岬夜空(4)


 変わらないのは空を覆う星空だけでした。

 崩れかけた灰色の建造物はどれもこれも実際には見たことない形をしていて絵本だったり小説だったりから想像する世界に近い印象です。

 自然に生まれたとは思えない、でも……人工的な建物に反して周囲にはわたしと蒼ちゃん以外誰も見つかりません。

 それはまるで世界には生き物がいるという前提を都合よく排除したもので、作者さんが「自分が描きたいのは建物だけなのだから」と無機物の描写を徹底した世界、現実的かどうかという部分には目を瞑った世界、或いは人工物だけが取り残されてしまった黄昏のような世界。

 そんな不自然な静寂に包まれた世界にわたしと蒼ちゃんは迷い込んでしまったようでした。

 蒼ちゃんは初め腹立たしそうに空を見上げていましたが、今はわたしの傍から離れて瓦礫だらけの広場の踏み心地を確かめるように歩き回っています。


「蒼ちゃん、待ってください!」


 目を逸らすと何処かに消えてしまいそうな……背中を追わなければそのまま置いていかれそうな気がして、わたしは慌てて蒼ちゃんを追いかけます。


「あの、蒼ちゃんはなにものなんですか? ここはどこですか? お兄さんのことをもっと教えてくれますか?」

「それ全部答えないと駄目ですか?」

「全部、です。あ、普通に話してくれるんですね」

「天の声が機能しなくてしかたねぇんだよ……声を出していると疲れるんですが、それでも話せばいいですか?」

「えっと、いえ、その……ごめんなさい」


 聞きたいことはたくさんありますが、どうやら煙たがられているようでした。

 決して嫌われたいわけではないのですが、わたしはあまり……大人以外との接し方が分かりません。


「うーん、どこかに本とか落ちてないでしょうか」


 ちょっとだけ萎縮してしまって、当たり障りのない言葉を選んでしまいます。

 辺りに散らばっているのは瓦礫ばかりで、本などが落ちていないことは一目瞭然でした。


「そこらへんを掘り起こしてみれば、もしかしたら出てくるかもしれませんね。読めるかどうかは知りませんが」

「……やめておきます」


 わたしはなにをしているのでしょうか……いえ、なにもできなくなったまま、口を噤んで蒼ちゃんの背中を追いかけていきます。


「君はこうして実際に話してみると、随分印象が違いますね」


 やがて、変化に乏しい灰色の風景が続く中、不意に蒼ちゃんが足を止めました。


「そうですか? あまり同じくらいの年の子と話したことがないですから、自分でもよくわかりません」

「なるほど、君はそうか、ほとんどの人に特別扱いされているのでしたね」

「そうですね……そうなんだと思います。わたしは勇者の娘ですから」


 物心ついた時から触れると壊れてしまうガラス細工のような接し方をされてきて、そんな周囲の態度は、街中で見る他の子供達に向けてのものとは違うのだと……そう気付くのに多くの時間を必要とはしませんでした。

 お父さんは素性を隠すとかの選択肢を道端で遭遇するスライムを彼方まで吹き飛ばすような勢いで省いていて、顔と名が紐づけされた状態で世界の隅々まで知れ渡っていました。

 だれもかれも会う人は皆、お父さんを勇者様と呼び、次いでわたしにも神々しい何かを見るような目を向けてくるのでした。

 ポッキーさんだったり、わたしと真っ直ぐ向き合ってくれる方もいます。でも、それでも、心の底では、それはやはりわたしが勇者の娘として類稀なる才能を秘めているからなんだって勝手に決めつけてしまう時もありました。


 わたしはわたしです。


 勇者ユージン・イシュノルアの娘であるという前提が消えてしまったとき、わたしはどう接して貰えるのでしょうか……それは昨日まで夢に望むことでしか叶わなかった世界でした。


「僕にとって君がヨゾラ・イシュノルアだろうと岬夜空だろうと……どちらでもいいし、どちらだろうと接し方は変わりませんが」


 でも、目の前の人は――わたしとあまり変わらない背丈をしているのに、どちらかというと大人に似た落ち着き方をしている……感情の起伏が少ない、冷めた態度をしているこの人は、こちらを振り返ることもなく無関心な様子でそう言うのでした。


「みさき……よぞら、お兄さんのことはひなたって言ってましたけど、蒼ちゃんはどうして……わたしの家族のことを知ってるんですか?」

「少し歩きながら話をしましょうか」

「はい、あの、疲れたら無理しないでくださいね」

「ただの嫌味ですよ、さっきのは」

「あーそうですか! もう全部教えてもらいますからね! 全部! 納得できるまで!」

「納得できるかどうかは君個人の問題です。僕に言われても困ります」


 蒼ちゃんが笑ったのか息を吐いただけなのか曖昧な吐息を出します。

 わたしは道の先まで伸びている所々がひしゃげた柵を撫でながら、話の続きを待ちます。


「もう言いましたよね? この世界は君のお兄さん……岬日向が救済する手筈になっていたんです。でも、そうはならなかった」

「お兄さんが救う筈だった……世界?」

「そうです、それを僕の同期が何を思ったのか急に心変わりしやがって……彼女の気まぐれによって岬日向はこの世界へ生まれ変わることができませんでした――ここは僕達の調整が失敗した世界、或いは僕達の干渉を免れた世界……僕達……神様を拒絶した世界、僕の同期は岬日向を見殺しにして転生させることを拒み、その責任から自らこの世界を救おうとしたんです。でも、神様を拒絶した世界で僕達は無力だったんです」

「蒼ちゃんは神様だったんですか?」

「そうですよ……あまり驚きませんね」


 これでも驚いているつもりでしたが、一方で蒼ちゃんには説得力があるというか、すんなり納得できるような神秘性とでも言えばいいのでしょうか? 出会った時からこの人は人間というより妖精さんなんかに近い存在なのでは? と薄々感じていたからでしょうか、わたしの反応はどうやら蒼ちゃんが期待していたリアクションには遠く及ばずみたいです。

 だって、頭の中に直接話しかけてきたり、綺麗な髪からきらきらと粒子が舞っているように見えたり、正直これで人間ですと言われたほうが驚きです。

 そういう意味ですとわたしも全身から星空を撒き散らしているわけですから、声に出してしまえば反撃を受けるのは目に見えてますので黙っておきますけど。


「つまりお兄さんがこの世界にいるわけではないんですか?」

「はい、岬日向でしたら君が生まれた本来の世界で今も元気にしているはずですよ」

「そうなんですね……よかったです」

「会いたいですか?」

「それはそうです、お兄さんともお母さんとも会いたいですよ」

「そうですか……でしたら、この世界からなんとかして抜け出さないといけないですね、この世界ですと僕はほぼほぼ無力ですから、君が頼りになるんです」

「神様なのになんでもできるわけじゃないんですね」

「たまたまそれが近い呼び方だっただけです。僕達は人々の願いによって様々な力を得ます、ですが、この世界では……言ってしまえば願う人がいないんです。まったくいないわけではないので完全に無力というわけでもないのですが、そうですね……精々これぐらいなら」


 と言って、蒼ちゃんは足元に転がっていた手のひら程の大きさをした石ころを拾いました。そして、どこを狙うでもなくひょいと放ります。

 宙へ投げ出された石を目で追うと、地面へ落ちる前にぱっと消えてしまいました。

 まばたきはしてなかったのですが、思わず両目をこすってもう一度辺りを確かめてしまいます。


「僕が本来担当していたのは異世界転移……人を別の世界へ飛ばしたりできるのですが、今できるのはあの石ころをどこへ飛ばせたかも定かではないお粗末なものです」

「危ないじゃないですか」

「あとはまぁ、天の声が届かずとも仕事仲間の気配を僅かながらに感じ取れるぐらいですかね」


 わたしの指摘を無視して歩き続けていた蒼ちゃんが急に足を止めます。

 そして、鉄の棒が突き出した崩れかけの建物を見上げました。


「さて閂か有紗か、どちらでしょう」


 ぽつりと呟いて、蒼ちゃんは鉄の棒と灰色の壁の隙間を器用に抜けていきます。

 蒼ちゃんを追って角ばった形をした建物の中へ入ると、四角い空間が広がっていて、そして――。


「安心してください」


 思考が、呼吸が、全身が凍りついたように動けず呆然としているわたしへ蒼ちゃんが言いました。


「生きてるはずですよ、あれは」


 奥の壁面には、幾つもの棒状の何かによって磔にされた誰かの姿がありました。

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