人一人が通るのにやっとの幅で、手にした荷物が時に動きを邪魔した。灯塔内部よりも寒く、鳥肌が立つ。階段を上って一周ほどした頃、波の音が近づいてきた。共に、潮の匂いがミドーの鼻を刺激する。顔を上げると、階段の先に灯ろうの床を切っただけの出口が見える。ミドーは残りの数段を駆け上がり、灯ろうの内部に出た。

 灯ろうは狭く、壁は全て分厚いガラスで出来ていた。金属の格子が壁を走り、その向こうでどんよりとした空が顔を俯けている。

 灯ろうの中心で王のごとく鎮座した巨大なレンズが、静かにミドーを出迎えた。

 灯台に暮らしながら、この灯ろうから光が放たれるのをミドーは見たことがない。興味もなく、掃除をしたこともなかった。だが、ここ数日の鬱々とした雨がミドーを焚き付けた。

 長いこと人の手が入っていないせいで、全体に埃と汚れが目立つ。ミドーの足跡がくっきりつくほどだった。ミドーは水の入ったバケツをどうにか灯ろうまで持ち込み、モップと雑巾で拭いて回った。その間、幾度も汚くなった水を取り替えに狭い階段を往復し、無論、本来の仕事も忘れずに行う。水拭きの後に乾拭きを行い、気になる汚れには中性洗剤を使った。

 掃除は夕方を間近にして終わり、ミドーは夜の観察記をつけるべく階段を駆け下りた。五感を最大限に使って観察し、忘れぬようにと急いで灯台に戻り、観察記へ記入する。夜の定時連絡はあのガラの悪そうな声が相手で、しかし、ミドーは素早く受け答えて一方的に連絡を打ち切った。夕飯のおにぎりと暖かいお茶の入った水筒とランタンを持って再び灯ろうへ上がると、薄暗くなったそこは暗闇に放り出されたガラス玉の中にいるようであり、ミドーは思わず唾を飲みこむ。ランタンの穏やかな灯りを供におにぎり二個を食べ、レンズの修理に取り掛かった。

 とはいえ、ミドーも専門家ではない。壊れているような所を見つけ、それなりに修理する程度──そのつもりで部品や配線などを見直していったが、どこも壊れている所はなかった。首をひねりながら途中見つけたスイッチを試したものの、レンズはびくともしない。明かりの灯る気配もなく、ミドーはあぐらをかいた上に頬杖をつく。

「……壊れている感じはしないんだけどなあ……」

 水筒のお茶を飲み、ランタンをレンズに近づけたり遠ざけたりする。手元の小さな光でさえ大仰に反射してみせるのに、本来の仕事にはとんとやる気のないレンズだった。ミドーは妙におかしくなって笑い、ランタンを置く。そして自室から毛布を持ってレンズの傍らで横になった。

 雨風の音、波の音がいつもより間近に聞こえていた。暗闇に放り出されたような先刻の心細さは、傍らのランタンが拭ってくれた。夜闇とはその暗さを異にする雨雲が黒く垂れこめ、灯ろうのガラス壁を叩く雨粒をランタンの光が淡く縁取る。そこに、仰向けになったミドーが歪みながら映りこんだ。足を上げればガラスのミドーも足を上げ、手を伸ばせばガラスのミドーも同様に手を伸ばした。空を掴み、ミドーは手を下ろす。

 灯ろうへ久しく灯った光が消えた。

 ミドーはこの夜、ヨットに乗る夢を見た。それは今作っているボトルシップのヨットであり、灯台の壁を抜け、晴れた大海原へ帆を広げて飛び立っていった。




 けたたましい声にミドーは目を覚ます。固い床で眠った体のあちこちが痛く、目をこすりながら起き上がると、灯ろうの周囲を海猫の集団が飛び交っていた。

「うわっ!?」

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