岬日向(1)
モ-ニングコール、或いはモーニングゴースト。
「
「んが」
目覚めは幽霊を添えて。
お世辞にも優雅とはよべない起床、今日もまた不気味な余韻を伴って一日が始まる。
へへっ、俺さ、女の子と同棲してるんだ。彼女かって? ふっふっふ、そんな魅力的な二文字で説明できたら……説明できたら、もうあちこちに自慢してるんだけどね!
手巻き寿司みたいに丸くなっている掛布団を蹴飛ばして、あくびを一つ、深夜アニメに付き合わされ疲れているのか、ずっしりと重い
「今日はもう一人の新人さんと顔合わせなんでしょ?」
「あーそうだった」
高校時代、面接練習で担任に「日向君、目を合わせて話すように意識しないと……」と注意されたことを思い出す。
うん、しっかりと話し相手の目を見なきゃな……寝坊しないようにと甲斐甲斐しく声をかけてくれた同棲相手へ視線を向ける。そして、秒で目を背ける。
だって先生、透けてるんですよ。向こう側の液晶テレビが見えてるんですよ。こんなのと子供の頃から生活してたらさ、
個人的な意見だが、慣れないのは今の世の中も同じだ。俺達とは違う世界から何かが紛れ込むようになって短くない月日が流れている。
時間が解決してくれる、人間は適応する生き物だ、なんてよく聞くけど、実際は慣れたって話じゃなくて、俺達の感覚が麻痺してるだけなんだと思ってる。
諦観と言ってもいいのかもしれない。
幽霊と同棲してるのも、母親と別居しているのも、どちらも俺にとっては諦めている感覚に近い。一家団欒なんて言葉を聞いても胸は痛まなくなったし、涙も流れなくなった。きっと痛覚が麻痺してるのだろう。或いはこれが大人になるってやつなんだろうか。
「朝ごはん、食べないの?」
「事務所着いて時間余ってたら、魔王城で食べるわ」
歯磨きしながら、寝癖を整髪料で雑にごまかす。うーむ、地毛の色が目立つようになってきたな……週末になったらもっかい染めるか。
新社会人というよりは学生に近いラフな格好へ着替えると、そそくさと手荷物をまとめる。
「じゃアマネ、いってきまー」
「いってらっしゃい」
幽霊であることを殊更に主張するような真っ白い髪に、生前より色素が薄いのか、はたまた全身の透明度が高いからなのか判断に困る薄氷の瞳。
半透明の笑顔を浮かべる相手――アマネに見送られて、いざ出勤。
最寄り駅である大井町駅までは繁華街を抜けることになり、歩いているとラーメン屋から漂う豚骨の匂いに誘惑される。
通りすがりに「朝ラーやってます!」って看板の横から店内を覗くと、スーツ姿のおっさんが頭部から蒸気を発していた。魔人ブウみたい。
過密気味の電車では、どなたかの肩から突き出た角が頬にぐいぐい押し付けられてとても痛かった。
秋葉原で降りた時は、改札口にジャストフィットして雄叫びを上げているなまはげを目撃した。俺の感覚はもう麻痺してるので何も感じない。頬はまだ痛いけど。
ゲーマーズで昨日視聴したアニメのフェアを眺めて後、裏通りに入り事務所への歩を速める。
「ん?」
しかし、なんだか非常に見覚えのある後ろ姿を視線の先におさめ、はたと足を止めた。
見覚えがあるというか、長年過ごす内に見慣れたものというか、身長だったり髪色だったりが。
「アマネ? え、おま、アマネだよな?」
「……?」
思わず肩を掴んでしまい、振り返ったアマネ(仮)と至近距離で目が合う。なるほど、瞳の色素が薄いのはどうやら全身が透けてるのとは関係なく元々らしい。
え? ちょっと長考タイム貰えますか?
ゆっくりとまばたきして深呼吸して、ひりひりとした痛みが残る頬をつねって、今朝のアマネの姿を思い描く。あっち透けてた、こっち透けてない。
「わっつ?」
「……なんですか?」
警戒心マックスといった様子で目を細めつつ、彼女が続けて口を開く。
「知り合いでしたっけ? とりあえず離してもらっていいですか?」
他人行儀な口調を受けて、ますます思考が乱れる。他人の空似ってレベルじゃないんだよなぁ、もしかして生霊的な?
さすがにないな、と思いつつもくっそ寝惚けてる可能性を潰すために頬を再びつねってみる。
「むー! ふぁひするんへふかっ!」
相手の頬をね、両方ともぐいぐいって。だって俺の頬はもうそろそろ限界だもん。
瞳を潤ませながら抵抗してくる様が、申し訳ないけどちょっと可愛い。
なんて脳内お花畑なことを考えていると、突然、視界で火花が散ったように見えて、それから頬が凄まじい痛みを訴え出した。いつの間にか尻餅もついている。
「痛いっ! おやじにもぶたれたことないのにっ」
まさか自然とこの台詞が口から飛び出す日がくるとは思わなかった。
情けない姿をなかったことにしようと咳払いを挟んで立ち上がり、真顔で一言。
「何をする?」
「こっちの台詞ですが!?」
「もう失礼するよ、仕事に遅れてはいけないからね」
「はぁ!?」
スマートな対応を決め込んで傍にあるコンビニのトイレへ逃げ込んだ。もう社会人だし、人前で泣く姿を見せたくないという意地が足を突き動かしてくれた。ちょっと震えてるけど。
便座に座って暫く休んでいると痛みも引いてきたので、休憩料金として昼食用にサンドイッチとお茶を買って職場へ向かう。
不思議体験の一つや二つで動揺するなんてまだまだ未熟だ、これから
勤務先である岬識訳事務所はジャンク通りの雑居ビル内にある。
遅刻ぎりぎりになってしまったので地下にある魔王城(喫茶店)には寄らず、まっすぐ事務所のある四階までエレベーターを利用して急いだ。
「おはようございまーひゅごっ!?」
「日向ぁ、もうちょっと時間に余裕もって行動しなよ? ん、どしたの? なんかドッペルゲンガーと遭遇して死を悟ったみたいな顔してるけど……いや、ほんとに顔ひどいな! 親知らずでも抜いた?」
有紗さんと挨拶を交わす中、彼女と目を合わせることもできず、俺の焦点はその背後に吸い寄せられてしまっていた。
「いやぁ道中ちょっと……それよりも……あの……」
「あぁ、紹介しとくね。あんたの同期になるのかな?
有紗さんの言葉に続いて優雅な仕草で一礼する土御門天音さん。
俺には分かる。無言のまま面を上げた彼女の笑顔は確かにぴくついていた。
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