岬日向(3)、土御門天音(イチ)
「……教えてほしいんだ。アマネ」
「元々ね、今日という日がくるのは知ってたんだ。日向にさ、実際に体験してもらってから話した方が信じてもらえると思ったの」
アマネの続きを待った。本棚の空いたスペースに置いている目覚まし時計の針が何度も何度も静寂に音を刻む。
「私は……これは奇跡なんだって思ってる。日向と出会ったのは奇跡なんだよ」
やがて彼女は訥々と、今日に至るまでを語り始めた。
━━━━━━土御門天音(イチ)━━━━━━
「私はね、日向と逃げようとしたんだ……でも駄目だった」
「んーと、あの、その、すみません、記憶に御座いません!」
「あはは、えっとね……どこから話そうかな、そんなに時間があるわけでもないし、でも、そうだね……最初だけは聞いてもらっていいかな? 日向にはさ、叔父さんがいるって知ってる?」
「お、叔父さん!? 叔父さんって叔父さん? 隠し子的な? いや、それは違うか、父さんか母さんに弟がいるってことだよな……まさか旺磨さん!? 黒髪だし、母さ……あいつがちょいちょい顔出してるみたいだし、そんな気がしてきた! 推理力さえてきてる感じがするぜええええええ、せやろ工藤?」
「どぉどぉ、日向落ち着いて、工藤じゃないよアマネだよ、あのね、私が彼と出会ったのは五歳とかそんな時だったと思うんだけど、不思議とよく覚えてる、ううん、思い出したというか、もしかしたら私じゃなくて彼女の記憶なのかもしれないけど」
電源を落として真っ暗になった液晶テレビの画面に、肉体が若干透けている私の姿が見える。
彼女のお陰で私はここにいる……幽霊、黄泉化生、残像、なんだって構わない、奇跡に
「容貌は朝日さんによく似てた。薄汚れた白衣を羽織ってゲームをしてて、なんかちょっと変な人だったけど」
私は語る。彼女が望んだ告白とは違う形だと思うけど、それでも語るしかないから。
「幼い頃の私は土御門の屋敷から滅多に出ることがなくて、無駄に広いけど、人は全然いなくて、だから屋敷内はいつもすごく静かだったんだけど……その日、誰かの声が聞こえたんだ」
はじめは微かな、野鳥の囀りと聞き間違うような、初春の匂いを届けに来た隙間風にも似た、到底、単語としては聞き取れないような小さなものだった。
それでも、誰かに呼ばれてるんじゃないかって思って、もしかしたら……ただ寂しくて、それこそ誰かに会いたかった、誰かと話したかった、そんな願い混じりだったのかもしれない。
障子を一つ、二つ、三つ開けたら鼻先に外の空気が触れて、目の前にはよく晴れて、明るさに包まれた庭が広がった。
その中で、軒下に座っている……わざと絵の具を塗りつけたようなたくさんの色で薄汚れた白衣を着たその人だけが庭の景観から絶妙に浮いていた。
白衣の青年は手元のゲーム機に視線を落としたまま、私の気配を感じてか声を上げた。
「邪魔してるぜ」
「お兄さんが私を呼んだの?」
「あ?」
首から上だけで振り返った青年の顔は眼鏡の奥に濃い隈を浮かべてて、なんだか不機嫌そうで、だけど、暗い瞳の色にちょっとだけの寂しさが垣間見えた気がした。
「あーなるほど、土御門のお嬢ちゃんか、俺の起こした
再び視線をゲーム機に戻して、彼はぶつぶつ小言をもらしていて、私は立ったままぼんやりとその様を眺めていた。
「……まぁ、実際のところ、お嬢ちゃんが誰かに呼ばれたような気がしたってんなら、それは俺じゃないと思うぜ」
しばらく経って、彼が痺れをきらしたようにぼそっと吐き捨てた。
「でも、他には誰も居ないよ?」
「そりゃあ土御門の願いが叶ったってことなんだろうな……全然笑えねぇけど」
私に説明する気なんてないのか、彼の言い方は突き放すように小難しくて、お互いの会話は途切れ途切れだったけど、でも、話し相手がいることが嬉しくて、私は彼の傍から離れようとはしなかった。
「うちも土御門も天を見上げてるだけじゃ満足できなくなっちまった。欲望は底がねーから……綺麗な言い方をすりゃ願いか、今のご時世、それはとんでもねー多様性を内包してる」
「天って、お父さんとお母さんがいるところ?」
「そうかもな、お嬢ちゃんはその声を大切にするといいぜ」
「……それ、楽しい?」
「このゲームか? いや、普通。けど、もう遊べなくなるって思うと不思議と感慨深くなるもんでな、お別れをしてるとこなんだよ」
「捨てちゃうの?」
「捨てるのか捨てられるのかわかんねぇもんだな、はは、笑えねぇ……こいつとも、こことも、お別れはしておかねーとさ」
「どうしてお別れするの?」
「約束を破っちまったからな、嫌われちまったんだよ……人に嫌われるのは慣れてるつもりだったんけどな、家族に拒絶されるのはなんだかんだでくるものがあるぜ、お嬢ちゃんは約束したことは大切にするんだぜ、守れる守れないって話じゃなくてよ、守ろうとすることが大切なんだからな」
ぴろぴろぴろーと会話を遮ってゲーム機が鳴り、それきり忙しなく動いていた彼の指の動きも止まってしまう。
さて、これ以上の質問攻めは勘弁だから、そろそろ行くかな。と呟いて彼は立ち上がった。
「私、天音、お兄さんは?」
「知ってるよ、俺は倉橋帳、別に覚えなくていいけどな、んじゃ、さよなら」
会話が止まると、屋敷内はすぐに静けさを取り戻してしまう。
彼の皮靴が砂利を擦る音だけが何度か続いた。
「あぁ、そうだった……てめぇにも挨拶をしておかねぇとな」
不意に倉橋帳はそう呟いて、後頭部をぼりぼり掻きながら振り返った。
そして、私の瞳を射抜くような鋭い眼差しを向けて、もう一度だけ口を開いた。
「なぁ――アマテラス、土御門天照、聞こえてるんだろ? ツクヨミをどこへ隠したのか教える気になったらいつでも陰陽寮にこいよ、俺はずっとそこにいるだろうからよ」
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