番外編2:侍女の戸惑い

 シルヴィーの誕生日から十か月が経ち、伯爵とシルヴィーの関係は徐々に変化していた。そして当のシルヴィーはというと…



 困惑していた。



 最初のうちは、シルヴィーもその変化を好意的に受け止めていた。これまで仕事の上でしか会話のなかった伯爵が、少しずつシルヴィー自身のことを質問したり、反対に伯爵自身の生い立ちや趣味について話したり、季節のことや庭に咲く花のこと、屋敷で働く使用人のことなど、雑談と言えるような気安い会話が増え、シルヴィー自身も伯爵との会話を楽しんでいた。

 その変化に初めは少し戸惑いもあったが、自分以外の使用人とは以前から気さくに会話する様子も見かけていたことから、「旦那様が専属侍女である自分とも打ち解けようと気遣ってくださっている」のだと理解していた。


しかし半年ほど経った頃から、伯爵がシルヴィーにかける言葉に、徐々に甘いものが含まれるようになっていった。




「今夜は雨が強い。あなたのその小さな傘では濡れてしまうだろう。私の傘を持っていくと良い」


「いえ、とんでもないことでございます。家まではお屋敷の裏門を抜けてすぐですから」


「大事なシルヴィーが風邪でもひいたら私が困るんだ。良いから使ってくれ」


 最初は、シルヴィー自身の勘違いかと思っていた。ただ専属侍女のひとりとして大事にしてくださっているだけで、きっと深い意味はないのだと。




「昨夜もハーブティーをありがとう。あなたが私のために淹れてくれたと思うと、より一層おいしく感じたよ」


「…!…もったいないお言葉でございます」


「あなたの控えめなところは美徳だが、褒められたときは『ありがとう』で良いんだよ」


「…ありがとう…ございます」


 シルヴィーは少し顔を赤らめて答えた。一瞬口説かれているような気がしたけれど、まさかそんなはずはない、きっと気のせいだと胸の中で結論付けて。




「シルヴィー、チョコレートケーキをもらったんだ。小さなケーキだから他の使用人たちにまでは配れなくてね。持って帰ってくれないか」


「…これは街のショコラティエの!…こんな貴重なもの、いただけません。旦那様がお召し上がりください」


「私は良いんだよ。あなたはチョコレートケーキ好きだろう?」


「…はい。…ですが…」


「良いから!明日ぜひ味の感想を聞かせてくれ」


「…はい。恐縮でござ……ありがとうございます」


 「恐縮でございます」と言おうとしたけれど、伯爵の目が「違うだろう?」と優しく指摘していることに気付き、シルヴィーはお礼の言葉に言い換えた。



 最低でも二時間は並ばないと買えない、現在街で話題のチョコレートケーキ。とても気になっていて、一度食べてみたいと旦那様に話したのは、ほんの二日前のことだ。どんな高位貴族でも予約は受け付けておらず、気軽に手土産に使えるようなものではない。そして、今朝旦那様が護衛一名だけを連れてお忍びで外出されたことは知っている。護衛が二時間も旦那様から離れ、お遣いで菓子屋に並ぶことなど考えられない。つまり……。


――旦那様が私のためにわざわざ並ばれたのだわ。…でも、どうして??


 もうほとんど答えが分かっていながら、信じられない気持ちの方が大きく、シルヴィーの戸惑いは増すばかりであった。




 そして現在に至る。



「おはよう、シルヴィー。今日のあなたも可愛いな」


「あなたにお礼を言われると、なんでも出来そうな気持ちになるよ」


「おやすみ。夢でもあなたに会えると嬉しいのだが」



 生来の鈍感力を発揮し、何度も脳内で可能性を否定し続けてきたが、ここまで来るとさすがのシルヴィーでも気づかないはずがなかった。毎日熱のこもった視線を向けられ、明らかに甘い言葉を囁かれ続けているのだから。


 救いだったのは、旦那様がきちんと公私の時間を区別される方であったことで、仕事中はいつもどおり、少ない言葉で理解し合い、冷静に業務を遂行することができた。あまりに普通なので、シルヴィーはやはり自分の勘違いなのかもしれないと考えるのだが、朝や晩の挨拶や、休憩時間や仕事終わりのちょっとした雑談の度に、こんな調子で言葉をかけられるので、頭の中は大混乱であった。



――旦那様が、私に好意を持ってくださっているのは、きっと、たぶん、間違いないような気が…しないでもない。でも、旦那様がどうなさりたいのか分からないし…私はどうしたら…


 そう、シルヴィーの中で自分が伯爵夫人として望まれているなどという発想は、ここに至っても露程もなかった。使用人一家出身の平民である自分が伯爵の恋人になれるとも思えず、かと言って尊敬し信頼する旦那様が自分を愛人として囲うようなことをなさるとも思えず、混乱し続けるばかりであった。




 一方、最近シルヴィー他数名の侍女たちは、「特別研修」という名目で、礼儀やマナーを強化する時間が設けられていた。


 能力主義のこの王国では、爵位に胡坐をかくことを是とせず、二年に一度爵位と序列の見直しが行われる。伯爵とシルヴィーの努力によって領地が急速に発展し、農業面でも商業面でもより豊かになったという功績が認められ、つい先日この伯爵家は第八伯爵家から第二伯爵家へと序列が上げられていた。表向きは「第二伯爵家としての家格に見合う侍女教育をする」という名目であるが、これは実際にはシルヴィーを伯爵夫人とするための教育であった。共に教育を受けている他数名の侍女については、将来の伯爵夫人付きの侍女となることが内々に決定している。


 ひとり困惑するシルヴィーをよそに、着々と外堀は埋められ始めていた。


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