クソゴミ底辺小説の逆襲

ぶるすぷ

第1話

 ある日ネットで小説を読んでいた時。

 何の前触れもなく「小説が書きたい」という衝動に襲われました。


 それはもう耐え難いほどの衝動でした。


 どれくらいかというと、蚊に刺された場所を掻いてはいけないと理解しているのにも関わらず、思わず掻いてしまう時と同じぐらいです。

 意外と大したことないですね。


 とにかく、僕は小説が書きたくて仕方がなくなりました。

 書かなければ死んでしまう。直感的にそう思いました。


 それで、僕はネットで調べながら小説を書き始めました。

 それが僕の小説人生のはじまりです。



 それから三年ほど経ち。


 僕は成長しました。


 文法を守って書けます。

 素早く執筆できます。

 変な記号やネットスラングを使わない意識を持って書けます。


 ちゃんとプロットも作るし、人称も統一しています。

 書き始めた頃と比べると、僕は確実に成長していると言えるでしょう。


 さて、勇者が聖剣を手にするように、『文法』という大きな自信を手に入れた僕は、満を持して小説の執筆に取り掛かるのですが……。


 おかしい。


 書いた小説を読んでみると、どこか機械的で、固くて、平凡です。

 山も谷もなくて、ずっと一定のリズムで、はっきり言ってつまらないのです。


 あれ? 成長したはずでは?

 僕実は成長してなかった? いやいや、ここに武器あるし。『文法』って成長の証が僕にはあるから。


 でも面白くない。

 本当に。びっくりするくらいにつまんない。


 文法は合ってるはずなのに。完璧なはずなのに。


 成長した僕が書いた小説は、全然、これっぽっちも魅力的ではありませんでした。 


 もしかして──才能が無い?


 気づいてしまいました。

 僕には才能が無いらしいです。

 これは大変な事件です。一大事です。テレビを付けたら「速報」とか「悲報」のタグ付きで流れてくるでしょう。「速報 自称小説家、実は凡人」みたいな。


 そんなはずは! と焦ってたくさん文章を書きまくるのですが、その全てが絶望的に面白くありませんでした。

 書けば書くほど傷が広がりました。


 そして最後に残されたのは、僕の成長の証である『文法』が守られた、平凡でつまらない小説だけでした。


 ああ、終わった。

 もうやだ。

 小説なんてやめだ!


 積み上げてきた何かを全部放り出して、僕はキーボードを叩く指を止めました。


 心の中の炎が燃え尽きたような気がして、僕は無駄に苦いコーヒーを飲みながら、午後五時半の夕日を眺め、たそがれてました。


 そんな時、ふと目についたものがありました。

 それは僕が小説を書きはじめて間もない頃、思うがままに執筆していた作品です。

 文法なんて一ミリも知らない頃の自分が書いた、黒歴史とも呼べる底辺小説です。


 普段は自分が書いた小説を読み返すことは無い僕です。

 しかしその時は、とにかく自分が成長していることを──昔よりも小説を書くのが上手くなっていることを証明したくて読み返しました。


 すぐに僕は笑いました。

 自分の作品の愚かさ、幼稚さに苦笑を堪えられませんでした。


 文法が守れていない。一人称と三人称が混ざってる。

 三点リーダー・ダッシュ・感嘆符・疑問符。なんて無駄な記号の多い文章でしょうか。

 一部の人にしか伝わらないネットスラングまで入ってる始末です。


 自分がこんな作品を書いたのかとびっくりするくらいに、間違っている箇所が浮かび上がってきます。


 文章がひたすら幼稚でした。これを小説と言っていいのか怪しいくらいに。


 もはやなんと言っていいのか分からない。

 修正? いやいや、そんなこと言ったら全部書き直さなきゃならない。


 ひどい小説だ。

 こんなもの一笑に付して終わりだよ。


 読み始めた最初はそう思っていました。


 けれど、なぜでしょうか。

 不思議と読み進める手が止まりませんでした。


 読んでいくうちに、どんどんと引き込まれていくのです。


 小説の世界というべきものなのでしょうか。

 それが躍動して、自由奔放に動き回って、読んでいる僕さえもその中に巻き込まれ、その世界に惹きつけられました。


 気づけば僕は最後まで読み切っていました。

 あっという間でした。


 読んだ後、僕は思いました。


 最初から最後まで、文法が全然なってない。


 一部の人にしか伝わらないネタが多いし、人称もちゃんと統一できていません。

 『文法』という視点から見ると、評価に値しないクソゴミ底辺小説です。


 しかし鮮やかでした。


 書きたいことが書かれている。楽しんで書いている。小説を書いている本人が、その時その瞬間に誰よりも楽しんでいる。

 読んでいてそれが伝わってきました。


 とにかく楽しく。読んでいて笑顔になれるようにしよう。そういう思いがひしひしと伝わってきて、否応なしに心が動かされました。


 実際、文法を知った後に書いた小説よりも、底辺小説だと思っていたそれの方が評価されていました。

 もはや疑う余地などありません。


 これこそが、本物の小説でした。



 僕は成長しました。


 文法を守って書けます。

 素早く執筆できます。

 変な記号やネットスラングを使わない意識を持って書けます。


 けれど気づかないうちに失っていたようです。


 楽しむ。楽しませる。

 そんな心を動かそうという気持ちが、文法というルールにこだわるあまり抜け落ちていたようです。


 その時初めて僕は気づきました。

 文法なんて小説のほんの一部分でしかなくて、その外には自由で広大な青空が──小説の世界が無限に広がっているということに。




 今でも小説を読んでいて思うことがあります。


 文法が守られていない。

 表現が幼稚すぎる。

 文章の意味がわからない。


 こんな作品でよく投稿できるよなあ、なんて、もはや気分はコンテストの審査員です。辛口コメントを内心に控えつつ、くだらない作品をダラダラと読み進めていきます。


 けれど僕はもう知っているのです。


 文法なんて関係ない。

 表現なんて関係ない。


 本当に大事なのは、心揺すぶる何かがあるかどうか。

 純粋な思いを込めて綴られた『本物の小説』なのかということ。


 文法を見ただけでは本当の良さは分からないのです。


 だから僕は読み続けます。


 クソゴミ底辺小説と思わしき作品達からの、大いなる逆襲を期待して。

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