『見てるの。』2
毒の徒華
『見てるの。』2
【木曜日】
電車の中で、電話をしている男の人の声がずっと聞こえている。
私が乗ったときからずっと電話をしていた。
――やだなぁ……電車の中で電話なんて……
仕事終わり。
スーツのスカートの裾を私は目の前の男性の視線から逃れるように直した。髪の毛を一本に縛り、眼鏡をかけている私は別段特徴のない女だった。
「俺さぁ、スーツ着てる女の人好きなんだよね。なんか真面目な感じでいいっていうか――――」
「何が良いって、スーツってところがいいよな」
「キャリアウーマンって感じでかっこいいし、でも俺だけに弱いところ見せてくれたらグッとくるっていうか」
恥ずかしげもなくその男は、身振り手振りで話し続けていた。
私から対角の位置に座っている。
私と同じ、特に何の特徴もない男だ。しいて言うならスーツを着ているのが私と同じというところだろうか。
――ほんと、あぁいうの恥ずかしい
私はなるべく話を聞かないようにしていた。
男は暫く話をして満足したのか、電話を切った。
ふと、男がこちらを見た。
私と一瞬目が合う。
私は当然、目を逸らした。
――目、合っちゃった……
私は自分が降りる駅で足早に降りた。
後姿を見られているような気がしたが、振り返って確認はしなかった。
◆◆◆
【月曜日】
私は休みが明けて、休みが終わったということに物凄くがっかりしながら電車に乗った。
――でも、月曜日はまだやる気ある方だから……
普段はあまり化粧はしないけれど、今日はオレンジのアイシャドウを使って、髪の毛も黒いヘアゴムではなくて花の飾りがついているゴムでまとめている。
それにスーツも真っ黒なスーツではなく、グレーの少しお洒落なスーツだ。
――月曜日だけなんだよね……あーあ、会社に好きな人でもいたらもう少し頑張れるのにな……
電車に乗ると、通勤時間の電車はやはり混んでいた。
ぎゅうぎゅうと押し込められるように私は奥へと追いやられて電車に乗る。それが数駅続いた後に、水をこぼした様に電車から人々が流れ出た。
その流れに乗って私は電車を降りた。
「はぁ……」
ため息をつきながら、私はいつもの駅のルートを通って歩いていると、電話をしながら歩いている男性の声がふと耳に入ってくる。
「アイシャドウはオレンジがいいよな」
「明るい色の目元が好きなんだよね」
「やっぱお洒落な女っていいよな」
なんだか、聞き覚えのある声だった。
ちらりと見えるその男は、この間電車の中で電話していた男だと気づく。
特別特徴がないが、その特徴がないというところが特徴だった。
――この前はスーツ着てる真面目な女が好きって言ってたのに……
そう思いながら、私は横を通り過ぎた。
男はちらりと私の方を見た。
私が通り過ぎた後、男はそれ以上話をしていなかったように思う。
◆◆◆
【金曜日】
また休みが訪れると思うと、私は心の底からホッとした。
――あー、疲れた……
私は軽く伸びをして、もう暗くなった周りを横目に電車に乗り込む。
この時間になると流石に電車も少し空いて、ぎりぎり座れる程度。
疲れた体を投げ出すように、私は電車の席に腰を下ろした。
――今日は新しいヒールにしたから疲れちゃった……
踵かかとの靴擦れが少し痛い。
――ちょっとキツイの買っちゃったかな……
私がしきりに自分の踵を気にしていると、車内から電話の声が聞こえてきた。
「俺、やっぱり新しい靴好きなんだよね」
「足元からのお洒落って言うかさ、足元見られるって言うだろ?」
「靴汚いのとか、無理なんだよ」
まただ。
また、同じ男が同じように電話しているのが聞こえた。
私の対角線上にいる。
今日は私に背を向けて、出入口付近の手すりに寄りかかって話していた。
――いつも自分の好みの話してる……
どれだけ友人に対して自分の好みの話をするのだろうか。
嫌でも目についてしまう。
他の乗客も迷惑そうに時々男をチラッと見ている。
――迷惑だって解らないのかな……
男はずっと靴の話題や脚元の話をしていたが、少し経って電話を切ったようだ。
電話が切れる頃に私は降りる駅になり、私は疲れた体を引きずって電車から降りた。
「はぁ……」
電車から降りて前方に歩き始めると、電車の中にいる電話男の横を通り過ぎた。
なんだか、見られているような気がした。
◆◆◆
【月曜日】
また月曜日だ。
仕事に行くのが気が重い。
それでも自分の中で月曜日だけは何か生活に変化を持たせようと、色々と見た目に変化をつけていた。
土曜日にネイルの店に行って、派手になりすぎない程度のピンクのネイルをしてもらった。
自分の指を時折ジッと見つめる。
――まだ当分持つな。ネイル行って良かった。次の柄はどうしようかな……
電車に乗って、ぎゅうぎゅうに押されながら私はなんとかつり革を掴んでいた。
今日も混んでいる。
すると、真後ろから男の声がした。
「ネイルっていいよな」
「やっぱ小奇麗にしていてくれないと」
「手元が綺麗な女っていいよな」
あの声だった。
もう何度も聞いている。あの男の声だ。
私の真後ろにいるようだった。
また電話をしている。
――どれだけ自分の性癖話せば気が済むの……
私は呆れた。
男は延々と話をしている。
ふと、私は興味本位で耳を澄ましたとき、違和感を覚える。
――この人……相槌がない……?
延々と、自分の話したいことだけ話していて、電話越しの相手が話している様子が全く感じ取れなかった。
それに、受信音が大きければ離れていても電話の声が聞こえることもあるが、その男の声以外は何も聞こえない。
男の声はそれほど大きい訳でもないのに。
私の真後ろにいるのに、一向に受話器の向こうの声は聞こえてこない。
――もしかして……独り言……?
そう思ったとき、背筋がゾッとした。
ずっと男は独り言を電話を片手にしているのだろうか。
だとしたら……――――
――この人、普通じゃない……
そして、ふと男が言っていた独り言とおぼしき言葉を思い出す。
全て思い出した瞬間に、全身に鳥肌が立った。
恐怖に震え、脚が震えてくる。
つり革を掴んでいる手が震えたが、相手に悟られないように力を入れて握った。
――全部……私の話をしてる……気のせいじゃない……
スーツ、オレンジのアイシャドウ、新しい靴
それから今日のネイルの話。
偶然と思うには一致しすぎている。
それに何度も何度も目が合っていた。
――どうしよう……怖い……!
私は会社の最寄り駅に着く前に、次の駅で人混みを避けて降りた。
「はぁ……はぁ……」
自分の膝に手をついて下を向いて荒い息を整える。普段降りない駅のタイルが目に入った。網目がいくつも無造作に伸びているのが見える。
私を置いて、電車から降りた人々は改札を目指して消えていく。
警察に行こう。
これはストーカーだ。
間違いない。
私が床から顔を上げる。
「ひっ……」
思わず声が漏れた。
あの男が柱の近くに直立不動で立っているのが見えたから。
思い切り心臓がはねる。
男は携帯を耳に当て、相変わらず電話をしていた。
「俺さぁ、ちょっと不真面目な女も好きなんだよね」
「会社ちょっとサボっちゃうような?」
「やっぱり不真面目なところもないと一緒にいて疲れちゃうよな」
男はこちらを見て、言っている。
電話の相手じゃなく、私に言っているのだ。
私は恐怖のあまり、腰を抜かしてその場にへたりこんだ。その男から逃れるように這いずるように後ずさる。
男はゆっくりと私に近づいてきた。
男は私の方を見つめていた。
私も恐怖に慄おののき男を凝視する他なかった。
「やっぱり……」
尚も男は携帯を耳に当てている。
「目を見つめてくれる女が良いよな」
「ずっと俺のこと『見ていてほしい』って思うし」
「俺もずっと『見ていたい』っていうかさ」
男は、不敵に笑いながらそう言った。
私は、声を出すこともできないまま、男を『見ている』しかできなかった。
おわり
『見てるの。』2 毒の徒華 @dokunoadabana
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