第二章 2

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 以上が「摩訶般若波羅蜜多心経」の全貌である。

 少々、珍しい、「般若心経」の解説になったかもしれない。

 しかし、オブラートに包んだ解説よりも、ズバリと言って仕舞った方が、読む方も、モヤモヤしないで、スッキリするのではあるまいか。

 「誕生」(大楽=たいらく)の思想は、真言宗で、一部入ってきては、いるが、セクソロジーである。おおっぴらに、するべきものでは、なかったのであろう。しかし、自然の理である。二十一世紀になって、そこを、秘儀にしたままというのは、歪である。しかし、本稿の役目ではない。

 般若部は、それと対置する、「空の思想」の根幹の思想である。般若部の枢要を述べた経典が、「摩訶般若波羅蜜多心経」である。

 誕生の対極は、矢張り、「死」であろう。「死」を「度」として、「渡る」とした。そこで、「諸法」は全て無いとなったら、人々は、矢張り仏に、縋る他にないではないか。

 しかし、その仏はどこに、いるのだ。となったとき、己の腹の中を指させ。そこに、しっかり、仏はいるではないか。

 そして向かう先、彼岸にあるのは、中有であり、そこは、平等性智の場所なのである。すべてのものを、平等に見る仏が、おいでになるのだ。

 平等とは、過去世も含めての平等なのである。キチンと、現世でのバランスは出来でいる。

 「死んでしまえば、チャラだよ」と言う考えは、通用しない。

 懸命に生きることだ。それが、最後の「ギャテイ偈」に繋がっていくのである。

 「心経」は、「死」を主題にしながら、我々の今を、どうやてって精一杯いきたらよいのかを、「心の杖」として、見事に、教えてくれている、最大のテキストである。


 さて、私は、『心毒の海を渡り』切れるのであろうか。最後の最後まで、休ませてはくれない。

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心毒の海を渡る 牛次郎 @gyujirou

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