第4話 口下手伯爵は悩み、侍女は困惑する
私は困っていた。
来週に迫ったシルヴィーの誕生日プレゼントが決まらないのだ。
伯爵家の使用人たちは非常に優秀かつ勤勉で、私の生活にはなくてはならない存在である。先代や先々代の時代から家族ぐるみで仕えてくれている者も多く、今は亡き両親からも使用人を守り大切にするよう子どもの頃から言い含められてきたし、事実彼らは私にとって家族と同様に大切な者たちだと感じている。
普段働きすぎなほど尽くしてくれる彼らに少しでも報いるため、伯爵家では使用人の誕生日には前後を含め三日間の休日と、プレゼントを用意することが慣例となっている。また、使用人の中に誕生日の者の家族がいる場合、誕生日当日は家族にも休暇を与えている。
誕生日のプレゼントは、本人の仕えている上司にあたる伯爵家の者が直々に選ぶ。自身の身近な使用人の欲しいものや好みを把握できるくらいの人間関係は、常に築かねばならないという我が家の教訓でもあるのだ。しかし、両親が他界し妹も嫁に出した今、この家にいる伯爵家の者は私だけで、自然とすべての使用人へのプレゼント選びが必要になってしまい、流石に全員の好みを抑えて贈り物を選ぶことは難しくなってしまった。そのため、この一年間の使用人の誕生日には、本人の家族や仲の良い他の使用人からの意見も参考にして、プレゼントを用意してきた。
しかしながら、直接的な関わりの少ない使用人ならばまだしも、私の専属侍女として一年間常に支えてくれているシルヴィーへの誕生日プレゼントを、他の者に相談するわけにはいかないと思えた。
昨年は私付きとなって間もなかったため、前上司である妹から、彼女好みの小説が贈られた。そのさらに前年は、やはり妹が選んだ髪飾りが贈られており、今も彼女が大切に使っていることは知っている。では今年は何を贈るべきかと考えるが…彼女の好むものも、欲しがっているものも、何ひとつ思いつかないのである。私は今更ながら気付いたその事実に愕然としていた。
――嘘だろう…。私はこの一年、彼女の何を見ていたのだ。これほど長く共に過ごしながら、好みひとつ知らないなんて…
自分の不甲斐なさに衝撃を受けつつも、ここ数日間私は必死にこの一年の記憶を遡っていた。彼女との数少ない会話や、彼女が見せた仕草に何かヒントはなかったのかと考えるが、記憶の中の彼女はいつもの優しく美しい無表情の微笑みを浮かべるばかりで、何も答えてはくれない。
「自分付きの侍女のことさえ理解できず恥ずかしいことだとは承知しているのだが…、力を貸してくれないか」
最終手段として、恥を忍んで彼女の父親である執事に相談をしてみた。もちろん、シルヴィーには他の要件を頼んでおり、執務室に私と彼のふたりしかいないときにである。人に聞くのは悔しいが、彼女の好みから大きく外れたものを渡してしまうよりは、相談してでもマシなものを贈るべきだと考えたのだ。
「何でもよろしいかと。それよりも、お忙しい旦那様をそのような些末なことで悩ませるなどあってはならないことです。娘にとってもそれは本意ではないでしょうから、いっそ今年のプレゼントは控えられてもよろしいのでは」
アドバイスを求めたのに、まさかの「何も贈らなくて良い」という回答に私は絶句してしまった。当の執事はいつもの不動の微笑みを浮かべている。そしてその微笑みはこれ以上何も言うつもりはないのだと雄弁に語っていた。シルヴィーは彼によく似ている。
コンコンコンコン、と控えめなノックの音が鳴り、盆に紅茶を乗せた侍女が部屋に入ってきた。今日はいつもの担当者が休みのためだろう、その侍女は元私付きであり、シルヴィーの母親である女性であった。以前腰を痛めてからは筆頭侍女の役目を降り、勤務日数を減らして働いてもらっている。彼女は私の本格的な跡継ぎ教育が始まる前の幼児教育を担当していたこともあり、私にとっては第二の母のような女性だ。彼女もシルヴィーや夫である執事と同様に完璧な微笑みを絶やすことはないが、子どもの頃からの関係もあって、私に向ける微笑みには常に親愛の情が感じられる。
不動の微笑みを浮かべて黙り込む夫と、次の言葉を出しそびれている私の姿を見て、何かを察したのであろう彼女は、私に助け舟を出してくれた。
「何か難しいご相談事でしたか」
その言葉を文字通り天の助けとばかりに、本当に困っている私は、彼女に正直に経緯を打ち明けた。
それを聞いた彼女は、事もなげにこう言った。
「まあ!それでは娘に直接聞いてみたら良いではないですか」
直接本人に尋ねるという手段は考えてもみなかった私は、驚くと同時に、やはりシルヴィーにどう思われるか不安にもなった。
「しかし、一年も補佐をしてもらいながらまったく彼女を理解できていない私に、彼女は幻滅しないだろうか…」
幼い頃から母親のように私を見守ってくれていた信頼する侍女に対しては、普段は口に出すことのできない弱音もついこぼしてしまう。
「そんなことを思う娘ではありませんよ。むしろ自分のことで旦那様を悩ませてしまったことに罪悪感を覚えるでしょうから、聞いて解決できることならば遠慮なく聞いてやってください」
回答内容は夫婦で同じでありながら、提示された解決策が異なっていた。不動の微笑みの執事からは、表情は変わっていないのに、どことなく冷気を感じる気がするのだが、気のせいであろうか。
「…そうだな。この一年私がシルヴィーとしっかりと言葉を交わしてこなかったことも原因なのだろう。来年のプレゼントは自分で考えて用意できるようにするためにも、今回は彼女に聞いてみることにするよ」
私の言葉に、彼女の母親は微笑みを返した。それはやはり侍女としての完璧な微笑みというよりも、母親としての愛情が感じられるような温かなものであった。そしてその隣の執事の微笑みは、やはりなぜか冷ややかに感じられた。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
最近、旦那様は何かを悩んでいらっしゃるように見受けられる。
しかし、私には旦那様を悩ませる内容についてまったく心当たりがなく、内心途方に暮れていた。
領地経営は安定しており、最近導入した新農法の試験結果も順調であるし、先日着工した新しい橋の進捗も問題ないと報告を受けている。王宮での仕事もつつがなくこなされているし、同僚や上司との人間関係も良好であることは私も調べて確認している。
国全体に目を向けても、近隣諸国との関係は安定しており、戦争が起きるような前兆もなければ、旦那様のお立場や命を狙うような不届き者が現れる気配もない。領民はもちろん、取引先の商店主や御用達のレストランのスタッフ、たまに慈善事業で訪問される孤児院の子どもたちに至るまで、旦那様の評判は素晴らしいものばかりである。
唯一心当たりがあるとすれば、二十代も後半に差し掛かるのに、まだご婚約者も決定していないことであるが、有能でお優しい旦那様であれば奥様選びに困るようなことは何もなく、縁談は引きも切らない。かといって圧力をかけて無理に婚姻を迫るようなことも起きてはいないし、旦那様本人もこれまで焦っていらっしゃるご様子もなかったことから、突然悩まれるようなことではないと考えられた。
――私は一年もおそばにお仕えしていながら、旦那様のお気持ちを何も理解できていないのだわ。
その事実に気付き凹みつつも、侍女として旦那様のお心を曇らせることは迅速に解決しなければと心を奮い立たせる。頼りない私には相談できないだけで、他の使用人ならば何か知っているかもしれない。
早速、執事である父や、元専属侍女の母、従者やメイドに尋ねてみたところ、皆そろってなぜか曖昧な微笑みを浮かべるのであった。私以外の使用人はなんとなく察しがついているようだと分かり、私はさらに落ち込むのであった。
自分が至らないことは十分に反省しつつ、今後旦那様への理解を深めるためにも、これは恥を忍んで直接うかがうしかないと決意し、私は旦那様の執務室に向かった。
旦那様は重厚な執務机に両の手を乗せて指を組み、その上に顎を乗せ、やや俯いて何かを考えこんでいる。憂いを帯びた紺色の瞳とそれを縁取る長い睫毛が美しく、一枚の絵画のようであると頭の隅で考える。そのただならぬ雰囲気に、質問をしようと意気込んできた私の決意は尻込みしてしまう。
――やはり何かとんでもなく重要なことで悩まれていて、私なんかが口を挟んではいけないのかもしれない。
問いかけようとした言葉がなかなか出てこない。しかし、躊躇う気持ちと同じくらい、いつか旦那様に頼っていただける存在になりたいという願いも強くなっている。やはりここは勇気を出して聞いてみるべきだ。
「あの…」
「シルヴィ…」
ようやく決意を固めて口を開いた瞬間、あろうことか旦那様のお言葉と重なってしまった。
「…大変失礼いたしました。どうぞ」
「…あ、ああ」
少し旦那様も驚いたような顔をされていたが、先にお話ししていただけるようだ。
「…実は、大変に言いづらいことなのだが…」
「………はい」
いつも明瞭な言葉選びをされる旦那様がこのように言葉の途中で言い淀まれることは珍しく、沈黙に耐えかねて私も相槌を打つ。どんな難題が飛び出して来るのかと、改めて心構えをする。私の知識を総動員して何とか回答が出来たら良いのだが…。
「すまない。…あなたへのプレゼントに何を贈ったら良いのかが分からないのだ」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………………はい?」
今の自分が相当間抜けな顔をしているという自覚がある。旦那様のお言葉にすぐに返答できなかったばかりか、出てきたのは答えではなく妙な語尾上がりの「はい?」という声であった。内容も理解できなければ、なぜ「すまない」と謝られたのかも分からなかった。
「一年も私の補佐をしてくれているのに、何を贈ったらあなたが喜ぶのかがわからないのだ。私は上司として失格だ…」
困惑する私を見て、旦那様は補足を追加してくださった。そしてようやく私も状況が飲み込めてきた。
旦那様がおっしゃっているのは、伯爵家で習慣となっている使用人への誕生日プレゼントのことだろう。働き始めたばかりであった一昨年は、お嬢様が勤務中でも使えるような上品でシックなデザインの髪留めをくださった。また、昨年は旦那様付きになったばかりだったため、上司である旦那様の代わりに、お嬢様が小説を選んで贈ってくださったのだ。私の誕生日は来週なので、旦那様は私に何を贈るべきか迷っていらっしゃるのだろう。また、昔から使用人へのプレゼントは直属の上司にあたる伯爵家の方が直々に選ぶことで、使用人との絆を深めているのだと聞いたことがある。そのプレゼント選びの際に私の欲しいものが分からないということは、つまり自分の使用人を理解できていないのだという意味にもなってしまい、旦那様が謝っていらっしゃるのはその点についてなのだろう。
そこまで理解したところで、私は青ざめた。
旦那様がこのところ何かに悩んでいらっしゃることは気付いていたのだ。もちろん私への質問と悩みの内容がまったくの別件であるという可能性も考えられるのであるが、旦那様の苦悩されたような表情を見るに、この件が最近の悩み事と判断して間違いないと思えた。しかしこれは私が質問しようと決意して来たことでもあるので、誤解のないよう確認せねばならない。
「…あの、もしかして、最近何かお悩みのご様子だったのはそのせいでしょうか」
私はおそらく旦那様付きになって初めて、旦那様への返答ではなく質問を返した。
「…う、気付かれてしまっていたのか。確かに、悩んでいた」
旦那様は理解の至らない私を責めることもなく、答えてくださった。私は引き続き混乱する頭を必死で動かし、旦那様への回答を考える。
「私などのことで…畏れ多いことでございます。何をいただいても嬉しいですし、何もくださらなくたって一向に構いませんのに…」
私の言葉を聞いた旦那様は、結局何が欲しいのか答えられていない私を咎めるでもなく、なぜか少し嬉しそうな表情をされた。
「我が家の大切な習慣であるし、この一年よく私の補佐を務めてくれたあなたに少しでも報いたいのだ。何でも良いから、何か欲しいものはないか?」
旦那様はとても優しい声で私に問いかけた。
「…欲しいものなんて、何も…」
私は答えが出せなかった。元々物欲に乏しいこともあるが、旦那様の悩み事があまりにも想定外であったため、咄嗟に適当な答えを告げることもできずにいた。
――いけない、こんなことで旦那様のお時間を奪ってしまうなんて。何か、何か答えなくては、何でもいいから欲しいもの…!!
混乱を極める私の脳内では、考えても考えても欲しいものが何も浮かばず、それによって旦那様をお待たせしてしまうことに罪悪感が募り、より焦って何もアイディアが出てこないという悪循環にはまりつつあった。
旦那様は、そんな私の心情を悟ったように柔らかな微笑みを浮かべ、さらに続けた。
「そうか、では一緒に何が良いか考えよう。あなたが答えやすいよう、ひとつずつ質問をするから」
そう言った後、旦那様は私にたくさんの質問を投げかけた。
好きな色は何か。
好きな花は何か。
好きな食べ物は何か。
好きな季節はいつか。
動物は好きか。
どんな言葉が好きか。
誰と過ごすのが楽しいか。
どこの街が好きか。
何をしているときが幸せか…
旦那様の問いかけのひとつひとつに毎回固まって熟考が必要な私に、旦那様は慌てなくて良いのだとおっしゃり、私が答えを見つけるまで静かに待ってくださった。
これまで旦那様の望む答えを迅速に出すこと、伯爵家のためになる最善を考えることだけに邁進してきた私には、これが思いのほか難しかったのだ。伯爵家のことや旦那様の仕事に関わることだったらどんな細かなことでもスラスラと回答ができるのに、自分のことをこれほど知らないなんて、これまで考えたこともなかった。
いつもと違う質問の数々に私の頭は混乱を極めたが、旦那様が問いかける声はとても穏やかで、私に向ける視線は温かく、ただの使用人でしかない私のことを真摯に理解しようと考えてくださっていることが分かり、そのお気持ちがとても有難いと思った。やはり私のお仕えする旦那様は素晴らしい方だとあらためて実感した。
そして、旦那様の質問に答える度に、ひとつ新しい自分を見つけるようで、それは私にとってとても新鮮で、嬉しい驚きにあふれていたのだった。
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