岬日向(5)、水瀬蒼太郎(1)

「俺、引っ越すよ……一人暮らししようと思う」

「どうして?」

「いつもいつも帰ってくるかどうかも分からないあの人に気を遣うより、一人で気ままな生活したいんだよ。だから、アマネともお別れだな」

「んん?」

「だって、お前地縛霊だろ? 寂しがるなよ? たまにはこっちにも顔出すからさ」

「私そんなこと言ったっけ?」

「ちげーの? お前ってば、家の中でしか出てこないしさ」

「ついていくよ」

「…………」


 本当は彼女が一緒に来てくれることを心の底で願っていて――。


「私は日向についていくよ、いいでしょ?」

「……言っておくけど、部屋の数は減るし、風呂とか覗くのも禁止なまま、今よりもずっとずっと窮屈だと思うけどいいのか?」

「今更じゃない?」

「まぁ、そうだけど」


 当時は思春期真っ只中だからか、嬉しくも恥ずかしい感情が半透明の笑顔を向ける彼女から目を背けさせていた。


(――何を見てる? 何を見せられてる?)


 それがいつかの日の光景だってのは理解してる。理解できないのは、なぜ今になって俺は走馬灯紛いの現象に見舞われているのか? って話だ。

 思い返してみれば、アマネは俺が子供の頃に出会った時からアマネのままだった。

 アマネを直視することを避けがちだったのは、彼女が幽霊だから……と思い込むようにしていた。

 思い込みだと気付けたのは、或いは自分へ素直になれたのは、その日々が失われるかもしれないと知って、ようやく……。


「ガ、ガ……」

「ぼぞぴさん?」


 つっかえたような声により意識が現実へ呼び戻される。

 目の前にぼぞぴさんが立っていて、対面する俺達を第三者の視線から遮るようにして両脇を本棚が占めていた。

 過去にダイブする直前のやり取りを脳が引き出して、続けて、送られてくる信号めいた意思に従い右手へ視線を落とす。

 しっかりとおでん缶が握られていた。

 見た目も持った感じもおでん缶だ、でも、違う……さっきまでの光景は、おでん缶を受け取った瞬間、それが引き鉄となって起きたように感じられた。


「ガング、ガ……イネン」


 そして、明らかにぼぞぴさんの様子がおかしい。


「オデン、ガン、グ、ゲ……モ」

「おでん缶返します?」


 返答の代わりとしてか、牙を剥き出しにした口端が小刻みに震えている。


「やっぱり違いますよね! そうっすよね! ほんと気が利かなくてすいません! 俺ってやつはどうしてこう……隠しきれないコミュ障ってやつ? いやー、いっつも旺磨さんの店のレビューに星一つ付けたりとか陰キャムーブ――」

「そのバまもっていデ、くダザい」

「え?」


 今の――聞き間違いか?

 ぼぞぴさんが出会い頭に俺達の世界の言語を話せたのは確かだ。だが、それは拙く、濁音が多く、半分呻くような調子だった。

 でも、さっきの喋り方は限りなく自然だ、現代会話検定三級くらい。


「ギ、きっと、役に立ちます」

「――あんた誰だ?」


 今度は疑う余地もなく流暢に言葉を紡いでいた。

 だからこそ別の疑いが生じる……おそらくこれはぼぞぴさんじゃない、なにか違う意思がぼぞぴさんの口を借りて、俺に何かを伝えようとしている。


「ヒバナさん、ヅ……ザ、ズゲ」


 ホラーに片足突っ込んでる両目ぐるんぐるんとノイズ混じりの発声を見せたかと思うと、何フレームか切り取ったような不自然さを伴って真顔に戻るぼぞぴさん。

 それきり正気(たぶん)に戻ったのか、俺に一礼すると視線を本棚へ移してしまった。


「……日向です」


 世界各地を題材とした写真集コーナーの棚を物色するぼぞぴさんへこちらも挨拶を返し、おでん缶のようなもの片手に退散する。

 釈然としないが、裏ボス戦は乗り切ったことにしとこう。





━━━━━━水瀬蒼太郎(1)━━━━━━



 見間違えようがない、やはり願具か。


(あの釘を見るのは……何度目かな)


 一つ前の世界では秋葉原の神田ドラゴンを貫いていた。

 三つ前くらいの世界だと、妖精郷ミッドサマーのタイタニアを襲っていたっけ。


「閂、動けますか?」


 十数本の大きな釘によって四肢を貫かれ、セメントの壁へ磔にされている相手――それが閂だと確認した上で声を掛けてみるが、反応はない。


(それにしてもこの人は……どこの世界で会っても同じ容姿、同じ格好、頭が固いというか、突き抜けて不器用というか)


 愚直気味な性格に反してあちらこちらへ好き放題にはねている癖っ毛の黒髪、馴染みのない文化の中に身を置いていても初志貫徹を体現するスーツ姿。


「動けるわけないですよ! 蒼ちゃん、早く助けましょう」


 呆れ混じりに見上げていると、岬夜空に急かされた。


「僕はあの釘に触れません、代わりにお願いしてもいいですか?」

「抜けばいいんですか!? でも、わたしの身長だとほとんど届きませんよ……どうすれば……」

「仕方ないですね、僕にくっついてくれますか?」

「え、なんですか突然、なんか嫌です」

「僕をこの世界に巻き込んだ時は離れなかった奴がよぉ!!」

「そういう言い方はよくないと思います!」

「わかりました、言い直しますよ……君の星空を借りて、僕があの釘をですね、さっきの石みたいに消し飛ばしますので、とりあえず手を繋ぐことで試してみましょう」

「さっきのですか、ううむ……わかりました」


 渋々といった面持ちで僕の手に触れる岬夜空、人差し指だけでこちらの皮膚をつつく彼女の手を力強く掴む。

 直に触れ、また彼女が閂を助けたいと願っているからか……想定以上の力が戻ってくる。

 これなら転移先もある程度は指定できそうだ。

 閂の肉体に刺さっている釘を次々と足元へ移動させる。

 一本、一本と抜けるたびに閂の頭部や腕がだらんと脱力した様子でぶらさがり、全ての転移が終わると壁からずり落ちて、最終的にはうつ伏せに倒れ込んだ。

 出血はおろか、傷跡一つ見当たらない肉体に気付いてか、駆け寄ろうとしていた岬夜空の足が止まる。


「これって……どういう……蒼ちゃん」


 簡潔に一言で済ますなら、と適切な言葉を探している間に閂が起き上がってしまう。


「無様なものでしたね」

「蒼太郎か、もう一人は……なるほど、有紗が贔屓にしている岬の娘の方か」


 セメント片が付着して汚れているスーツをはたきながら、無感動な様子で平たい声を出す閂。


「よぞらです、岬夜空……で伝わりますか?」

「あぁ」

「あの、大丈夫ですか?」

「悪くはない、状況は良くもないが」


 願いに応えようと生まれるものがあるなら、応えるものが誇大化し逸脱した際に軌道を修正する役割を担う存在が生まれるのは半ば必然――閂とは、そういう存在なのだが、岬夜空にどう説明したものか。


「スーに似ているな」

「わたしですか?」

「悪くない、懐かしい感覚だ」

「ふむ?」


 しかし、この二人と波長を合わせるのは苦労しそうだ。


「蒼太郎、お前はこの世界に干渉することを禁じられていると聞いていたが」

「巻き込まれたんですよ、そこのスーもどきに」

「まったく知らない人もどきと言われましても、反応に困ります」

「悪くないことだ、蒼太朗は褒めている」

「そうなんですか? 蒼ちゃん?」

「あぁ!? どうしてそうなるんですか!?」

「嘘をついてどうする? そうだろう? 蒼ちゃん?」

「貴方にまでそんな呼ばれ方する必要がありますか? なぁ、おい、また磔にされてーのか、てめぇはよぉ!!」

「悪いことだ、岬夜空はよくて俺は駄目らしい」

「ああもう!! めんどくせぇやつらだな!!」


 今からこんな調子では先行きが思いやられる。

 不満を吐き出すように大きなため息をついてみるが、この二人にはまるで通じそうになかった。

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