第9話 会敵③

 ブラウスの袖口を見ると、血で赤黒く変色していた。どうやら倒れている人を介抱したときに付いたもののようだ。家に帰ったら、すぐにシミ抜きしよう。そうすればきっと落ちるだろう……そうすればきっと、落ちるだろう……そうすれば……


 美守理はいつの間にか車に乗って現れた集団に、事後処理の指示をしている。さっきスマホで連絡していたのはこの人達なのだろう。


「だいぶ疲れたみたいね」


 怪我人達の収容が終わったのか、美守理がこちらに歩いて来た。


「疲れたね……今日は情報量が多すぎたよ」


 私が無理に笑顔を浮かべると、美守理は柳眉りゅうびをひそめた。


「それにしても、美守理がロックが好きなんて意外だな」

「何の話?」

「何って、さっきロックンロールって叫んだの美守理でしょ」

「それは……力を使うのに気持ちを高ぶらせる必要があるから叫んだだけよ。私は野蛮なのが嫌いなの」

「野蛮なのが嫌いなわりに、ずいぶんお強いことで」

巫女プリーストは将棋の駒で言えば、銀みたいなものよ。神の力を借りて特殊な能力が使えるけれど、色々と制約があるから純粋な戦闘力はそれ程高くないわ」

「あんなに強いのに?」

「さっきのやつらはただのザコよ。逆に絶対に敵対してはいけないのが番人センチネルね。将棋の駒で言うと飛車、角よ」

番人センチネル……」

「さっきのやつらのリーダー、鬼頭隼人が番人センチネルよ」

「それじゃあ私は?」

調整者コーディネーターは桂馬ってところね。やり方次第では非常に強力になる重要な駒よ」

「強力……重要……美守理、私は……」

「ねえ瑠那。私はあなたに会って、が何であなたを調整者コーディネーターにしたのかわかったの」


 美守理が諭すように優しく言った。


「月の神はね、地球と地球に住む生命に対して愛憎相半あいぞうあいなかばする気持ちを抱えているの。全てを滅ぼしたいという気持ちと、命を慈しみ、愛する気持ち」


 美守理の言葉が温かく私の中に浸透していく。


「その相反する気持ちを解消する為に、月の神は調整者コーディネーターという役割をつくり、未来の行方を託すことにしたの。瑠那、揺れ動くあなたの気持ちは、けして弱さではないわ。弱いのは、さっきの男達のように一方的に決めつけて相手の気持ちを考えられないことよ」


 美守理が隣に座り、私の肩を抱いた。


「私は巫女プリーストとして、瑠那がどんな決断を下したとしても、あなたの意志を尊重するわ。大丈夫、私があなたを誰にも傷つけさせたりしない」


 その言葉をきっかけに、せきを切ったように涙が溢れだしてきて、嗚咽おえつが止まらなくなった。


 美守理から私が調整者コーディネーターであると告げられたとき、私は自分が世界を守るヒーローにでもなったつもりだった。けれど、容赦なく振るわれる暴力に対して、自分があまりにも無力であることを今日痛感させられた。


 私に、本当に戦争が止められるんだろうか……


 それでも、私がやるしかないのだ。戦争になれば、今日以上に血にまみれた凄惨なことが起きてしまう。



 私は赤ん坊のように泣き続けた。この涙が流れきったら、もっと強く生まれ変われますようにと、祈りながら……

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