風向きや風の強さが変われば反れていくだろうが、現状、その要素は見られない。ミドーは眉をひそめて用紙に「要観察。十二時の最終報告待ち」と書き足した。

 それから灯台周辺の薔薇の様子、北の崖にある大きな風見鶏の向き、そこから少し下った磯より覗く海の魚の様子などを調べていき、朝の記入欄が全て埋まった頃には陽が十分に昇っていた。日陰を辿って灯台に戻っていると腹の虫が鳴る。いつもの通り、ミドーの腹時計も正確であった。

 石積みの灯台の中はひんやりとしている。ミドーはほうと一息をつき、玄関わきの小さな台所の小さな冷蔵庫から作り置きした麦茶をコップに注いで飲んだ。それが最後の一杯となり、空になったポットはシンクへ、戸棚から出した麦茶のティーパックを水と共に大きなやかんに入れて火にかけた。沸かしている間に食パン二枚をトースターで焼き、冷蔵庫に鍋ごと入れていた昨夜の味噌汁の残りを火にかける。

 台所からは一階が見渡せた。と言っても狭い灯台である。曲線を描く作り付けの棚はどれも古めかしくて背が高い。上にある物は脚立を使わなければ届かず、ミドーも初めは丁寧に持ち出しては戻しを繰り返してはいたが、次第に面倒になって下の棚へと戻すようになった。お陰で棚の上はすかすかでも下はみっしり、そこから溢れ出た本や物がミドーなりの法則に沿って床に置かれている。

 大理石の土台がついた壊れた時計、金平糖の舞うスノードーム、色あせた白い日傘、細身のガラス瓶の底に薄く残った香水、錆びた錨、片割れを失ったペアリング、鞘のない片手剣、虹色に光る翅を広げた蝶の標本……どれも使うには何かが足りなかったり、古すぎたりする物ばかりだった。

 最近はこの物たちに加えようと、自分でボトルシップを組み立てている。その途中の物がテーブルから窓越しに海を臨んでいた。

 麦茶の香ばしい匂いと味噌汁のふくよかな匂いが立ち込め、ミドーの腹の虫はいよいよ騒がしくなる。手際よく器に盛って先に食べ物をテーブルへ、もう一度台所に戻ってやかんを持ち、青いマグカップへ注いで傍に置く。

「いただきます」

 マーマレードをたっぷり塗った食パン二枚、しっかり火の通ったわかめと豆腐の味噌汁の朝食をたいらげながら、ミドーは朝の分の観察記へ目を通す。この間に記入漏れがないか、字の間違いがないかを確認しており、今日はそのどちらもなかった。食パンの最後のひとかけらを味噌汁で流し込み、麦茶を飲んで一息つく。大きな窓からは太陽の光が白々と入り込み、ひんやりとしていた灯台の中を徐々に暖める。

 手で影を作りながら目を細めて見ていると、テーブルの端で音がした。ミドーは首を巡らせて音の出どころを注視する。テーブルにも様々な物が置いてあり、その一角にタオルで覆い隠された山があった。大きさでは麦茶のやかんほど、幅はあまりない。ミドーは眉をひそめて睨み付ける。すると、今度は明らかにそのタオルの下からはっきりとした音──人の声がした。

『……あー……おーい……いるのか?』

 合間に砂をこするような音を挟みつつ聞こえるのは低い男の声である。渋みと苦みを何重にも重ね、それらを持たない人を嘲笑うような、そんな人の悪さが滲んでミドーはますます顔をしかめた。

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