一人生き残ったカザークの一人がシベリアの地図にドラゴンを見かけた場所として、地域を丸い印で囲った。そのことから一帯はヴィーチェ・ドラゴン(ドラゴンを見たところ)と呼ばれるようになった。ヴィーチェ・ドラスクという名前はそれが由来となっている。

 そんな話を、ヴァシリはその時、村唯一の商店の主人であるアントンと話していた。彼らは、冬に備えての食料の備蓄に関して軽い相談をしていた所で、話がまとまった折にそういう話題になった。

「よく勉強しているんだな」

 ヴァシリがそういうとアントンは照れ臭そうに「なぁに、土地のことを知らなきゃ商売は出来ねぇでさぁ」と言った。

「ところで酒の仕入れ先だが、いつもどこから?」

「それに関してはトゥルハンスクに住んでる従兄のアントニーが―――」

 その時、一人の男の子が店の中に入って来た。

 奇妙な服装をした男の子だった。

 灰色の厚いトナカイ皮の上着に、同じく動物の毛皮から作られたズボンとブーツ、腰には大きなナイフを下げ、背中には弓を背負っている。私は先住民の子かと思ったが、顔つきは白人そのものだった。

 だがヴァシリが奇妙に思ったのはその使い込まれ方だった。頑丈そうな上着はところどころ擦り切れて、パッチが当てられており、時には大きな縫い目があった。ブーツもつま先や踵が擦り切れたのを丁寧に補修した後がある。それらの傷痕は道端で転んで付けられた程度のものではなく、また何かと戦った風にも思えなかった。まるで自然そのものと戦って来たかのような壮絶さと、年端もいかない少年がそれを着ているというギャップに、ヴァシリは奇妙さを覚えたのだった。

「やぁ、よく来たなユーリ」

 アントンは愛想よく少年に声をかけると、少年は、

「いつものを頼む」

 とキラキラと光る何かを渡して言った。するとアントンは麻の袋に食料を詰め込んで少年に渡した。それで少年は全ての用事を終えたようで、袋を担いでさっさと店から出て行った。

「今の子はなんだ?」

 ヴァシリが訊ねるとアントンは「ドラゴ・ドゥーマ山脈に住んでいるユーリという子です」と答えた。

「あそこ住んでいるのか」とヴァシリは驚いた。「人跡未踏の山脈だと聞いたが」

「別に山の頂上に住んでいるわけではありませんよ」はっはっはっ、とアントンは笑って「山を少し登ったところに、棚みたいになっているところがあって、そこにはそこそこ居心地のいい洞窟みたいな場所があるらしくて、そこに住んでいるそうです。あの子は一人であの山に住んでいるんですよ。月に一回、砂金や小さな宝石と交換で日用品を都合してやってるんです」と、アントンは説明を続けた。

「彼の一族は代々狩りをやっているそうですが、去年の今頃か、父親を亡くしてね。今は彼一人で住んでいるのです」

「子供が一人では厳しいだろう。こっちへ引っ越してこないのか?」

 ヴァシリが訊くとアントンは首を横に振って、

「あの子と父親の二人暮らしになったときから何回か、こっちに住んだらと誘っているんですがね。あの山の方が都合がいいと言って聞かないんですよ」

「それにしたってなぁ」

「そうだ、ヴァシリの旦那からもユーリに言ってやって下さい。そんな辺鄙な場所に住んでいないで、こっちで動物を狩るか、畑でも耕したらどうだ、とね」

「そうだな、誘ってみよう」

 そうは言ってみたもののヴァシリはそれ以来、ユーリに会うことは無かった。切り開くべき耕作地は数多く残っていたし、冬季に必要な備蓄を今の内に試算しておく必要もあった。シベリアでは九月にはもう雪が降るので、その前に兵舎の基礎工事もしておきたかった。そうした忙しい日々を送るうちにヴァシリの頭から、ユーリという男の子はあっというまに消えることになった。



 ヴァシリがアントンの店でユーリと会ってから更に二週間後。

 いつものようにヴァシリとオリガはドモチェフスキー兄妹と共に朝食を摂っていると、家のドアを叩く音がした。レオニードが「なんだなんだ」と外へ出てみると、すぐヴァシリとオリガを呼んだ。ドアを叩いていたのは猟師のニコライだった。どうやら二人に用があるらしかった。しかしニコライは自分からたずねて来たくせに、二人を見ると何だかバツの悪そうな顔をした。

「どうしたニコライ」

「死体が出たんでさぁ」

「死体だって?」

 ヴァシリは気を引き締めた。いよいよこの村でも殺人事件が―――。

「いや、人間のじゃねぇんでさぁ。熊の死体です」と補足した。

「そんなことを言うために来たのか?」

「例のあれですよ。また出たんですよ、動物のめちゃくちゃにされたやつが」

「出やがったか」と、レオニードが言った。

 ニコライの話は要領を得なかったので、とりあえずその妙な死体が出たという場所を聞いてヴァシリたちは朝食へ戻ることにした。朝食を終えてから、ヴァシリとオリガ少佐はニコライの言っていた場所へ向かった。

 そこはドラゴ・ドゥーマ山脈にある鉱山に近い所だった。ヴァシリたちが着いたころには、そこには人だかりが溢れていた。鉱山労働者はもとより、普段は家の中にいるような老人でさえも野次馬と化していた。

「すいません、退いてください。ほら、退いて」

 人をかき分けて見て見るとそこにはニコライの言う通り熊の死体があり、ブンブンと無数の蝿にたかられて悪臭を放っていた。確かにめちゃくちゃな死体だったが、奇妙なのは上半身から下がまるで齧られた様に無くなっていたことだった。

「話には聞いていたが、こういう死体がこの近辺でよく見つかるのか?」

「はい、まるっきり同じです」

 第一発見者のニコライが答える。

 普通、動物は相手の骨までは食べない。ウサギなどの小動物ならともかく、特に大型の動物の骨は、体を支えるために固く出来ている。このシベリアには熊の骨をバリバリと噛み砕いてしまえるような、強靭な顎を持った動物はいない。

 あるいはこの熊は死んだ後に二匹の動物に綱引きにされたのかもしれないと、ヴァシリは推理した。つまり一匹目の動物が熊を殺した後、二匹目の動物がそれを横取りしようとして結果、熊は上半身と下半身で千切れたのではないか。ヴァシリはそう結論して、野次馬たちを解散させた。しかしヴァシリはこの推論において一つの事実を無視した。熊の切断面にははっきりと、熊の物とは思えないほど大きな歯形が残されていたのである。



 熊の死体については適当な推測がついたが、結局、ヴァシリの推理でもこの周辺に凶暴な動物がいることになる。少なくとも二匹以上だ。ヴァシリは有志を募ってしばらく、村の夜警に当たらせることにした。そいつが標的を熊から人間に変えないという保証はない。

 村にある銃器は猟師の所有するものを含めて九丁程度であった。その中の二つはヴァシリとオリガが持ち込んだものである。後は獣撃ち用の銃剣が装着できない猟銃だった。 ヴァシリはひとまず耕作を切り上げて、仮に被害にあっても状況が把握できるようにオリガと共に村の国勢調査を行った。村の人口は二三一名。内、男性百二十名、女性は百十一名であり世帯数は五十二であった。大半が鉱山労働者と製鉄業で生計を立てている。 彼らを守るためには銃九丁ではどう考えても心もとなかった。そこで急遽、レオニードを含めた火事仕事の得意な男たちに槍を作らせて男たちに持たせることにした。

 ヴィーチェ・ドラスクでヴァシリたちが作らせた槍は先端に刃物を括りつけた木の棒と言った方が正確だった。数を揃えることを優先し、相手に突き刺したら逃げるように指導した。

 万が一に備えて住民の避難計画も検討した。ヴィーチェ・ドラスクは東西を川に挟まれたところに位置している。従って住民を有事の際には、川を使って北か南に避難させることになる。北はトゥルハンスク、南はクラスノヤルスクへ行けるが、距離の近いトゥルハンスクへ逃げることにした。

 そのように昼は仕事、夜は夜警を始めて三日後、事態は思わぬ展開を見せた。



 奇妙な熊の死骸が発見されてから三日目の朝が来た。奇妙な朝だった。鶏の鳴き声が聞こえないのだ。

 ピトゥーフ農場には雄鶏の名の通りの由来が存在した。雄鶏というものは毎朝けたたましく鳴くものだが、ピトゥーフ農場の雄鶏には雷みたいに鳴く雄鶏がいて、その鳴き声は村のどこにいても聞こえたのだ。ヴィーチェ・ドラスクはその雄鶏をかの雷帝にちなんでイヴァンと呼んでいたが、そのイヴァンの鳴き声がその日は聞こえなかったのだ。

 おかげで住民の半数がその日は寝坊したように思う。ヴァシリやレオニード、アーニャも例外ではなかった。普段通りだったのはオリガ少佐だけだった。彼女はイヴァンの鳴き声にもビクともせずに寝坊が出来るシベリア唯一の生物だった。

 この珍しいイヴァンのサボタージュに、人々は、

「とうとうイヴァンが死んだ」

「寿命が来た」

 などと騒ぎ立て、わざわざ安否を確認しに行く者もいた。するとイヴァンはちゃんと生きていた。そして何故、今日は鳴かなかったのかという謎だけが残った。

 イヴァンだけでなく、その日は不気味なほど静かな一日だった。風一つなく、草木すら音を立てなかった。空に雲もなく、太陽だけがポッカリとあった。不吉な予感が見えない霧のように立ち込めていた。

 ヴァシリは戦場で培った直感に従って村の警備を強化した。結局、明るい内は何事も無かった。それでも彼は何だか落ち着かなく、夜になっても交代で警備を続けることにした。

 日が傾き、空が青紫色になるとヴァシリは馬を降りてランタンに火を点けた。そのまま手綱を引っ張って、牧場近くの小高い丘へ頃には辺りはすっかり暗くなっていた。住民たちは既に家に帰って食事をしている時間だった。小高い場所にある牧場から村の家々を見下ろすと、窓の隙間から漏れる光がまるで地上の星々のようだった。同時に、それらはひどくか細いものに思えた。ヴァシリは丘を下りて、村をもう一回りしてから帰ることにした。

 村を半分ほど回ったときだった。その時、川の流れる音が聞こえていたので村の北側にいたのだろう。突然、銃声が鳴り響いた。人の悲鳴も聞こえる。

 わずかな月明かりとランタンの灯を頼りに、馬へ乗って駆けつけてみると、夜警の一人が肩を押さえて倒れていた。その手には血がにじんでいる。

「どうした!」

「分からない。撃たれた」

 馬を降りて「見せろ」傷口を見る。なんてことはない、かすり傷だ。

「アンドレイが追ってる。ドナートはアーニャとオリガ姉さんところに呼びに行った」

 夜警が言って、賊の方向を指差した。

「分かった」

 再び馬に乗り、ヴァシリは夜警の一人であるアンドレイを追った。するとやぶの中からわめき声がする。敵は近い。ヴァシリは銃を手に取り、馬の手綱に絡めた。

 音がさらに近くなる。やがてカンテラに照らされて、三人の男に袋叩きにされるアンドレイの姿が見えた。

「そこまでだ! 手を上げろ!」

 銃口を向ける。男たちの動きが止まる。アンドレイはともかく他の男の顔は知らない。興奮状態にある彼らは、組み伏せていたアンドレイを無理やり起こして盾にした。「銃をおろせ!」

 アンドレイの首元に男の一人がナイフを突きつけた。

「でなきゃこいつを殺す!」

「旦那………」

 アンドレイが涙目でこちらを見た。だがそのときヴァシリが見ていたのは彼らの腰にあったものだ。

「それは毛皮か。狩猟許可証はあるのか………無いだろうな。お前ら密猟者だろう」

「そうさ!」

 男の一人が言った。

「こちとら借金があるんだ。なのに獲れる毛皮の数を制限されてなぁ」

 政府はシベリアの狩猟者に対して年度辺りに狩猟する毛皮の数を厳格に規定している。動物の頭数保護と、毛皮の流通価格を安定させるためだ。

「銃を降ろしやがれ!」

「ヴァシリ!」

 後ろからアーニャの声が聞こえた。その他、大勢の足音も。

「馬は一頭しかない。乗れて二人、三人は無理だぞ」

「大尉! 無事か!」

 藪からオリガが飛び出した。それからこの様子を見て「おっ、賊を捕らえたか」と言った。

 間の抜けた沈黙が一瞬流れた後「まだです。まだ捕まえてません」と、ヴァシリが答えた。

 するとオリガは次にアンドレイを見て「アンドレイは何をしてるんだ?」とたずねた。

「人質に取られてんだよ!」

 たまらずアンドレイが叫んだ。その時、男の拘束が一瞬だけ崩れた。

 ヴァシリは引き金を引いた。弾丸はアンドレイをすり抜けて男の左耳を吹き飛ばした。

「少佐!」

「おう!」

 オリガがもう一人の男へぶつかる。男は冗談のように吹き飛んで木に激突して泡を吹き、動かなくなった。耳を撃たれた男は倒れたまま動かない。馬を降りる。

「アンドレイ、こっちだ。大丈夫か」

「ああ、なんとか」

 アンドレイがよろよろと歩いてくる。殴られて腫れた顔が痛々しい。

 すぐに松明を持った村人が、縛り上げられた密猟者たちを囲んだ。彼らはすぐに自分たちの悪事を打ち明けた。密猟の痕跡を隠すために、ときおり狩猟した獲物をめちゃくちゃに切り刻んだり、叩き潰していたという。骨にもナイフで歯形のような痕をつけるなどして、工夫したようだった。シベリアにおけるドラゴンの伝説を利用して積極的な追撃を避けるつもりだったらしい。

 村人の反応は怒りと、それと少しばかりの安心だった。単なる伝説の存在だと分かっても、心の底では不安に思っていたのだろう。

「どうする、ヴァシリ」

 レオニードが訊ねた。

「拘束して、トボリスクへ送る。そこで裁判を開くことになるだろう。面倒だが俺も報告に行くことになるな。こいつらも護送しなけりゃならん」

「今回はお手柄だな、大尉!」

 オリガ少佐が高らかに笑った。ヴァシリも笑い返して「少佐だって捕まえたじゃないですか」と言った。

「そうだな!」

 再びオリガ少佐が高らかに笑った。おかしなやり取りに村人も笑った。「オリガちゃん偉い!」とアーニャが手を叩いて囃す。

「だが実際、よくやってくれたよ」

 レオニードがヴァシリの肩をポンと叩く。

「これで俺も夜、安心してトイレに行けるぜ」

「通りで朝一で外へ飛び出していくわけだ。さて、今日はこれでお開きだ。みんな、帰るぞ。アーニャ、こいつらを明日まで放り込んでおけるところはあるか」

「鋼材を保管する小屋が丁度、今朝開いた所よ。そこに放り込んどきゃいいんじゃない?」

「よし、少佐――」

 ヴァシリがそう言いかけた時、巨大な太鼓を鳴らしたような音が響いて、地面が揺れた。そして次の瞬間、爆発音と共に空が輝くのが見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る