岬朝日(4)


 夜空は勇司に似ていて、日向は私に似ていた。

 夜空が私と似ていたのは髪の色ぐらいで、日向もまた勇司と似ていたのは髪の色ぐらいだった。

 勇司の故郷、つまりは異世界の血を濃く継いだ夜空を看過できないと……監視下に置きたいと陰陽道の連中に言い渡されたのは、あの子がもうすぐ二回目の誕生日を迎えようとしている頃の話だった。

 そして、私は当時の圧政的な彼らに逆らって、夜空を連れて姿をくらますよう勇司に頼んだ。いつか、時代が変わって世界が――陰陽道の考え方が変わると信じて。

 以降、世間の認識を変えていこうと、陰陽道の手駒となることを受け入れて、私なりに尽くしてきたつもりだった。

 トマソンから始まった不可思議現象の規模と比べて、きっと私がしてきたことなんて微々たるものなんだろう。

 愛する夫と娘が再び戻ってこれるように、家族揃って笑えるその日を夢見て……でも、その結果、ほとんど家に帰ることもなく、日向に寂しい思いをさせてしまっていたのだから、私は……たぶん、間違っているのだろう。間違っていたのだろう。

 日向と一緒に過ごせない背景に、倉橋家の事件があって、私に対する監視――閂の目が厳しかったこともあるが、今となってはそれも言い訳でしかないのだろうと思ってしまう。

 そんな私達家族の絆をかろうじて繋ぎ止めてくれているのが有紗だった……だから。


「待ってくれ、勇司……有紗はお前の思っているような子じゃない」


 勇司が責めるべきは私であって彼女ではない。そう言いたい。

 お前が正しいことを成すために奮う勇者の剣は、きっと私が向けられるべきなのだと言わなければいけない。

 勇司は光輝を携えた剣の切っ先を下げて、呆れたと言いたげに眉根を寄せる。


「……またそうやって……お人好しも大概だな」

「説明してほしい、なぜ有紗なんだ? なぜここに居るんだ?」

「あのなぁ、そいつは肝心な時に自分の存在理由を優先する。媚び媚びな態度や格好で騙し通せると思ってんのか知らねーけど、外面を剥いで残るのは、見てくれビッチなんだぜ」

「それはセクハラでは!? あたしでもさすがに傷付くんですけど」


 街中は奇妙な静けさに包まれていて、彼の言葉の一つ一つが聞き間違えようもなくはっきりと聞き取れてしまう。

 助けにきた。それはいつか聞いた頼もしい一言だった筈なのに、今はそれが私の呼吸を苦しくさせる。


「いずれ必ず立ち位置を変えてくる。そうだろ?」

「いや、全然そんなつもりはないんだけど……でも、降りかかる火の粉を払うぐらいのことはするよ」


 言って、有紗の周りに火の粉がちらつき出す。彼女の肉体が膨大な熱を帯びて、髪の毛先がふわりと重力から解き放たれる。

 勇司が放つ光に比べて随分と心許ない……線香花火と似た儚げな火花が辺りで弾けて視界に焼き付く。

 それは有紗にとっての戦闘態勢、彼女が自らスーパーアリサモードなどという幼稚な呼び方をしているものだ。


――赤神有紗は明らかに私達の世界とは違う存在だった。


 有紗と出会ったのは、勇司と夜空がこの世界から消えて間もなくのことで、彼女は最初に――自分のことを異世界人だと語った。

 以来、なぜか親しげに先生と呼ばれてはいるが、識訳師としての実績は彼女の方が上だ。

 きっとこの子は「対話こそが識訳師の本業でしょ?」とでも言って私の顔を立てるのだろう。だが実際の所……話し合いでしか物事を解決できない私は、何度も鈴里と有紗に頼る場面を経てきた。暴力へ屈しない二人によって守られてきたと言い換えるべきなのかもしれない。


「ふーむ、あたしがそこまで嫌われる理由ってのが、なんとなく分かったかも」

「悪だくみしてるって認めるのか?」

「そういうことじゃないよ。あんたさ、あたしが岬家に害をなすと……手遅れになると、まるで実際にそんな場面を見てきたかのような言い方をした。それってさ、別の世界の話でしょ?」

「……朝日、さがってろ」


 一方的に問答を打ち切って、勇司が私達との距離を縮めようと一歩踏み込む。

 私は従わず、返って有紗を庇うようにして彼の前に立つ。


「詳しく話してくれ、お前は有紗の何を知っている?」

「そいつは日向を見殺しにした」


 吐き捨てるような一言だった。


「なにを馬鹿な……日向は生きている……生きている筈だ」


 最後に日向と会ったのはいつだったろうか?

 親から出る疑問としては、あまりにも情けないもので言葉に詰まってしまう。

 そしてすぐに……今考えるべきは親子の絆でも日向の現状でもなく、有紗の言葉にあると思考を切り替える。


「別の世界……勇司、お前まさか……」


 別の世界と異世界は同意語だと勝手に思い込んでいた。


「やっぱりそういうことか。せんせい、あたしさ、黄泉化生は故人を模す現象だと……過去を利用した悪戯だと思ってた。識訳庁だってその認識だったから黄泉なんて文字を使ったんだ。でも、もしかしたら、これはもっと複雑なのかも。異世界人が絡んでいるのかどうかって部分はまだ曖昧だけど、今回のこれは過去とは関係ない。ううん、厳密にはある意味で過去と繋がっているのかもしれないけど、それはあたし達の過去じゃない」

「並行世界か」

「たぶんね」


 パラレルワールド、それは有り得たかもしれない別の可能性の世界。

 目の前に立つ勇司は、日向がなんらかの要因で死んでしまった世界から現れたのだと仮定すると……先程から感じる会話の齟齬そごに説明はつく。

 更には識訳師として追っている怪奇現象の一つ、黄泉化生に対しても一説を投じることが可能だった。

 故人に似た誰か、容姿がそっくりでも違和感を抱く正体、それは歩んできた時間が異なるから故に生じる微細な変化。そして、相手が故人だった場合の衝撃が強く、事例報告が上がりやすいという話なだけで実際は亡くなった人物だとは限らない。これに関しては幾つかの証言も得ていた。都市伝説には虚構が混ざりやすい……全ての証言を鵜呑みにしてはいけないと可能性を頭の隅に追いやっていたが、もし眼前の勇司が推測通りの存在だとするならば、そのまま裏付けとなる。

 或いは故人を呼び出すパターンが多くなりやすい前提条件があるのかもしれない。


「だからなんだ?」


 勇司が私達の推測を認めるように呟いて、それでも剣を構える。


「ちょっとした選択の違いによって枝分かれした世界があったとして、それは些細な問題であって、結局は本質に大きな違いはないんじゃねーのか? 結果として性格や出自にどこまで変化が起きる? 例えば俺が勇者じゃなくて世界を滅ぼそうとする魔王のような立ち位置だった世界なんてものが存在すると思うか?」

「ないとは言い切れないんじゃない? 少なくともあたしは……違う。この世界のあたしは自分で決めて踏み出してる……それが正しかったなんて言えないかもしれない。だけど、今のあたしは自ら望んで、自らを否定してこの世界と関わってる」

「そもそも俺の知ってる赤神有紗とは違うって言い張るなら、なんで今でも朝日達の傍にくっついてる? もうその必要はないだろ?」

「……それは」


 返答に窮する有紗。

 勇司も有紗も臨戦態勢を解く気配はなく、この場において私は無力なのだと再認識させられる。

 どちらかを肯定して残る一方を否定する。選択すること自体は簡単なのだろうけど、今ここで白黒つけることが正しいとも思えなかった。


『…………』


 不意に幻聴が聞こえた。微かなもので内容は聞き取れなかったが、頭の中に直接響くような感覚だった。

 閂だろうか……どこからか監視されているような気がして、名状し難い悪寒に襲われる。

 私は錯覚だと己に言い聞かせつつも、閂の姿を探すように夜の街へ視線を巡らせた。

 超常現象を交えた喧嘩なんてものは、それほど珍しい話でもなくなってきた現代だが、だからといって好き好んで関わろうとするものは少ない。

 目を凝らせば離れた位置で勇司の剣や有紗の火花を暢気に眺めている人影も見つけられる。

 そんな中で野次馬とは明確に異なる、膠着している場に介入する意思がはっきりと見受けられる足取りで近づいてくる大きな影があった。


「おんやぁ? こいつはまた……何事で?」

「おー、ニッチじゃねーか!」


 声の正体は、秋葉原の識訳師にとって欠かせない存在。言葉の通じない相手との通訳を担ってくれている黒猫ニッチだった。


「あ、そういえば……」


 と、有紗が小声でもらすのとほぼ同時に、街灯が薄暗い路面へ映し出している光の孤島によって影の正体が露わになる。


「ぼぼぞが、ぞび」

「んにゃ、にゃにゃにぃ」


 見るからに異世界よりの来訪者だと主張している人外の面貌、劇画の鬼を立体化させたかのような巨躯の主は、肩にのせたニッチと二言三言交してから私達に向けて礼儀正しくこうべを垂れた。


「おぉう? なんつーか……ファッション魔王の旺磨よりもずっとらしい奴が出てきたな」


 アイデンティティ勇者バカがどこか嬉しそうに声を弾ませながら、私達の傍を横切ってニッチ達の元へ近づいていく。


「そーそー、お客さんきてたんだって」


 有紗もすっかり毒気を抜かれた様子でスーパーアリサモードを解除していた。

 私は……勇司が私の横を通り抜ける際に、彼の横顔から一つの事実を垣間見ていた。

 彼の居た世界と私の居る世界ではなにが違うのか、どこから違ったのか、私の選んできた道は正しかったのか。そんなことを考えても無意味だと理解している筈なのに、どうしても頭の中でたらればの風景が明滅してしまう。


 どちらが正しいということもないのだろう――でも


 私の所為で片目を失った勇司とは違う……両の目が健在なままの、別の可能性を生きてきた彼の背中を眺めていると、眼球がじわりと熱を持つのが分かった。

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