結末の読めない本屋

 周りの人間は、僕のことをワーカホリック仕事中毒だと言う。


「僕はワーカホリックではありません。それを言うならワーク・エンゲージメントと言ってほしいですね」


 毅然きぜんと上司に言い返したら、たっぷりと残っていた有給休暇をすべて消化させられる羽目になってしまった。この際だから目的もなくブラブラしてみようと、20分ほど歩いたときだった。喉の渇きを覚え、飲み物を求めて周囲を見渡してみると「Hastaアスタ mañanaマニャーナ Book & Cafe」という看板が目に飛び込んできた。


『お茶を飲みながら読書なんて、なかなか洒落た時間の過ごし方だな』


 店のドアを開けると、ドアベルが頭の上でチリンチリンと涼し気な音を立てて響いた。煎りたてのコーヒー豆はエエチオピア・モカあたりだろうか、焙煎の香りに混じって甘い花の匂いが鼻孔をくすぐる。


「奥の読書スペースで試し読みもできますよ」


 カウンター席が3つ並ぶカフェスタンドの向こう側から、店主とおぼしき老人が店の奥へと僕を促す。

 案内された店の一角には、座り心地の良さそうな薄いグレーのカウチソファがあり、形の異なる大小様々なクッションが無造作に並んでいる。天井は高く、カウチソファのひじ掛けの横には、シェード部分がステンドグラスでできた背の高いスタンドライトが立ち、柔らかな光を放っている。壁に面した部分にだけ色が映り込み、美しい色のパズルが壁に掛けられているような錯覚を起こさせる。


 ソファに腰を下ろすや否や、


「ねぇ、このお話読んで!」


赤ずきんの絵本を両手に握りしめ、小さな女の子が僕の膝に飛び乗って来た。多少、驚きはしたが、まぁ良かろうと絵本のページをめくる。


『むかしむかし あるところに 赤い頭巾をかぶった ……かぐや姫がいました?』


 おかしな絵本だなと思いつつ読み続けると、かぐや姫は家に帰ると老夫婦にこき使われていて、竜宮城でのパーティに参加できず悲しんでいるところへ魔法使いが現れて……と話がめちゃくちゃだ。30分ほど読み進めたが、なぜか薄い本はいつまでも終わらなかった。


「最後まで読めなくて、ごめんね」

絵本を綴じて彼女に返すと、本を抱きしめてにこりと笑った。


「小さなお子さんも来るんですね」

帰り際、店主に声をかけると彼は目を細めて静かに笑った。

「お会いなさったか。いたずら好きな本の妖精が、たまに来るんですよ。結末までたどり着かなったでしょう?」


後日、同じ店を探してみたものの見つけることはできなかった。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショートショート/1,000字 春秋 好 @kou007

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ