倉橋つかさ(5)
「生きてるはずですよ、あれは」
秋葉原の魔王城から歩くこと数分。
神田川に架かる
川の中心に居座る巨大な影。
万世橋の神田ドラゴンは、寒さで凍える子供のように全身を丸めた姿をしていて、その緩やかな曲線を描く灰色の背中には、図太い釘のようなものが突き刺さっていた。
近代的な秋葉原の景観に酷くそぐわない、見るものを圧倒する幻めいた姿。
体も釘も僕らとは根本的にスケールが違う……神田川と巨躯を繋ぎ止めている釘のてっぺんを目で追っていくと、遥か上空にある釘の上から小さな影が羽ばたいていくのが見てとれた。
川に浸かっている部分を注視すれば、苔むした岩とも鱗とも見分けがつかない厳めしい鈍色が続いている。
いつまでも眺めていると、傍観していること自体に罪の意識が芽生えていく……そんな痛々しくもあり、どこか寂しげな姿を受けて、僕は耐えきれず視線を外してしまう。
万世橋を渡る人々の中には、僕たちと同じように足を止めて神田ドラゴンを見上げるものもいる。でも、それらは少数派で、ほとんどの人は一瞥することもなく素通りしていた。
馴染む、適応する、いつしか当たり前になってしまうこと。
忙しなく行き交う人の流れが、僕になにか問い掛けているようにも感じてしまう。
失われた記憶について、万世橋の神田ドラゴンについて、思いを巡らせることは無意味なのか……呆れるくらいに繰り返している問答、そして、自分の中では結論が出ているはずの問答。
考えるだけ無駄だと言い聞かせている僕に対して、神田ドラゴンは彫刻紛いの出で立ちをしていながら、首根っこを掴み上げられたかのような息苦しさをこちらへ抱かせてくるのだった。
あてもなく彷徨う視線が隣に立つモモさんを映すと、彼女は長いまつ毛を伏せていて、その横顔がなんだか寂しげに見えた。
モモさん――雨頃胡桃さん改めモモちゃん改めモモさんはなんと僕よりもずっとずっと人生の先輩らしく、最初にモモちゃんと呼んだら「モモのが年上ですよ」と上目遣いに言われた。
最初の印象は可愛らしい女の子、次いで旺磨さんを殴っていたときに感じた逞しさ、そして、今は……つま先立ちになって万世橋の柵を両の指で掴んで、神田ドラゴンを見上げる彼女はミステリアスな雰囲気を漂わせていて、声をかけるのも
つい先程、モモさんがぽつりとこぼした――僕に言っているようで、自らに言い聞かせているようだった――神田ドラゴンは生きているはずだ、という一言。
威厳や色彩といった命を構成する要素の幾つかを神田川に溶かしてしまったようにも見える神田ドラゴン、巨大な釘で串刺しにされ、体表には苔が混じり、上空では鳥達の羽休めに利用されている。それでも、生きているはずだとモモさんが言ってのける根拠は何なのだろう――。
「はば、ぶっ、おぼぼ、てべ……べぼね!」
こちらの疑問を察してか、旺磨さんがなにやら言葉を発しているが……動物達を衣装代わりに纏って歩く怪奇現象の言語は、彼を飲み込む動物達に遮られて、僕には理解が難しかった。
馴染む、適応する、繰り返してしまうけど、旺磨さんのこのよくわからない体質にも慣れてしまっている自分に若干だけど悲しみを覚える。
「なにいってるかわからねーですよ」
「ですよね」
モモさんに同意して、僕らは旺磨さんと少しの距離を空けながら日向さん達の合流を待つ。
「あそこ、なんだか変じゃないですか? トイレの下から階段が伸びてるんですけど……」
辺りを観察していると、万世橋の端に据えられた公衆トイレの真下にぽっかりと空間ができていることに気付いた。
まるでトイレの地下から階段が伸びているようにも見えて、その意図が分からずモモさんに訊ねてしまう。
「超芸術トマソンってやつです、きいたことねーですか?」
「あります。昨日、日向さんから教えてもらいました」
「或いは神田ドラゴンとセットで超現実トマソンって呼ばれたりもしてるです」
「つまり、ええと、あの空間が異世界との橋渡しとして機能してて、そこから神田ドラゴンが現れた……ってことですか?」
「ですです」
「なんていうか、サイズ的に無理……ありません?」
「ありえねー話ではねーと思うですけど、まぁこじつけ感は否めねーです。ただ……そういうのを度外視して強引に結びつける連中がいるのは確かってことです」
「……なるほど」
「モモからするとこの世界は情報量が多くて、自分にとって都合の良い解釈を選びがちな傾向にある気がするですよ」
この世界という独特な言い回しから、モモさんも旺磨さんや勇司さんと同じく別の世界からやってきた一人なのだろうと察する。
声に出して確かめることはしないけど、であるならば一見して幼い女の子にしか見えないモモさんが自分よりもずっと年長者だという言葉に納得がいく。
なんとなく殴られそうな気がするから、絶対、声には出さないけど。
「ごめーん、待たせちゃった?」
それから今夜、僕らが向かう所……かつて万世橋駅だった一部の高架橋を利用している商業施設で親睦会を開く予定なんだという話をモモさんから聞いていたら、岬識訳事務所の面々がようやく合流してきた。
「ひっ」
と歩く怪奇現象(旺磨さん)に気付いて短い悲鳴を上げる天音さん。
「初々しい反応ですね……その子が土御門天音です?」
「そそ、天音さーん、このちんまいの紹介しとく、雨頃胡桃さんだよ」
「ちんまいは余計です!」
仲良さそうにじゃれ合うモモさんと有紗さん、控えめに頭を下げて自己紹介を始める天音さん。
「それじゃ、いこっか」
笑顔で僕らを見回して先導を始める有紗さん。それぞれが彼女の背を追うようにして歩き出す……なぜか、そこに日向さんの姿はなかった。
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