第3話 ドラゴン殺しのユーリ③

 少女の名前はアナスタシア・ドモチェフスカヤ、通称アーニャといった。父性が無いのは私生児だからだそうだ。赤毛でショートカットの可愛らしい娘だった。年齢は十八と言うが、身長は百五十センチ程度で少佐が横に並ぶと、ヴァシリにはまだまだ子供に見えた。

 彼女の話によると、男たちがたむろしていたあの場所は製鉄所らしい。村にはあんな感じの製鉄所がいくつかあって、鉱山から運ばれた鉄鉱石をインゴットに加工し、それからロシア各所へ輸送する手はずになっているのだそうだ。

「どれくらいの儲けになるんだ?」

 ヴァシリが訊ねるとアーニャはそばかすの目立つ鼻の先を擦って「あんまり」と答えた。

「うちの村って、出来てまだ五年くらいしか経ってないから、畑も大きくないしさ。鉄で設けたお金を食べ物に充てるからすぐ無くなっちゃうんだよね。税金も高いしさ。鉱山で鉄鉱石取るのも、製鉄するのも、畑を開くのも、狩りをするのも人手不足かなー」

「とりあえずここに人手が二人増えたぞ。あとは産めよ殖やせよだ。アーニャ、君くらいの齢ならもう子供の一人くらいいるだろう?」

「いんや」

 アーニャは手をひらひらさせて、

「私はお金持ちの貴族様と結婚するのさ」

 と嘯いた。

「ところで、アー、アレクシー? 大佐はどこにいるのかな?」

 オリガがアーニャに訊ねた。

「アレクセイ・イーゴレヴィチ・ブカエフ大佐ですよ、少佐。アーニャ、大佐はどこにいらっしゃるんだ?」

「大佐?」

 アーニャは頓狂な声を上げて振り向いた。

「何それ?」

「何って、トボリスクから派遣された駐屯兵だよ。村を監督する立場の人で………」

「聞いたことないなぁ。ブカエナ(ブカエフの女性形)って人は知ってるけど」

「そこでいい、案内してくれ」

 


 アレクセイはピトゥーフ(おんどり)牧場と呼ばれる牧場にいるらしかった。どうやら彼は牧場主でもあるようだった。

 アーニャの案内で、ヴァシリたちはヴィーチェ・ドラスクの村を通り抜けて牧草地帯を目指した。おかげで道中、ヴァシリは村をもう少し詳しく知ることが出来た。

 ヴィーチェ・ドラスクは村の名前ではなく、正確にはシベリア極東の一地域の名前である。地域としては広範囲だが、村の規模はその四分の一にも満たない。村に住む若者の多くは鉱山で働くか、製鉄作業に従事するかのいずれかだった。あとは年寄りが細々と畑を耕しているが、土地の開墾が進んでないため、アーニャの言う通り食料を自給できる規模とは言い難い。

 成立してまだ五年の村だが、それにしても開拓が遅いのでは無いか? ドラゴンの噂の影響かどうかはともかく、そもそもこんなところまで移住してくる人間自体が少ないのだろう。ヴァシリはドラゴンが見つかるまで残りの人生をこんなところで過ごすのかと考えると、気が滅入ってきた。

 牧草地帯に出ると、大きな柵の中に牛とヒツジが放牧されていた。厩舎には馬とトナカイが二頭ずついるが、馬の方は少しやつれている。彼らはこちらに気が付くと草を食べるのをやめて見慣れない侵入者を興味深げに見つめていた。だがヴァシリたちが彼らに興味が無いことが分かると、彼らの方も興味を失って再び草を食べる作業へと戻った。

「私、ここの人苦手なんだよね」

 そう言ってアーニャは入口で待つことになった。確かにこの荒涼とした牧場の様子を見ると、気持ちは分かる。仕方なく二人だけで動物たちの小屋の隣にある家の玄関へ向かった。玄関の前で立ち止まり、ヴァシリがおもむろにノックしようとしたときである。

「ごめんくださーい!」

 オリガが家へ向かって叫んだ。その声量はとてつもないもので、静かな森の中を歩いて耳が鋭くなったせいか、その声は大砲のようだった。

 ふごっ、という悲鳴が聞こえた。振り返るといつの間にかヴァシリの後ろにいた子牛が足を滑らせて転んだ。オリガの声に驚いたようだった。子牛は素早く立ち上がると母親の所へてってってっ、と歩き去って行った。

「何だ!」

 小屋から現れたのは六十代くらいの老婆だった。大佐のつれあいならば、確かにそれくらいの年齢であろう。

「ゴホン」オリガは咳払いして「陸軍本部よりクラスノヤルスク県ヴィーチェ・ドラスクへ着任になりました! オリガ・アントヴァナ・ペレスベータ少佐と……ええと、何だっけ?」

「ヴァシリ・ヴィクトロヴィッチ・アニシモフ大尉であります。ご主人のイーゴレヴィチ大佐は御在宅でしょうか?」

「アレクセイかい、ふん!」と、老婆は鼻を鳴らし「奴はもう四年も前にくたばっちまったよ!」

「死んだ?」ヴァシリは驚いて「そのような話は聞いておりません」

「お前のことなんぞ知るもんかい。確かに夫は四年前にあの忌々しい虎に噛み殺されちまったよ」

 話を聞いてみると、アレクセイ大佐は五年前、ヴィーチェ・ドラスク建設と同時に妻ナディアと共に牛十頭、馬六頭、ヒツジ二十頭と移り住み、牧場を経営しながら開拓を始めた。ところが入植してすぐに、ヒツジを遠くまで放牧している最中、虎に襲われて死亡したという。

 通常なら代わりの兵士が派遣されて来るところだが、アレクセイ大佐は万が一のことを考えていなかったのだろう。政府、もといトボリスクとしては貢税さえ納めてくれれば文句が無いわけだから特に調査もしていなかったようだ。

 大佐亡きあとは製鉄所のボスが村を仕切っているらしい。村の財政もそいつが管理しているらしい。厄介なことになった。ヴァシリは顎にうっすらと生えた無精ひげを指でなぞりながら、牧場で草を食む罪もない子羊たちを忌々しく見た。

「虎はどうしたのだ?」

 オリガが最後に老婆へ質問すると、老婆はニヤリと笑って足元を指差した。老婆の足元には白く、大きな毛皮があった。



 故アレクセイ大佐の家を後にして牧場の門まで来るとアーニャは消えていた。

「アーニャ!」

 呼んでも返事は無い。オリガが息を大きく吸い込んだところでヴァシリが止めた。

「少佐、森の動物たちがかわいそうなのでおやめください」

「そうか?」

「まったく、田舎娘は気まぐれだ。地元民ですから迷子の心配はないとは思ういますが」

 牧場を後にして、ヴァシリたちは製鉄所のボスがいるという村のはずれ、鉱山近くの家へ向かった。そいつはそこでいつも出来上がった鉄を調べたり保管したりしているらしい。 レオニードの家は作りのしっかりした立派な木造平屋だった。隣には大規模な鉄の保管庫があった。そこへ製鉄所の人々は鉄の塊をせっせと運んでいた。我々がやってくると頭の禿げあがった大男が家から出てくるところだった。

「レオニードというのはお前か」

 オリガが例の大声で声をかけると、レオニードはこちらを見た。それからゆっくりと近づいて「ああ、レオニードは俺だ。誰だお前ら。軍人か?」と言った。

「私はオリガ・アンヴァナ・ペレスベータ。階級は少佐だ。イーゴレヴィチ大佐の権限を引き継いでこの村に駐屯することになった。こっちはヴィクトロヴィッチ大尉だ」「それが何か? 俺はアレクセイじゃねぇぜ」

「イーゴレヴィチ大佐の死後に村の実権を握っていると聞いた。そもそも大佐の死を何故、トボリスクに届け出なかった?」

 ヴァシリがさりげなくオリガの前に立って問い詰めた。

「そんなこと俺の知ったことか。貢税は納められてんだろう? それでいいじゃねぇか」

 ヴァシリはいつの間にか、周りを製鉄所の男たちに少しずつ囲まれていることに気が付いた。

「おい、お前!」

 そう声をかけた瞬間、オリガが悲鳴を上げた。

「きゃうん!」

「ぐわっ!」

 どうやら男の一人がオリガを突き飛ばそうとしたらしい。しかし逆に弾き飛ばされて尻もちをついた。

「痴漢だ! 大尉、痴漢だぞ!」

 お尻を抑えてオリガがわめく。

「違います! 少佐、落ち着いて!」

 ヴァシリがオリガをなだめている隙を付いて、レオニードがこちらに飛び掛かる。レオニードとヴァシリの体格は頭一つ差があった。だがヴァシリは奴の腕を掴んで地面に投げ飛ばし、腕をねじりあげて腰からサーベルを抜いて奴のテカテカと光る頭に突きつけた。

「動くな!」

 ヴァシリの一声で、男たちは石のように固まってしまった。

「わ、わかった! ちょいとした出来心だったんだよ!」

 レオニードが白旗を上げた。思ったよりも事態は早く片付きそうだった。

「お前らも下がれ!」

 周りを取り囲んだ男たちが少し後ろに下がる。場の空気が少し緩んだ。彼らのほっとしたような顔付きからして、彼らもあまり乗り気ではなかったようだった。

「おとなしく我々の言うことを聞くなら見逃してやる。悪いようにはしない。そして二度とこんな真似はするな」

「わかった、誓う、誓うよ!」

 ヴァシリは彼を離した。それから村の収支を記録した帳簿をはじめとした書類について訊ねると、レオニードは捻じられた腕をさすりながら「そいつはボスの所にある」と言った。

「ボス? お前がボスなんじゃないのか?」

「俺は製鉄所を仕切っているだけだ。村を仕切ってるのは別の奴だ」と言う。責任というものはどこまでもたらい回しにされる物のようだった。ヴァシリはいい加減に疲れてきた。「そいつはどこにいる?」

 サーベルを鞘に納めながら聞くと、レオニードが「さっき製鉄所を見回りに行ったところだ。もうそろそろ戻ると思う」と言った。

 そのとき「これは一体、何の騒ぎ?」と、牧場の方からアーニャがやってきた。

「アーニャ、どこへ行ってた?」

 ヴァシリが訊ねると、

「ごめんごめん、トイレ行ってたわ」

「アーニャ、トボリスクから派遣されてきた新しい軍人さんたちだ」

「知ってるわよ。返り討ちにされて………ごめんなさい、アニシモフ大尉。最近、この辺りで妙なことが立て続けに起きているからみんな気が立っているの」

「面目ねぇ」

 レオニードが俯いた。

「構わないさ」ヴァシリは両手を広げて「こんなところにいれば誰だっておかしくなる」



 アーニャ・ドモチェフスカヤこそ村を仕切っているボスであり、レオニード・ドモチェフスキーの実妹であった。二人は先住民との混血児であり、開拓補助金を目当てに、トボリスクから五年前にヴィーチェ・ドラスクへやってきた。それ以前はトボリスクの製鉄所で働いていて、一通り技術を学んだ後、独立して自分たちで商売を始めるためにヴィーチェ・ドラスクへ赴いたのだ。

 その日、ヴァシリたちは彼らの家に泊まることとなった。レオニードは手料理を振舞うことで昼間の狼藉を帳消しにしようと思ったらしい。ヴァシリもそれで手打ちにすることにした。

 アーニャは食事の後でヴァシリに村の財政状況や住人の事、貢税に関することなどをかいつまんで教えてくれた。その時点でヴァシリはアーニャをしばらくアシスタントとして雇うことを決めた。

「ところでアーニャ。このところ立て続けに起こってる妙な事って何だい?」

 あまり聞きたくなかったが、ヴァシリが聞くところによるとここ一ヶ月の間に損壊の激しい動物の死骸がいくつか発見されたという。野生動物がやったにしては、あまりにも激しく、猟師に至ってはそんなことをやる意味が無い。そして動物の死骸と言うのは熊やトナカイがほとんどだった。

「ドラゴンの仕業って言う人もいるし、あなたはどう思う?」

「何ともいえないな」と言った。

「否定しないの?」

「決められないことは無理に決めないことだ。ドラゴンであるという証拠はないが、ドラゴンでないという証拠も無い。俺は自分が見たままの現実を受け入れるようにしているんだ。それが状況に素早く対応する武器になるからね。そして現実的には、損壊の激しい動物の死骸は、俺たちにとって優先すべき事項じゃないんだ」

 ヴァシリたちにはやるべきことが多く、味方は少なかった。オリガは早々と用意されたベッドで固く目を閉じて寝言を呟いていた。

「うーん、大尉………あれはトラじゃなくてシカだよ………」



 目下のところ、ヴァシリたちがヴィーチェ・ドラスクにおいてやるべきことは以下の六つである。


 1・アレクセイ大佐の死についての報告

 ヴァシリにはこの事実をトボリスクに報告する義務があった。


 2・ヴィーチェ・ドラスクにおける食料自給率の改善

 ヴィーチェ・ドラスクでは政府主導で製鉄への投資が行われていたが、耕作地の開拓が進んでおらず、食料を周辺の都市から買っている状況である。周辺の都市から買うとはいえ、距離があり、量や保存もそうだが冬季は川が凍り雪で道が埋まるため年に何人か死ぬという。村の経済的負担と村民の安全に繋がるため、食料自給率の改善を行うべきである。


 3・野盗・害獣からの住民の保護

 これに関しては発生時に適宜対応する。


 4・防塞の建造

 3にも関連するが、外敵(盗賊・先住民・猛獣)からの攻撃時に身を守り、拠点とするための防塞を建造しなければならない。防塞は兵舎、武器の貯蔵庫を兼任し、災害時には住民を保護するためのシェルターとなる。ヴァシリとオリガもいつまでもドモチェフスキー兄妹のやっかいになるわけにはいかないので、一刻も早い防塞の建造が必要になてくる。


 5・ヴィーチェ・ドラスク周辺における詳細な調査

 周辺住民の人口、世帯数、職業、などの国勢調査も駐屯する兵士の仕事である。

 

 6・ドラゴンの調査

 ヴァシリとオリガは、そもそもこのために来た。


 大まかに分けてこの六つである。1に関しては例の親切な船長に、鉄を運ぶついでに郵便を依頼するとして、ヴァシリたちがまずやるべきは、食料自給率の改善と防塞の建設であった。

 食料自給率を引き揚げるためには、土地を開墾して畑を作らなければならない。

 シベリアの気候は冬季はマイナス五十度まで下回るが、夏季は三十度以上まで気温が上昇する。だから農作物にとっては春から夏にかけてが勝負だった。

 ヴィーチェ・ドラスクにおける農民は、四十代以上の年寄りが主だった。大抵は製鉄所で働く若者の親である。ヴァシリとオリガはまず彼らの手助けをすることになった。製鉄所と鉱山から何人か人を集めて協力させた。若者たちは農業を嫌ってヴィーチェ・ドラスクに来たようで、あまり乗り気でないことは態度から見て分かったが、さすがに老人たちよりも作業の効率が良かった。それから木を切り倒して新たに耕作地を広げた。製鉄所が近くにあるだけに、鉄製の農具の調達は容易かった。

 また、農法に関しては、彼らの多くは三圃式農業を行っていた。これは農地を冬穀、夏穀、休耕地にわけてローテーションさせて耕作を行う方法だったが、アーニャと相談した結果、西側諸国から伝わった輪栽式農業を採用することにした。これは先に述べた冬穀と夏穀の間にカブやクローバーなどの牧草の栽培を挟むことによって地力を回復させると共に、冬季の家畜飼育を容易にさせる狙いがあった。従って多くの耕作地は牧草を埋めることになり、ヴァシリたちは更に耕作地を広げる必要に迫られた。

 年間スケジュールとしては、このように春から夏にかけて耕作を進め、秋から冬にかけて防塞の建造と国勢調査を進める予定であった。その間、我々の砦はドモチェフスキー兄弟の家となった。

 アーニャという少女は極めて聡明な女性であり、水辺の製鉄所はすべて彼女の設計だった。また経理にも心得があり、村の財政を管理していたのも納得だ。

 レオニードは力はもとより、手先も極めて器用な男だった。アーニャが紙に書いた設計を忠実に実現できる男だった。道具さえあれば戦艦だって作れるだろう。

 二人の手伝いもあって、ヴァシリはシベリアにおいてしばらくは兵士というよりも農民のような仕事をすることになった。畑を耕すにせよ、木を切るにせよ、こうした仕事は存外、ヴァシリの心を癒した。上官であるオリガも前向きに仕事を覚えて、ヴァシリよりも上手くこなした。ヴァシリとアーニャの決定に、むやみに出しゃばらないのも仕事を行う上で助かった。

 一方で、ドラゴンの調査は遅々として進まなかった。動物の異常な死体もあれ以来、発見されなかった。

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