倉橋つかさの職場見学、或いは岬日向の心傷風景
岬朝日(1)
トマソンがトロフィー『世界☆横断』を獲得しまちた。
ある日、秋葉原の
色とりどりの風船が結び付けられており……風船とは比喩表現で正確には風船とは違う何かが、雨にも風にも負けず、十年以上もふよふよと
城壁から伸びる塔は幾年の月日が流れても、くたびれることなくトマソンの業績を称えた横断幕を張り付けていた。
すっかりとアキバ城で定着し、今日に至るまでトマソンの最初のメッセージだとして熱狂的な信者達による考察が続いている。
私が高校生の頃――具体的な数字を意識すると心が沈むから――ざっくりと十数年前と言っておくが、ある現象に伴って、世間で一冊の冒険譚が注目を浴びた。
『トマソンの大冒険』と名付けられたそれは、当時の流行に倣って私達の住む世界とは違うどこか――つまり、異世界を旅する娯楽小説の体系をとっていた。
作品単体でセンセーションを起こしたわけではなく、同じトマソンの名を示すアキバ城の出現と、著者が覆面作家であり音信不通となっている部分、そして、次第に各地でトマソンの名前を含めた不可思議現象が散見する事態となり「これはポストヒューマンの誕生だ」と真剣に語る研究家の姿がマスメディアに映ったりと、すっかり宗教的な熱を帯びてしまったわけだ。
だが、やがてはトマソン以外の名前で、己の業績を誇るかのような異物や来訪が続々と報告され始め、瞬く間にトマソンの名は希少性を失っていった。
加速度的に既存の価値観が崩壊していく中、新年の挨拶として件の研究家が「人間辞めましょう!」と吠えたのが記憶に新しい。
世界は着実と境界線をぼかしつつあった。
平日の早朝にしては密度の高いマクドナルドの二階では、三頭身卵体系の梟に似た異人がハンバーガーを包みごとぱくりと頬張っており、病的にまで肌の白い女性が向かい席に寝かせたギターケースへなにやら母界の言語で語り掛けている。
近くに座っているスーツ姿の中年と眼鏡を掛けた植木鉢の会話に耳を傾けてみると「カフェインは茎にしみるわぁ」と聞こえてきた。なるほど、覚えておこう。
こんな時代の先駆けとなったアキバ城を窓から眺めていると、程なくして彼女の声が聞こえた。
「せんせー、お待たせ」
「おはよう
「おはよー涼しい朝だね。今日は
私を先生と慕うが口調は砕けており、熱を持っていそうなほどに鮮やかな紅蓮の髪色が一際目を引く女の子。
キャンパスライフを満喫する女子大生に似た
昨夜『いかにもって感じのトマソンを見つけちゃった』とメッセージが届き、仕事の一環として現場確認へ向かう約束をしていたのだ。
締め括りにカオ
「休日はそれぞれ自分の時間を大切にするようにしているからな、休日はな」
「ごめんごめん、でもさ、不承不承ってな感じで事務所へ寄った帰りに見つけちゃったからさ、これはせんせーをまきこ、連絡しなきゃって思ってね」
ジャンク通りの雑居ビルに私名義の事務所を構えているが、管理はほとんど有紗に一任している。遠回しに怠慢を揶揄されている気がするが、意に介さず会話を続ける。
「今日は
「
「色々忙しい」
「そんな中、あたしのわがままに付き合ってくれるなんて、いやぁ愛されてるなぁ」
照れますねぇと笑顔に八重歯をのぞかせて席を立つ有紗。私もコーヒーを飲み干して、彼女と一緒に店の外へ出る。
「しかし、まだ秋葉原にトマソンが残ってたとは信じ難いな……いや、だからこそ信憑性があるのか」
「そーいうこと」
元々、私達の世界では超芸術トマソンと呼ばれる概念がある。
意図の分からない建造物……出入りのできない家の外の二階部分に付いたドアや、途切れている螺旋階段など。
だが、アキバ城のように違う世界からふっと出現した物体が結果的に超芸術トマソンと似た景観を生む場合がある。そして、それらは異世界との繋がりが強く、更なる現象を生む可能性が高い。
一見すると無意味な建造物が、世界と世界を渡る橋として機能しているというわけだ。
神田川に向かって裏通りを歩くこと数分で、有紗が「こっちこっち!」と道の脇を指さした。
「えっ」
「……どうした?」
先導していた有紗の動きが止まる。
遅れて彼女が見つめる先へ視線を移すと、そこはコインパーキングで、後方に建つ家屋の壁面に巨大な黒ずみが滲んでいた。
失われたかつての建造物の影を周囲に残す原爆タイプトマソンだ。それよりもパーキング内で車の代わりに立つ人影に目を奪われる。
――ほぼ全裸の少年が立っていた。
残念ながら時代が変わっても変態は変態だ。私達は人間を辞めたわけでも、服を脱ぎ捨てたわけでもない。だから、必死になって異世界からの来訪者を
「有紗」
「あ、うん」
通報しようと懐からスマートフォンを取り出す弟子を横目に、再度、少年の姿を確かめようとして思わず後ずさる。
ほぼ全裸は訂正しておこう、下着だけの少年はなぜか目尻から涙を流しており、じりじりとこちらに近づいてきていた。そして――
「は、こら、ちょっと……あんた、抱きつくなって!!」
何を思ったのか有紗に抱きついた。清々しいハグである。
「君、やめといたほうがいいぞ」
「ふざけんなっ!」
私が忠告するのとほぼ同時に、有紗の拳が変態の腹部を打ち抜いていた。
「ふごぉ、おえぇ」と喘いでいる少年へ追い打ちの如く、有紗のチョップが迫る。
「加減してやれよ」
無防備に頭で受け止めた少年は干からびた蛙みたいな横たわり方を見せた。
「なんなんだこいつ」
唾でも吐き捨てそうな声の調子で、びくともしない少年へ冷めた目を向けている有紗。
あの有紗が
「ぼ、僕はなにを……僕は誰だ? 誰だ僕は!?」
「おい、これ……」
「……正当防衛だから」
演技なのか判断つかない。どうやら記憶を失ったらしき少年へ問い掛ける。
「名前は言えるかな?」
「つかさです。さっきはすみません、自分でもよくわからないんですけど……よくわからな……僕は誰だ? 誰だ僕は!?」
大きく目を見開いて混乱しているつかさ君。
「言っとくけど、加減はしたよ」
「わかってるよ。まぁいい、この子の様子は私が見ておくから、とりあえず有紗は事務所を頼む」
「うげー」
渋々といった面持ちでその場を去る有紗。彼女の後ろ姿が視界から消えると「僕は誰だ? 誰なんだ僕は!?」と生まれたての小鹿みたいにぷるぷると足腰を震えさせている少年をしばらく見守っていた。
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