第二十一幕 晴れない霧を抱えながら

「ネモ。」

自分を呼ぶ声が聞こえる。


「ネモ。」

聞き慣れない女性の声だ。

だが懐かしい声だ。


「あなたの名前はネモよ。」

それは知っている。

自分の名前はネモだ。


体は何かに持ち上げられるように急に浮力を得たような感覚がした。

自分の体は見えない。

まるで霧の中だ。

体は感じられるが目に見えない。

目はどこだろか?分からない。

自分はネモ。ネモは何?

分からない。


ただ自分は何かに包まれていて、そして持ち上げられた。


「ネモ。」

自分を呼ぶ声が自分の中に響き渡る度に自分の認識の霧が晴れていくような気がする。

急に自分は浮力を失い、地に足をつけて立っている。

体は今のままだ。

自分の名前はネモ。ネモ・ホフマンだ。


「ネモ。」

声のする方に目を向けると人影のようなものが見えた。

霧は次第に晴れて人影が具体的な像を描いていく。


「ネモ。□□□□□。」

再び目の前は霧に包まれて、自分は再び何もかも見失ってしまった。



目を覚ますといきなり耳に飛び込んで来たのは無数の足音だった。

部屋は真っ暗だが足音は慌ただしく響き渡っている。

急いでいるものやまだ寝ぼけているのか足音がおぼつかないものまで足音は様々だ。


次に目に映ったのは寝ているアニマの顔だった。

どうやら彼女はあの後自分の寝台で眠っていたらしい。

アニマは寝息を静かに立てながら眠っていた。

自分はアニマを起こさないように静かに体を起こした。

自分では精霊灯が点けられないのでどうしたものかと考えた。


「んん。う~ん。」

アニマは小さいうめき声を上げ、体を仰向けに向けた。


「ん・・・。あれ・・・ネモ。」

ネモはゆっくりと目を開け、自分に気付いた。


「おはようアニマ。」

「おはようございます・・・。」

彼女は体を起こした。

目覚めたばかりでまだぼんやりとしているようだ。


「あなたの寝台で眠ってしまいました。すいません。」

「いや別に構わないさ。それより・・・昨日は助かったよ。ありがとう。」

「どういたしまして。」

彼女は微笑んだ。


「ネモ、アニマ起きているか?」

扉を叩く音がした後にヨーゼフの声が聞こえた。


「ああ、起きてるよ。」

「そうか。一緒に食事をしよう。準備ができ次第出てくるといい。他の連中と入口で待っている。」

「分かったよ。ヨーゼフさん。」

「ありがとうございます。ヨーゼフさん。」


二人で荷物をまとめて部屋を後にした。

入口にはヨーゼフと三人の渡り狼が待っていた。

すると三人が自分たちを囲んだ。

三人の顔は何かを知りたそうな顔やにやけている顔様々だ。


「ネモ。夜はお愉しみだったか?」

「は?」

「アニマに手を出したっかっていうことだよ。」

「手を出す?」

「何ですかそれは?」

二人して首を傾げた。


「三人とも目覚めの刻にする話ではないだろう。酒場にヘッツェナウアーを待たせてある。そこで食事を取ろう。」


酒場に辿り着くとヘッツェナウアーが先に椅子に座って待っていた。

そして昨日の面子が揃った。

しかしその面子に新しく昨日の二人の女性がいた。


「あら。ネモ。」

「ああ。」

彼女は普通に挨拶をしたつもりだが自分は顔を逸らしてぶっきらぼうに返事した。

せっかく昨日のことを忘れかけていたのにまた思い出してしまった。


そして全員席につき、九人で食事を取った。


「ネモ。あんたは食べないの。」

「食べられないよ。それに食事は必要無い。」

「そうなのあんたの体って不思議ね。ところで宿屋で泊まったと聞いたけどあんた寝るの?」

「寝るよ。」

「そうなのね。」

彼女の質問に淡々と答えていった。


彼女の隣には昨日のもう一人の女性が座っており、静かに食事を取っていた。

彼女に視線を向けると彼女も自分の方を見て、視線が合ってしまった。

彼女はすぐに視線を下に落として食事に戻った。

自分もすぐに彼女から視線を外した。


その彼女の隣にヘッツェナウアーが座っており、静かに食事を取っていた。

昨日の今日で大人しくなり過ぎたヘッツェナウアーに少しだけ違和感を感じた。

大人しいというよりかはやつれているようだった。


「そういえばヘッツェナウアーは二人の家に行ったって聞いたけど何してたんだよ?」

昨日の事を質問してみた。


「すごかった・・・。」

意味不明な返答が返ってきた。


「何がすごかったんだよ?」

重ねて質問すると何故か隣の女の子が顔が赤くなり、耳まで真っ赤になった。


「忘れられないくらいすごかったでしょう?」

その隣の女性が何故か勝ち誇ったような顔をしていた。


「ああ・・・すごかったさ・・・。」

ヘッツェナウアーはどこか上の空だった。


「んん、ごほん。」

ヨーゼフが咳払いをした。


「ネモ。これからどうするつもりなんだ?」

「ん?ああ、これから昨日買った精霊結晶を換金して燃料とか準備を整えたら出発するよ。」

「ゆっくりしていってもいいと思うが?」

「いや長くいると親父に会っちまうかもしれないからもう行くことにする。」

「そうか。」


しばらくは食事を取りながら、会話を続けた。

それは今日の予定だったり、明日の予定だったり、天気のことだったり様々だ。

食事を終え、酒場を後にした。


「ねぇあんた。」

後ろから声を振り返るとそこにはさっきの女性がいた。


「あんたは外に出る必要はあるの?」

昨日と同じ問いがまた繰り返された。


まだ答えは出ない。

だが今在る自分の理由を伝えることにした。


「あるさ。アニマを月都を送る必要がある。それは親父に頼まれたことだ。」

「ホント?」

「本当さ。」

まっすぐ彼女の目を見つめた。


「行ってしまうのね。だったら約束しなさい。月都に彼女を送ったら必ず無事に帰ってきなさいよ。」

「分かったよ。」

「でも残念ね。あなたの作った野菜、村では評判良いのよ。それでも行くのね。」

「ああ。」

「そう。じゃあ気を付けていってらっしゃい。」

「なあ。」

「何よ。」

「あんたの名前何なんだよ?」

「言ってなかったかしら?ハンナよ。」

「そうかじゃあな。ハンナさん。」

ハンナに背を向け、その場を後にした。


そして精霊結晶を換金して、燃料と次の旅に必要なものをある程度整えた。

自分の鉄馬を拾って、村の出口まで来た。

すると出口に待っていたのはヨーゼフと他の渡り狼だった。


「ヨーゼフさん、それに他のみんなもありがとう。」

「いいや構わないさネモ。私も君に会えて良かった。」

「そうだネモ。またどっかで会おうぜ。」

「くたばんなよネモ。」

「アニマちゃんを守り切れよ。ネモ。」

各々別れの台詞を口にした。


「ヨーゼフさん。それに他の皆さんもありがとうございました。」

「ああ、アニマもまた会おう。」

アニマも他のみんなに別れを告げた。


自分は鉄馬に乗り、鉄馬を起動させた。

鉄馬は軽快な音で唸りを上げて、出発を今か今かと待ちわびている。

アニマは自分の後ろに乗り込んだ。

そして精霊を出して鉄馬の精霊灯を点けた。


「しばしの別れだ。ネモ、アニマ。」

「なぁヨーゼフさん。最後に一ついいか?」

「何だね?」

「もしさ旅を続けたら、自分の恐いとかそういう気持ちとか無くなるかな?」


ヨーゼフはその質問に少しだけ考えてそして答えを出した。

「残念だが恐れの感情を失くすことはできない。」

「そう・・・なのか・・・。そうだよな・・・。」

「恐怖の感情は誰にでも持ち合わせているものだ。だが恐怖と勇敢は相対するものじゃない。これからの自分の恐怖が隠れるほど勇敢になればいい。」

「できるかな?」

「さぁ私には分からない。あくまで君を勇敢にできるかどうかそれを決めるのは君自身だ。」


ヨーゼフはそう言うと自分の肩を叩いた。


「さぁ行くんだネモ。またどこかで会おう。」

「ああ、分かったよ。じゃあなヨーゼフさん。」


鉄馬は激しく唸りを上げ、足の二つの車輪は元気よく回りだした。

そして村の入口は一気に遠ざかり、再び、僅かな灯りと星灯りの夜の広がる世界を進んでいった。


第二十一幕 晴れない霧を抱えながら 完








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