岬朝日(6)

 現代陰陽道が土御門を主として古来の陰陽道から変質させたものであるのと同様に、天文道……いや、倉橋家の解釈もまた時の流れに沿って独自性を強めていったとされている。


 天地相感てんちそうかん、天の異変を観測し、地上へ齎す影響を予測せよ。

 その礎とは、なんらかの異変が起きた際における天と地の様子の記録なり。

 そこから相関関係を見い出すことで、昔の人々は危機に備えてきた。

 言ってしまえば経験則、蛙が鳴いたり山に雲がかかると雨が降るというものから、ほうき星を見ると戦が起こり国が荒れるなど、だが、幾年積み重ねても因果の域へは到達していない。

 かもしれないの範疇にあり、そして、雨が降るとき蛙が鳴くか山に雲がかかるか、国が荒むときほうき星がおちるか、などもまた言い切れないものだった。

 倉橋家のご先祖様が、その事実をどう受け止めたのかまではしらない。


 結論として――私が倉橋朝日として天文道を学んだとき。


 天文孤高てんもんここう、天は唯一つ、大地に縛られず、天と地に起きる変化の関係は断片的であると語られていた。

 天は一つしかないが地は数多に分かれる――地で起きたことが天と結ばれないことがあっても、天で起きたことは、必ずどこかの大地と結ばれている、と。

 どうやらこの考え方には他国の歴史に見られた天帝思想の影響を受けている節があり、いつの時代か、天文道、ひいては現代陰陽道と半端に混じり合ってしまったようだ。


 ――この世の全ては天が支配する、たとえ世界がいくつあろうと。


 ご先祖様、いや倉橋家が占星の深奥として目指した先は、全てを見下ろす天に立つことであったり、全ての大地を認識することであったり、ともあれ、現状では観測できない相関関係を全て自分達の目におさめたい、という一言に帰結するのだろう。

 私が誰かに説明するとすれば「占いが外れたのではなく、直接認識できないところで起きているらしい」という思い通りにことが運ばない子供が口走りそうな幼稚な主張になるのだから、それこそ過去、耳を傾ける人は少なかったのだと思われる。

 ただし、トマソン現象が世間に浸透し、絵空事が次々と真実味を帯びた結果……再び占星を頼る時代が――識訳師を訪ねる人が増えてきているのだった。


 つまりは現代陰陽道の復権に天文道が大きく貢献しているという話だ。


 そうして得た権力を行使した結果の一つとして、旧万世橋駅の地下は識訳師と一部の関係者を除いて立ち入り禁止区画とされている。

 およそ百年前、東京を襲った震災で焼失してしまった万世橋の駅舎だが、当時の姿をまま残す背面の高架橋など、全てが失われたわけではない。

 高架橋の下は商業施設として利用されていたり、そして、線路こそひかれてないものの旧万世橋駅の地下に人工的な空間が広がっていることが近年発覚していた。

 神田川と万世橋の交点付近、神田ドラゴンの傍などに幾つかの船着き場のようなもの――超芸術トマソン、或いは超現実トマソン――が残っているのは世間に知られている話だが、その先に続く奇妙な空間の壁を壊したら、ばっくりと地下へ続く道が口を開いたことを認知している人間はごく一部に限られている。


宝瓶宮ほうへいきゅうだっけ? そのシンボル」


 雨水が浸水したのか、所々によだれを垂らしたような黄ばんだ汚れを滲ませている壁面タイルが続く階段を降りた先、そこでの作業を終えた私へ、隣に立つ鈴里が問い掛けてきた。


「あぁ、上と下に分かれる波は見えるもの、見えざるものを受け持ち、互いに干渉するものと言われている」


 黒く変色したコンクリートの床へペンライトを向け、描いたものがいびつではないか確かめながら答える。


「で、見えざるものがここ――地下になるってわけだ?」

「空の光が届かないところが都合いいんだ。秋葉原近辺であれば、地上には幾つか術式を忍ばせてあるからな、あとは地下空間に描きこめば発動できる」

「それで万世橋から出られなくなるって? すげー嘘くさいんだけど」

「見えざる干渉とは、無意識に語り掛けるようなものだ、物理的に出られないというよりは出ようとする意識が芽生えない、とでも説明すれば分かりやすいか?」

「そういうもんかね」

「そういうものみたいだな」

「ってかさ、これ迷惑じゃないの?」

「幾つかの術式、と言っただろ? 場所に限らずな……今回は不特定多数を対象とするものではなく、事務所の名刺に刻んであるものだ」

「朝日がそんなことをするなんてなぁ」

「守るために用意していたのに、不本意なんだ、私も」


(もう親睦会は終わっているだろうか、あとはニッチの合流を待つだけだが……)


「足音だぞ」

「あぁ」


 こちらの期待を裏切るように、ゆっくりと一定の間隔で空間内を反響する靴の音。

 その正体がニッチではないことだけは確かであり、私はペンライトで階段の奥を照らした。


「おいっす、せんせー」

「……有紗か」

「あ、鈴里さんも一緒だったんだね、ご無沙汰してます」

「…………」


 異常な存在である自分を当たり前のように認識している異常な相手――鈴里は有紗を睨みつけたまま沈黙している。


「なぜここにいるとわかった?」

「それこそ、なんであたしが気付かないと思う?」

「……そうだな」


 薄暗い地下においても目を引く鮮やかさを秘めた赤い髪、瞳、不敵な笑みを際立たせる突き出た八重歯、異世界人の中で吸血鬼というものに遭遇した経験はないが、もし彼女が自身を吸血鬼だと名乗るのなら信じてしまうだろう。


「まぁ、日向にお願いされたんだけどね」


 なぜ日向が? 有紗が立ち塞がるということは、おそらく私達とは反対の立場にいるのだろう。

 だとすれば、識訳庁が情報源とは考え難い……それとも、土御門や閂とは別の勢力が動いているのか? だが、土御門の本家からとばされてきた土御門天音の行く末にちょっかいを出してメリットがあるのだろうか、識訳庁、陰陽寮、京都、秋葉原、脳内で単語が矢継ぎ早に横切っていくが、解答は得られそうにない。


「でもさ、そこは関係ないんじゃないかなって思うの……たぶん、あたしはさ、日向にお願いされなくても、きっとせんせーの前に立ってたよ」

「朝日、行きなよ……私が受け持ってやるから」

「無理だ、あの子は私達を逃がしたりは絶対にしない」


 鈴里ができることはポルターガイストに近い、それでは有紗は止まらない。

 宝瓶宮以外の術式を使うにしても……。


 ――突如、視界の隅が、有紗の肩付近にある薄い闇が裂かれた。


「――ん」


 私の焦点を追ったのか、瞬刻の殺気を悟ったのか、僅かな風を切る音を捉えたのか、そもそも有紗の反射神経が想像できない域まで常人離れしているのか、どれも定かではない。

 彼女は首を曲げもせずに、こちらを見据えたまま……背後に迫った鋭い一閃を片方の人差し指と中指で挟んで受け止めると、息を吐き出すようにあっさりと折ってしまった。

 折れた先端が床に転がって、ようやく……それが刃だと認識できた程度に一瞬のことだった。


「おいおい、え、まじでぇ!?」

「わっちは言うたにぃ」


 ニッチの隙間を利用して介入してきたのは――。


「やべぇよ……これ、旺磨の部屋からパクッてきたんだけど……魔王の剣ぽっきりいっちゃったんだけど」

「ひどいなー、そんなの当たったら死んじゃうんだけど」

「あ? 俺の概念魔術は知ってんだろ? 赤神有紗」


 再び相対する勇司と有紗、鈴里が「ほんとに勇司じゃん」とこちらへ囁く。


「朝日や、すまんの、捕まってしまったゆえ」


 私の足元まで寄ってきて、勇司を連れてきたことを謝罪するニッチ。


「もう一度だけ言ってやるから耳糞かきむしってよぉく聞けよ……もう俺の家族に関わるな」

「あたしは日向の味方してるんだけど」

「へーそうなんだー」

「言いながら剣振り回すのやめてもらっていいかな!?」

「ニッチ、朝日を頼むわ」

「あいわかった」


「いや待て、お前ら――」


 ニッチが私の足首に尻尾をふわりと巻き付けた途端、彼の術式にのまれて視界が閉じた。

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