岬勇司(二)、岬日向(イチ)


――なぁ、義兄にいさん、勇者あんたの眼球をくれないか?


 そう言って今にも泣き出しそうな表情で笑う青年の、すがるような手を振り払ってしまった。


――とばりはあっち側なんだ、土御門家と倉橋家わたしでは天に対する考え方が、着地点が違う、そして、帳はどうしてか私とは違う道を選ぼうとするんだ。


 俺は主人公トマソンを追ってこの世界へ流れ、そこで倉橋朝日と出会って、彼女と共に生きていきたいと、共に老いていきたいと願った。

 だが、天とやらは勇者ユージンが勇司へ変わることが許せなかったのか、歩んできた道……勇者かこってやつはどこまでもいつまでも切り離せず、それは血肉となっていて、文字通り俺が死んで朽ちるまで……用済みとなるまでは世界と俺の関係性を証明する為に必要な魂のような何か根源的なものとなっていた。



 葉の代わりに滴を伝わせる瘦せ細ったしだれ桜が、道を挟んでお見合いをしているかのように一様に頭を垂れていた。

 地面の下に隠された陰陽寮の陰棟から抜けて、ふと窓の外へ、中庭へ視線を流せば……見覚えのある小柄な影が、傘も持たず雨に打たれるがまま椅子に座っていた。

 天の一人とは何か? 陰棟に隔離されている帳なら俺の疑問に答えられるのではないかと考えたのだが、案の定、あいつは朝日以外の人間との対話を拒んだ。

 たったひとつの用事もさらっと済んだし、と傘をさして中庭へ向かった。

 空はどんよりと曇っていて、雨で湿った空気が辺りに漂っているはずなのに、天日干しした後の布団を思い出すような暖かな匂いが鼻先をくすぐった。


(髪の色が……部分的に白く変わってきてねぇか?)


 そっと頭上に傘をかざしてあげようと後ろから近付いていて、天音ちゃんの後頭部に違和感を見つけて足が止まる。


(気付いてんのかね……とりあえず触れないでおくか)


「風邪引くぞ」

「あ、勇司さん」


 こちらを見上げるガラス細工にも似た透き通った瞳、その目尻からほろり伝い落ちる小粒の水滴、その跡には気付かないふりをして会話を続ける。


「久しぶり、閂でも待ってんのか?」

「そうです」

「あー、そういえばな、俺の子供も陰陽寮に通ってんだけど、見たことあっかな?」

「そうなんですか?」

「日向と夜空っていうんだ、お兄ちゃんの方が日向で俺と同じ金髪になんかぎゃあぎゃあうるさい感じ……だいたい天音ちゃんと同じくらいの年だと思うぜ、夜空は、えっと、こっちはあまり人前に出ることがねーからあれだけど……まぁいいか、夜空は夜空でたぶん天音ちゃんと似てるところがあってな、陰陽寮で勉強していく予定なんだ」

「そうなんですね」

「……天音ちゃん、なんて言えばいいんだろうな、調子悪かったりしないか?」

「大丈夫だと、思います」


 初めて会った時にも感じていたことだが、この子は大人び過ぎている。

 単純にうちの日向がガキんちょ極まってて、比較すると早熟に見えてしまう部分もあるのかもしれないが、そうだとしても……どうしてここまで落ち着いて、いや、好奇心が一挙一動に見当たらないのか、周りに興味がないのか、興味を持つべきでないと教育されていて、表へ出さない術を覚えてしまっているのか、或いはアマテラスの影響で精神そのものにこの世界の子供達とは違う成長が促されているのか。


「その、勇司さん……式神って人じゃないんですか?」


 突然の質問だった。

 朝日から現代陰陽道や識訳師の考え方について聞いてはいるが、セオリー通りの答えを返すことが今この場における正解とは呼べないように思えた。

 現代陰陽道に精通した者達が異世界から現れたものを従える体裁で式神と呼び、この世界の調和を図ろうとした。

 だが、それは言ってしまえば力でねじ伏せて奴隷にするのと大差ない。

 俺がこの世界にきて間もない頃、朝日と結んだ――主従関係とは名ばかりの――限りなく対等な関係も無くはないが、稀有な例だった。


 俺が知る真実を言うだけなら簡単だ。


「私、陰陽寮の外に……外の世界に憧れてたんです。でも、外には知りたくなかったことの方がずっとずっとたくさんあって……閂みたいに優しい人の方が少なくて」

「……」


 まず感情を表に出さないあいつが優しく見えるってのが、この子の人を見る目が優れているのか、それとも、ただただ閂がまだ優しく見えてしまうぐらいに……見たくないものを見てしまったのか、判断に困るもんだ。


「式神ってのは、この世界で生きていこうと決めた人のことだな、俺だってそうさ」

「勇司さんが?」

「元々、この世界で暮らしてる人間と違いなんてねぇよ、ただ……外の国の人間を苦手な奴がいるように、外の世界の人間が苦手な奴もいる、けど、それが全てじゃない、天音ちゃん……優しい人がまったくいないわけじゃないだろ?」

「……はい」

「天音ちゃんがどんなものを見たのか俺は知らないし、聞かねぇけど……結局、好き嫌いなんてもんは人によりけりだ、今はまだ式神を嫌な目で見る人が多いかもしれないが、それだって昔に比べたら減ったもんさ」


 嘘じゃない。

 現代陰陽道が識訳師と名乗りを変えて、世界は世界の垣根を越えて共存する形をゆっくりとだが着実に築いている。

 勇者なんてもんが存在しなくても、一人一人が今よりもう少し優しくなれば世界は救われる、なんて理想論を信じてしまうぐらいに、朝日が俺に見せてくれるものは眩しかった。


「あー、あとな、言っとくけど俺は閂よりもずっとずっと優しいからな? 天音ちゃんが困ってたら必ず助けに行くぜ」


 だから、俺は彼女の力になりたいと願った。


「本当ですか? 約束ですよ?」

「あぁ、約束する」


 ようやくとびっきりの笑顔を咲かせてくれた少女の頭を撫でていると、しだれ桜の続く道の先に閂の姿を見つけた。


「あ、閂です!」

「おー、閂だな」


 やや遅れて天音ちゃんもお迎えの到着に気付いたようで、すぐさま椅子から立ち上がった。


「勇司さん、そろそろ失礼しますね」

「はいよ、閂によろしく言っといてくれ」


 一礼して天音ちゃんが駆けていく。

 その先に立っている閂へ片手をひらひら振ってやると、あっちは無反応なまま天音ちゃんを囲うように傘を広げて俺との視線を遮りやがった。


(あれが優しい……ねぇ、まぁ、悪くない、ってことだな)


 でこぼこでちぐはぐな二人の後ろ姿を見守っていると、自然と口元が緩んだ。






━━━━━━岬日向(イチ)━━━━━━




 地下にある魔王城(喫茶店)には寄らず、まっすぐ事務所のある四階までエレベーターを利用して急いだ。

 春に高校生となって、母さんの事務所での留守番を任されるようになって、もうそろそろ一ヵ月が経とうとしていた。

 急いでいる理由は、ジャンク通りに入って雑居ビルが視界に入ったとき、事務所のある四階に灯りがついていたからだ。

 母さんは映画監督の依頼で千葉の方へ、トマソン現象の調査に向かっている。

 なんでも撮影に使っていた橋の残骸の先から豚に似た何かが群となって飛び出してきたらしい、カオス。

 調査へ向かったのが一昨日、一週間ぐらいは必要かもしれないと話していたし、だとすれば俺と母さん以外に事務所の鍵を開けて室内へ入れるのは――。


「有紗さん! 帰ってきたんですか!?」

「んー」


 ココア色の栄養機能食品のブロックを咥えたまま、寝癖と半開きの目によるお疲れですオーラと共に俺を迎えてくれたのは、予想通り、母さんの事務所に所属するもう一人の識訳師――赤神有紗さんだった。

 彼女は真っ赤なダッフルコートを着込んだまま、そんなやや季節外れなコートよりも鈍く煉瓦のような色合いをしたキャリーバッグに座って、スマホを眺めていた。

 有紗さんは母さんよりも増して遠出している場合が多い。

 えっと、たしか前回は……。


「九州でソンビパニックが起きたんでしたっけ?」

「そそ、なんとかなったけど」

「一週間で解決したんですか?」

「三日だな、んで、その後は淡路島の方で関西勢が苦戦してた案件があって、それを殴り飛ばしてちょっと観光して戻ってきたとこ」


 母さんはトマソン現象の初期調査、対話可能か共存可能か等々の未知の相手との接触から始まる依頼が多い。

 対しての有紗さんはその段階を終えて、手に負えない……武力が必要だと判断された相手、現象に終止符を打つためにあちこちから助太刀を頼まれたりしている。

 つまり、有紗さんが事務所に居る時間ってのは、俺にとって凄く貴重だった。


「またすぐどこか行くんですか?」

「いや、ちょっと野暮用もあるし、しばらくは秋葉原にいる予定」

「おーやった」

「……日向、やっぱり識訳師になりたいわけ?」


 識訳庁で正式に雇われる方法ってのは、識訳師の推薦だったり、他企業と同じような一般公募だったり幾つかルートがあるけど、手っ取り早いのは結果を持ち込むことだった。

 識訳師の補助としてトマソン現象に携わったり、それこそ有紗さんがやり遂げるような……事件に発展したものを自力で解決したり。

 で、俺は有紗さんに雑用係でいいですから!と頭を下げて、この人が秋葉原で仕事する時はくっついて回ろうとしていた。

 

「約束しましたから」


 秋葉原に移り住むよりも昔、陰陽寮で出会った女の子と交わした約束。

 俺が識訳師になって偉くなって、そうやって土御門家から連れ出すって、解放してやるって。


「一途なこって、近くにこんな美人もいるのにさ」

「そりゃあ有紗さんのこともめっちゃ好きですよ、でも、俺の好みはこうもっと淑やかっていうか、女の子っぽいというか」

「はいはい言ってろ、がさつで悪かったな」

「野暮用ってトマソン絡みですか?」

「んや……あたし個人の問題だ、だから、今回はお願いすることは何もないぜ」

「……そうでしたか」



「そう、あたしの問題なんだ、識訳師で受ける厄介事よりもずっとずっと面倒な……あたしのな」



 これまで完璧超人として俺の目に映ってきた有紗さんが、どこか憂いを含んだ物言いをするのは珍しくて、この人が言い淀むような面倒事ってのがどんなのか、俺には想像もつかなかった。

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