懜懂たるウスコントイソシアタット

森田

ムサフィラ

メモ:пробуждение



目前の景色や人間、言葉と言ったモノは総て、太陽のひかりの干渉する様な、朽ちた転生の様な・・・

水のように論理的でない、極彩色の絨毯じゅうたんのような世界を形成する空間に放棄すてられた私は、私という自覚も無い儘、漠然と行動を成す。


私の記憶の限りでは、見馴れないカフェに立ち寄った私は、カウンターにて先に支払いを済ませた後、怯懾おびえつつも店内奥の崩壊した壁の僅かながら残存する足場に沿って、隣の部屋へ移動した。


私はきっして幻覚に陥っている訳では無い。

然し、自明に、現実という訳でもない。


崩壊した壁の向こうは建物は無く、又地面も無く、ただ果ての無い、積雲のある空が広がっていた。このカフェが天空に在るのかは瞭然としては解らない。入る時には、地面というモノは、自分の足の下に在った覚えはあった。然し、無かった覚えも在った。その自分の記憶の曖昧さに、今、怏悒おうゆうとしている。


足場を移動している時、雄大な空の中に、幾つかの飛行艇や飛行船などがまばらに見えた。

又、そこから落ちる人間もまばらに見えた。

私はこのような場合、怵惕惻隠じゅってきそくいんの心を持つものであるが、不思議と、感情など何も湧かずにいた。恐らく、この世界ではこの行動は冷酷に値しない。


これが私の覚えている限りだ。


察された事かもしれないが、これは昨夜見た夢だ。

私には、起きた直後に夢を思い出す癖があった。

奇矯ききょうな癖な気もするが、普遍的な癖でもある気がする。


この癖は、今朝にも発動したわけだが、この時に限っては、夢の内容の他に気付くことがあった。

それは、記憶可能容量と夢の時間の流れの乖離だ。

歴然として、夢の中で流れている時間は長くなったのにも関わらず、覚えているシーンの数は、少なく、短くなってしまった。

しかも、ただ覚えていないだけで無く、そこには、覚えていることによって何か都合の悪きコトの在るかの様に、記憶の猶兮ためらいの干渉が確認できた。

私はコレに、漠然と危機感をいだきつつも受け入れる余裕は無かった。


私はこの不安感を半強制的になだめつつ、水を中咽頭に与えた。


今日は休日なので、気晴らしに散歩に出た。

気晴らしに出たのにも関わらず、冪冪べきべきとして空は私を愚弄していた。

思考をせず、ただ一歩一歩を凝視して歩く作業は、私に不安を思い出させた。

ただ簡単な行動であっても、猿猴えんこうが月を取るような判断であったかもしれない。


私は早急に帰宅し、一日分の時間を、自分の憂鬱が横溢しないように浪費する。

そして、繁辞はんじまみれた幽愁を、打ち明ける人物も無い儘に脳内で反芻する。

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懜懂たるウスコントイソシアタット 森田 @qua63fe

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