第52話 はじまり

 自由貿易都市に着いてしばらくが経った。

 オレもロゼッタも冒険者として活動を再開している。


 ロゼッタは護衛依頼を中心に請けるため都市から離れることが多く、逆にオレは体力がないので都市周辺の依頼ばかりを請けている。


 とはいえ、ロゼッタと顔を会わせる機会は減っていないように感じる。

 その理由は、たぶんオレが家を購入したからだろう。ロゼッタはオレの家の一部屋を自室にしているのだ。


 まあ家と言っても決して豪邸などではない。むしろボロ屋だ。

 自由貿易都市の中心街から離れた端っこにある古い家が、今のオレの拠点となっている。

 オレでも買えるくらいの値段で、広い庭があることが決め手だった。


 ちなみに家を購入しようと思ったのは、魔道具の実験場所が近くになかったからだ。


 開発する魔道具には武器として使用する物もあるため、町中で実験はしたくない。ならば都市の外で、と思っても、都市の外には農場が広範囲に造られている。

 農場のさらに向こうまで行くとなると、距離が遠すぎて気軽に実験ができない。


 そんな訳で、苦情を気にしなくていい都市の端に家を買うことにした。

 これでとうとう幻影王銀狐の素材代は使い切ってしまったが……まあ、自由に弄れる拠点があるというのは非常に楽しいものだ。


 金を稼いでは家を補修するというのが、オレの最近の日常となっている。


 あと変わったことと言えば、副業で魔道具を売り始めたことだろうか。

 自由貿易都市の名の通り、税さえ収めていればこの都市は商売に寛容だ。余所者のオレであっても自由市などで簡単に物を売ることができる。


 市場に流すのは本業の職人に睨まれない程度の量だが、それでも馬鹿にできない金額を稼げるようになっている。


 元々は戦闘の武器として手を付けた魔道具造りではあるけれど、生活に役立つ品を開発するのも意外と楽しいことに最近気が付いた。


 小型でありながら効果は大きく、消耗は少なく。効率を最大化する整然とした魔術式の組み合わせを考えていると、時間はあっという間に流れてしまう。

 集中を解いて顔を上げたら外が暗かった、なんてことも珍しくないくらいだ。


 今日もそんな感じだった。最近流行りの空調の魔道具を自分なりに作り上げ、ふと気づくと昼を大きく過ぎていた。


 朝は軽く食べただけだったので、胃が空腹に悲しそうに軋んでいる。


「なんか食べるか」


 ん~! と伸びをして立ち上がる。

 凝った肩を回しながら台所を目指した。さて、食材は何があったかな。


 直したばかりでまだ木の香りが強い台所へと入る。自作の魔道具コンロやオーブンが並ぶお気に入りの場所だ。


 ……まあ、自分一人のときにはあまり使っていないけれど。


 手の込んだ料理を作るのはロゼッタがいるときくらいだ。一緒に食べてくれる人がいないと、好きな料理もあんまりやる気が出ない。


「ええと、確かパンの買い置きがあったはずだけど……おっと、カチカチだ」


 丸いパンを指で弾くと硬い音がした。すっかり乾燥して硬くなっている。買ったのはいつだっけ……一昨日?


「丸かじりは厳しい……削って今日の夕食はシチューにでもするかな……」


 夕食は決まったが今は遅い昼食だ。手軽そうな食材を物色する。


「んー、あるのは芋と卵……面倒だし両方茹でるか」


 手鍋を2つ用意して水を張り、火にかける。片方の鍋に卵を2つ投入。芋も土を落としてそのまま入れた。

 芋は皮を剥きながら食べればいいや。


 くつくつと沸騰を始めた2つの鍋をぼうっと見る。さっきまで作っていた魔術式の改善策を考えていると、芋と卵が煮えるのはすぐだった。


 芋を皿に上げ、卵は水にさらして冷やしてから同じ皿に載せた。その皿を片手で持ち、逆の手で殻入れの器と塩の瓶を掴んでテーブルに移動する。


 席に着き、両手を合わせる。


「いただきます、と。――あちち」


 また湯気を立てる芋の皮を爪で摘まむように剥ぎ、塩を軽く振る。息を吹きかけてから一口。


「うん、いける」


 芋を咀嚼しながら卵の殻を剥いていく。水で軽く冷ましたが、こちらもまだ熱い。

 我慢して殻を取り除き、つるりとした白身に塩を振った。こっちも一口。


「んー、ハードボイルド固ゆで。お茶でも沸かしておけば良かったなあ」


 黄身でむせそう。

 でも今さら立ち上がるのも面倒だ。ゆっくり噛めばいいか。


 もそもそと芋と卵をむ。素材と塩だけの遅い昼食。ふと、目の前の食事に一切の彩りがないことに気が付いた。


 だからだろうか。無意識に、口から願望が零れ出たのは。


「――白いご飯が食べたないなあ……」


 言って、自分の言葉に驚いた。


 確かに、その通りだ。この世界に来る前まで、オレの食事は実に日本的だった。白いご飯――お米は毎日食卓に当たり前にある主食だった。

 覚えている限り、お米を食べなかった日はない。


 それなのに、もうずっとお米を食べていない。……分かっている。この世界に来てから時間は経つが、一度もお米らしき物を見たことがない。


 異なる世界で、同じ植物があることの方が奇跡だと、冷静なオレは理解している。だからだろう。オレは無意識のうちに考えることを避けていたのだと思う。


 ふいに泣きたい気分になった。お米の味を思い出そうとすると、一緒に故郷の記憶も蘇る。

 たぶん帰れない故郷の記憶は、もうずいぶんと朧気になっていた。


 視界が歪む。だけど同時に、願いが一つ形になった。


 両手で芋と卵を手に取る。

 そのまま「はぐっ」と口に詰め込んだ。


 頬をいっぱいに膨らませて、無理やりに噛み砕く。当然のようにむせた。それでも勢いよく飲み込む。


「ごほっ、えほっ、はあ――よし!!」


 テーブルに両手を打ち付けて立ち上がる。


「決めた。探しに行こう」


 何を? 当然、お米を、だ。


 歩き出す。やる気が出なかったのも当然だ。やっぱりお米を食べなきゃ力は出ない。


 20年近く、どんな日だって当たり前のように食べてきた。それが日常だった。

 オレの体はオレが食べた物で出来ている。だから、今のオレがあるのはお米のおかげなのだ。


 今さら、違う世界に来た程度の出来事で、それを忘れることはできない。


 探しに行こう。うん。オレはお米が食べたい。


 シンプルに塩むすびが食べたい。

  生姜焼きで山盛りご飯を頬張りたい。

   丼物でご飯と具を豪快に掻き込みたい。

    行儀悪く卵かけご飯をすすりたい。カレーライスも今なら飲める。


 ――漬物と味噌汁と白いご飯があれば、どんなご馳走もいらない。


「ああ、お腹が空いてきた」


 自然と笑みが浮かぶ。


 この世界の誰にも分からないだろう願いを胸に、オレは行動を開始する。

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ある爆弾魔の放浪記 善鬼 @rice-love

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