第8話

「プラゴミの日のリマインダーです」

 Alexaが言う。


 しまった、今日は月曜だったか。持っていた食パンの空袋をあわててゴミ袋に押し込み、押さえつけながら口を閉じる。

 子供が小さいため土日は休みのことが多いが、基本的に不規則な生活をしていると曜日の感覚がすっかり無くなってしまう。

 それをなんとかするために潜水艦では毎週金曜日がカレーの日なんだっけ、それとも土曜日だったか。


 あの日以来、私と彼は毎日のようにLINEをしていた。

 朝、通勤電車の中で。あるいは夜、布団の中で。

 面白い動画を見つけたとか煮魚が好きとか、そんな他愛もないことから幼少期の出来事や人生観まで、毎日、毎朝、毎晩話した。


 私は生まれ育った家庭に恵まれず生育歴が複雑だが、何を話しても彼は驚かなかった。

 唯一、前夫にレイプされたことだけは「悲しい」と言って泣いた。

 幸か不幸か、傷付くことに慣れていた私は誰に何をされても泣いた記憶がない。悪意や暴力が身近に在りすぎて麻痺していたのだろう。

「悲しい」と言って彼が泣いたとき、そうかこれは悲しむことなんだと初めて気が付いた。

 だからといって、私の人生には過ぎてしまったことを悼む余裕などない。その虚しさにひたすら絶望した日々もあったが、それすら記憶の奥底に霞んでいる。

 過去を振り返ったところで、私には何もないのだ。


「実はアタシ、明日誕生日なのよね」

 と彼が言う。

「じゃあお祝いしなくちゃね」

 と返すと、

「アタシにとって、誕生日ってちょっと複雑なの…」

 と返事がきた。

 聞いてくれますか、と前置きしたうえで彼は話し始めた。

 中学校に上がってまもなく誕生日を迎えたある日、学校から帰宅すると近所の親戚がいて病院に連れていかれたこと。

 病院に着くと両親がベッドに横たわっていたこと。

 そして、その手は冷たかったこと。

 サプライズの誕生日ケーキを受け取りに行く途中での、不慮の事故だったという。

 その日以来、親戚宅を点々とたらい回しになりながらずっと一人で生きてきたと、彼は言った。


 私は思わず天を仰いだ。

 こんなことがあっていいものか。

 誕生日に親を奪われた彼の心情も、一人息子の誕生日を祝えずに突然この世を去らねばならなかった親の無念も、胸を引き裂かれるほど辛く、痛い。

 なんて悲しいのだろう。


 私はただ「悲しい」と言って泣くことしかできなかった。絶望のどん底からこの世を見たことがある彼にかけられる言葉など、何があろうか。少なくとも私は持っていない。

 悲しいと言って泣くことしかできない私に、彼は

「ねこかめさんが前の御主人に性的暴力を受けていたと話してくれたとき、アタシも同じ気持ちでしたよ」

 と、優しく言った。


 そうか、これが悲しむという気持ちなのか。

 大切な誰かが傷付き自分の無力さを痛感するとき、人はこんな気持ちでただ悲しむしかないのか。


 悲しみの意味を、その時、私は初めて知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ストップ戦記用洗剤 ねこかめ @nekocame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る