8月

 小さいころは、お墓に行くのが好きじゃなかった。怖い、というよりは、好きじゃない。たぶん、そういった表現のほうが的確なのだろうと思う。お墓が好きじゃなかったのは、周囲に誰もいないのに視線を感じるせいだ。手を合わせていると、誰かが近くに立っている気がするのだ。

 8月も好きじゃない。暑いというだけではなく、虫刺されがひどくて腫れるからというだけではなく、何となくあちこちに変な雰囲気を感じていたから。

 年を取るごとに変な感じは影を潜めたものの、母に言わせれば「そういったもの」を感じる力が弱くなったのではなく、強くなって感じなくなっているのだとか。

 昔から幽霊には足が無いと言われているが、足だけの幽霊話を聞いたことがある。目線を下に降ろすと、顔も身体も見えないけれど足だけは見える、というやつだ。先入観念に縛られているせいか、その話はとても私を妙な気持ちにさせた。

 学生時代、寮生活をしていた。夜中に階段を上って行く白いフェルトのスリッパを見たことがあるが、上の階は踊り場からすぐに屋上へと出られる施錠されたドアが1つだけ。いったい誰が上がっていったのだろう。自室に入る際も、ドアを何度か廊下側から引っ張られたことがある。擦りガラスの向こうに手の形が見えたので、いたずらされたのだろうと思っていたが、いつも廊下に人はいなかった。3階の暗い廊下中央にある乾燥室に洗濯物を干しにいった際も、背伸びをしながら物干しをしている長い髪で白っぽいジーンズを履いている人を見たことがあったが、彼女が乾燥室から出てくることは決して無かった。

 引っ越しは何度かしているが、1軒だけ不思議な家があった。家族が出払って不在なのに、誰もいないはずの階段下から名前を呼ばれた。お墓参りの朝は、枕元で鈴が鳴る音を聞いた。夜中に、2階に上る階段を小さな子どもがよく上り下りしていた。そのころ、我が家には成人済の大人しか住んでいなかったけれど。

 父が亡くなった後、テレビの画面を消した一瞬だけ、頬のこけた真っ赤な顔が大写しになったことがある。父は胃癌で亡くなったので、息を引き取る際は頬もこけていた。2階で寝ていると夜中にキッチン周りに人の気配がしたが、怖いという感じはしなかった。

 映画やテレビのように、血だらけの顔で脅かされたり、髪の毛だけが天井からぶら下がって……というのは見たことがないが、「そういうもの」はいるんだろうな、とは思っている。

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