最終話 口下手伯爵は侍女ともっと喋りたい
侍女のシルヴィーが可愛い。
今の私は明らかに浮かれているということは自覚している。しかし、彼女と会話をすることがとても楽しいのである。
きっかけは、数日前の執務室での会話であった。
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シルヴィーの母親である侍女からの助言もあり、私はついに彼女本人に誕生日プレゼントに欲しいものを聞いてみることにした。しかし、聞くと決めたまでは良いが、今度はどうやって自然に彼女に切り出したら良いのかが分からず、私は悩んでいた。
考えてみれば、彼女とは仕事以外の雑談をほとんどしたことがない。仕事のことであればゼロ往復から一往復の会話だけでも理解し合えるのに。むしろそれゆえに仕事と無関係のことについてはどう声を掛けて良いのかが分からなくなっていた。しかし、その雑談の少なさが今回の贈り物を選べないという残念極まりない事態に繋がっているのは明白で、私はこの環境を早急に改善せねばならない。
「シルヴィ…」
「あの…」
ようやく決意を固めて口を開いた瞬間、彼女も私に何か声を掛けようとしていた。タイミングが悪かった。
「…大変失礼いたしました。どうぞ」
「…あ、ああ」
彼女はいつもの美しい無表情な微笑みを浮かべ、私に先を促した。彼女の声掛けも気にはなるが、この場合は私が先に話すのが筋であろう。というか、今話し出さねばまたタイミングを失うことが目に見えているので言うしかない。
「…実は、大変に言いづらいことなのだが…」
「………はい」
言うと決めて口を開いたにも関わらず、往生際悪く私の口が止まってしまう。言葉の途中で彼女が相槌を打つのはとても珍しいことであった。私は今度こそ腹をくくって先を続けた。
「すまない。…あなたへのプレゼントに何を贈ったら良いのかが分からないのだ」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………………はい?」
――しまった。「誕生日プレゼントに何が欲しいか?」と問いかけたかったのに、ここ最近ずっと彼女のことを何も知らない自分を反省し続けていたため、先に謝罪の言葉が出てしまった。しかもこの言い方では彼女も返事に困るではないか。
常に簡潔な返答をする彼女だが、困惑した様子である。いつもの微笑が少しだけ崩れ、小首を傾げる様子は、しっかり者の彼女には珍しく、こんなときになんだが非常に可愛いらしい。
謝罪の言葉が出てしまったので、いっそきちんと懺悔してしまおうと決め、先を続けることにした。
「一年も私の補佐をしてくれているのに、何を贈ったらあなたが喜ぶのかがわからないのだ。私は上司として失格だ…」
私の言葉を聞いた彼女は、尚も小首を傾げた姿勢のまま固まっていたが、主である私に謝罪させてしまったと思ったためか、顔色を青く変えた。
――言い方がまずかったか。彼女のように責任感の強い人間はかえって自分を責めてしまうかもしれない。明らかに悪いのは私であるのに。
その顔色を見て焦って次の言葉を考えるが、今まで彼女とろくに会話をしてこなかった付けが回ったのか、咄嗟に適切な言葉が出てこない。次の言葉を探してしばし固まっているうちに、少しだけいつもの冷静さを取り戻した様子の彼女が口を開いた。
「…あの、もしかして、最近何かお悩みのご様子だったのはそのせいでしょうか」
「…う、気付かれてしまっていたのか。確かに、悩んでいた」
彼女の確認の言葉に対し、素直に肯定を返す。今更取り繕ったところで仕方ない。
すると、さらに彼女が言葉をつづけた。
「私などのことで…畏れ多いことでございます。何をいただいても嬉しいですし、何もくださらなくたって一向に構いませんのに…」
その言葉は彼女の両親の想定回答と見事に一致しており、互いを理解し合っている良い家族なのだなと、変なところで感心してしまった。しかし、結局のところこれでは彼女への贈り物が決まらないままであるし、これほど世話になっている彼女に対し何も贈らないという選択肢は私にはない。
そこで、ふと気付く。
――私は今、シルヴィーと会話をしている。
思えば、彼女が先ほどのものほど長い言葉を私に対して発したのは初めてかもしれない。いつも王宮の仕事の書類作成や領地経営に関する話ばかりで、それは必ずどこかに結論があり、私たちの会話はいつも最短でその結論を導き出すための手段でしかなかった。
――そうか、答えのない問いをすれば良かったのか。もっと彼女自身のことを聞けば良かったのか。
この一年、彼女との会話を長引かせようとあんなに努力した自分を思い起こして呆れる。何も難しいことではなかったのだ。私は彼女と、ただ話がしたかったのだから。そして、過去の自分の不甲斐なさを嘆いても仕方ない。これから先、彼女の声に耳を傾け、たくさんの彼女を知っていけば良いのだ。
ここ数日の苦悩と先ほどまでの焦りが収まり、気持ちが前に向いたことで、私の心は平静を取り戻した。
「我が家の大切な習慣であるし、この一年よく私の補佐を務めてくれたあなたに少しでも報いたいのだ。何でも良いから、何か欲しいものはないか?」
ようやく自分に足りなかったものに気付き、自分の不甲斐なさへの呆れと、彼女と会話が出来ているという喜びが湧き上がり、自然とこみ上げてくる笑いを抑えながら彼女に問いかけた。
「…欲しいものなんて、何も…」
シルヴィーはやはり少し困ったような微笑を返したが、その答えは私にとっては嬉しいものであった。答えがないのなら、これから言葉を重ねて、共に探していけば良いのだから。
「そうか、では一緒に何が良いか考えよう。あなたが答えやすいよう、ひとつずつ質問をするから」
そして私は、たくさんの質問を彼女に投げかけた。
「好きな色は何だ?」
「……晴れた日に、夕焼けのオレンジから夜の紫が混じり合うときの色が好きです」
「うん、私もその色は好きだな。では、好きな花は?」
「…そうですね、花は何でも好きですが、子どもの頃、誕生日のお祝いに家族でピクニックに連れて行ってもらったときの、ネモフィラの花畑が印象に残っています」
「ネモフィラか、あの可憐なブルーはあなたによく似合うだろう。次は、好きな食べ物は?」
「……お恥ずかしながら、甘味が好きです」
「女性はみんな好きだろう、何も恥ずかしいことはない。では、フルーツの乗ったケーキとチョコレートケーキだったらどちらの方が好き?」
「…それは究極の質問ですね、どちらも好きなので、決められません」
「では、今の気分だったらどちらを選ぶ?」
「…むう、悩みますが、フルーツのケーキでしょうか…」
真面目な彼女らしく、時に熟考しつつもひとつひとつ丁寧に答えてくれた。それが嬉しくて、私は彼女を執務室のソファーに座らせて、一刻もの間ひたすらに質問を続けてしまった。
嫌がられていないかと途中で心配にもなったが、彼女のいつもの微笑みが、答えに悩んで少しだけゆがんだり、好物を思い浮かべてふっと緩んだりする様子が可愛いらしく、つい調子に乗ってしまったのだ。
とくに好きなものについて話す彼女の顔がもっと見たくて、様々な「好き」を彼女から聞き出した。今まであれほど喋れなかったのが嘘のようで、なぜ私はもっと早くこうしなかったのかと自分で自分を殴りたい気持ちになったのは言うまでもない。
余談だが、その日の夜は料理長に頼んで使用人ダイニングへフルーツケーキを差し入れてもらったのだった。
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「二日早いが、誕生日おめでとう」
明日から誕生日休暇となるため、私は少し早めの誕生日プレゼントをシルヴィーに手渡した。
悩んだ末に用意したのは、ハーブの寄せ植えだった。先日の質問攻めによって、彼女が休日はガーデニングをすることが趣味で、私が酒を飲んで帰る日に淹れてくれているハーブティーにも、彼女が手ずから育てたハーブが使用されていることを知った。今はガーデンにハーブの種類を増やしているところで、料理やハーブティーに様々なブレンドを試行錯誤するのが楽しいのだと言っていた。
そこで、この国では入手がやや難しい近隣国産のハーブで、気候的に育てやすく、また、他のハーブに悪影響を及ぼさないものを庭師に相談して用意してもらったのであった。
鉢植えに巻かれたリボンは、彼女が好きだと話していた夕暮れ時の色に似た、オレンジと紫の二色を選んだ。
「ありがとうございます。…とても、嬉しいです」
お礼と共に、思わずこぼれたといった様子の彼女の「嬉しい」という言葉と、今までの微笑みとは違う確かな笑顔に、私は心から幸せを感じるのであった。
休暇が明けたら、彼女に何を聞こうか。どんなことを話そうかと、今から楽しみで仕方ない。
そして来年の彼女の誕生日には、今度は何も質問せずとも、今以上の笑顔を引き出してみせると、心の中で静かな闘志を燃やすのであった。
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翌年の侍女の誕生日に、ネモフィラの花畑で微笑むふたりの姿があったことや、ひとり娘を嫁に出すことを渋った敏腕執事が何か月も首を縦に振らなかったこと、若き伯爵夫人の考案したハーブの新しいブレンドレシピが評判となり、後に一大産業として発展したことなど、仲睦まじい伯爵家のたくさんのエピソードは、優しい香りのハーブティーと共に、領民たちにいつまでも語り継がれている。
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