第3話 閑話:伯爵家使用人たちのため息
「…ついに、旦那様とシルヴィーの間で言葉がなくなったわ」
伯爵家の使用人たちは、旦那様の身の回りの世話を担当している侍女からその報告を聞き、ある者は項垂れ、ある者は天を仰いだ。
この伯爵家に仕える使用人は昔から仕えている者が多く、非常に仲が良い。今も旦那様が夕食を終えて私室に戻られた後、使用人用のダイニングに皆で集まって遅めの夕食をとっていた。
旦那様がいつもシルヴィーと会話をしたがっていることは、屋敷の使用人の間では周知の事実であった。また、シルヴィーを見つめる旦那様の瞳に、確かな情が含まれていることも。
「シルヴィーは何か言っていた?」
「『私はまだ至らないので勉強する』と、いつも通り」
料理長からの質問に、先ほどの侍女が答える。
「旦那様のご様子は?」
「あれは落ち込んでいるね。顔には出ていないけれど、食事中も心ここにあらずだったよ」
旦那様へ夕食を給仕した配膳担当が答えた。
「シルヴィーは他のことはなんだって気づくのにねえ…」
普段からシルヴィーを娘のように可愛がっている掃除担当の中年メイドが残念そうにため息をつく。
「仕事上では完璧な意思疎通が出来ているのになあ。昔から頭の回転が速かったあの旦那様が最近はさらに成長なされて、もはやあの速さに着いていけるのはシルヴィーだけだろう。聞き返しもせずに細部まで理解して、時にはさらに要望を上回っていくところなんてもはや神技だぞ」
「旦那様もなぜか頑なに仕事の上でシルヴィーから言葉を引き出そうとムキになっていらっしゃるのよね。シルヴィーと喋りたいだけなのだから、天気の話でも好きな食べ物の話でもなんだっていいから聞けば良いものを」
他の使用人たちも口々に言う。
そう、シルヴィーは育った環境のため普段から受け答えは非常に簡潔であるが、別に無口なわけではない。普通に話しかければ普通に返事をするし、下世話な噂話は好まないが、ただの世間話なら乗ってくることだってある。簡潔な受け答えをする場合もしっかり相手を選んでおり、通じないと思われる相手であれば、誤解なく正確に伝わるよう、きちんと説明だってしている。
旦那様とシルヴィーの会話が続かないのは、ひとえにふたりの相互理解力が高く、また、意思疎通に関する相性が良すぎたことが要因であると言えた。
「…旦那様のお考えをいちばんに読まなくてはいけないのに、本当に至らない娘です」
シルヴィーの父親である執事がバッサリと切り捨てる。
「シルヴィーは子どもの頃からぼっちゃまを目標に努力していたから、どうにも仕事にだけ燃えてしまってそのあたりは疎い娘になってしまったわね」
シルヴィーの母親である侍女が残念そうに言う。
旦那様の想いはここにいる誰もが気づいており、また、シルヴィーのように旦那様の考えを瞬時に汲み取り補佐をすることができ、言葉がなくても分かり合うほどに通じ合える存在がどれほど貴重であるかを理解していた。
我が国では古くから能力主義が広まっており、実力のある者は身分や出自に関係なく活躍の場を与えられる。旦那様がまだ二十代の若さで王宮の大臣補佐の役職を得たのも、その能力によるところが大きい。
また、能力主義は貴族だけではない。シルヴィーやその家族を含め、使用人の多くは王立学院の使用人科を卒業しており、入学することも困難なこの学科の卒業生は、どこの貴族家からも引く手数多となる。その中でもさらに一握りの特別クラスを卒業した者は、王宮勤めや侯爵家・公爵家レベルの家にすら志願する権利が与えられる。これは便宜上「志願」という言葉が使われているが、特別クラス卒業の将来有望な使用人候補を断る家などなく、実質的にはどこでも好きな場所で働くことが許される権利となっていた。また、そのような優秀な使用人の中には就職先で存分に能力を発揮し、後に爵位を与えられた者もいる。
シルヴィーがこの一年間で旦那様と共に上げた成果は枚挙に暇がなく、学院使用人科特別クラス卒業という経歴からも、彼女の能力は十二分に証明されている。
それはつまり、この国では伯爵である旦那様が侍女である彼女を娶ったとしても、何の問題もないことを意味している。他家でも同じような婚姻は数は少ないが例はある。また、侯爵家以上の家柄となると平民との結婚は困難な場合もあるが、この伯爵家においては領地経営も右肩上がりである今、有力貴族と結びつく必要もさしてないため、旦那様は自由な結婚が可能な状態となっていた。そして旦那様と共に領地の発展に尽くしているシルヴィーは、すでに領民からの信頼も厚く、伯爵家に仕える使用人たちも彼女の支えは旦那様にとって必要不可欠であると考えていた。
「旦那様かシルヴィーに何かアドバイスは…」
「しません」
この家の敏腕執事は、またもバッサリと切り捨てる。彼はそのポーカーフェイスで顔には出さないが、子どもの頃から旦那様のことを目に入れても痛くないほど可愛がっており、誰よりも旦那様の幸せを願っている。
しかし、それと同じかそれ以上に、ひとり娘であるシルヴィーを溺愛していた。ちなみにこちらも顔にはまったく出ていないため、当のシルヴィー本人は父親の愛情を疑ってはいないが、それほどまでに愛されているとは気付いていない。
旦那様の幸せを考慮した上でも、執事としての観点からも、当主の奥方に相応しい女性として、シルヴィーが他の追随を許さない存在になっていることは、もちろん彼も認めている。しかし認めているからといって、愛するひとり娘を積極的に嫁に出したいとはこれっぽっちも思っていなかった。
この家の使用人たちは旦那様への敬意は保ちつつも、皆ある程度の気安い会話ができる間柄である。しかしながら、将来のご結婚にも関わるような重大な内容について口を出すことは憚られ、唯一指摘ができるとしたら執事であるシルヴィーの父親だけであったのだが、彼が頑として不介入の姿勢を崩さないため、今も残念な膠着状態が続いているのであった。
こうして、旦那様とシルヴィーの幸せを願う使用人たちの会話は、いつも通りのため息と共に終了したのであった。
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