4.口裂け女について

 口裂け女という《都市伝説》、《怪異》が存在する。

 少なくとも、人々の間を行き交う言葉の中では。

 口裂け女は1979年の春から夏にかけて日本で流布されて、社会問題まで発展した都市伝説で、身長は長身。ゆうに二メートルを超えていて、学校帰りに子供に「私キレイ?」と聞いてまわり、それに「きれい」と答えると「これでもキレイか!」と裂けた口を見せてきて包丁とか鎌とかハサミとかを使って答えた人の口を斬って裂く。

 私は全然世代じゃないし正直古さすら感じてしまうのだけど、都市伝説では定番で、インターネットが流行った現代においても、何かを心の中に引き起こすある種の神性がある。

 口裂け女のルーツとしては農民一揆の後に処刑された農民たちの怨念が口裂け女に化けたという話もあれば、整形手術だとか医療ミスで顔を傷つけられて精神をおかしくしてしまった女性という話もあって、果ては噂の広がりかたを検証するためのCIA……という説もあって結局バラバラだ。

 ルーツはきっとどうでもいいんだろう。

 でも、人々の間で口裂け女という存在は普遍的な恐怖だとか魅力のようなものを伴って消えず、滅びないでそこに残る。

「連続通り魔事件が多発。口裂け女の噂で持ちきりだそうですよぉ。このあたり」

「知っています。というか目撃者、いたんですね。ネットレベルの情報だと噂しかなかったんで」

「公安でうまく調整してますぅ。撮影された映像とかが出て変に信憑性上がったら厄介ですからぁ」

「なるほど」

「久遠さん、口裂け女とか怖くないですかぁ」

「あんまりですね。いや、遭遇したら怖いかもですけど」

「怖くないんですかぁ?」

「《怪異》全般、いるかもってわかると返って怖いとはまた違う尺度になる気がするんですよ」

 怖いというのは未知であることと関係がある。

 理解できない、道理が通用しない、自分の持つ尺度と完全に異なっているということ。何も理解出来ない存在であるということ。それが恐怖を形作る、と私は思う。

 《怪異》として口裂け女を考えた時に、私はどうしてもどうやって打ち倒すかとか、逃げ切れるのか、とかそんなことばかり考えてしまって死や痛みを超えた根源的な恐怖とうまく結びつかない。

「まぁ、そういう話なら私は越後屋さんの方が怖いですけど……」

「何か言いましたぁ?」

「いえ!なんでも!」

 小声のぼやきにまで反応されてついつい背筋が伸びる。

「でも頼もしい限りです。さすが《瞳》を持っている《言葉師》です」

 越後屋さんの声のトーンが少し静かになる。

 一瞬、さっきのぼやきが気に触ったかなと思うがすぐに考え直す。この人は、そういった個人的な感傷で気分を変える人ではない。

 この人が真面目になる時、それはただ一つ。彼女の領分である時だけだ。

 越後屋さんが語る。

「このあたり一帯はここのところ起きている連続通り魔殺人の現場でもあるのです」

 新王町連続口裂け女通り魔殺人事件。

 約1週間の周期で女性が口を裂かれて死亡している事件。

「ここに来るまでで資料で読みましたよ。口裂け女の仕業だってネットニュースで話題っていう」

「ええ、ええ。そうなんですよ」

「あと、SNSとかで話題みたんですけど、今回あまり口裂け女の実在を誰も信じてないみたいなんですけど」

「存じていますぅ」

「でも、対怪異二課が動くんですよね」

 《信じること》が重要であるのなら、SNSでの今回の事件は《口裂け女という怪異》はあまり信じられていないのではないかと思う。誰もが未解決事件と今の事件の点と点をつなぎ、尾鰭がついた話として想定しているようですらある。

 都市伝説は確かに《信じること》として《怪異》へと確立しやすい。だが、同時に以前よりもはるかに信憑性の落ちた存在でもある。そしてそれは、存在の確立を揺らがせる理由でもある。

 でも、それでもなお越後屋さんはここにいる。

「対怪異二課が動くということは、越後屋さん。実際に口裂け女はいるんですね?」

 今この街で起きている事件は確かに凄惨な事件だ。

 人が殺されている事件だ。人が惨たらしく、理不尽な死を与えられる事件だ。

 でも、ただ人が死ぬというだけで対怪異二課は決して動かない。

 師匠曰く、対怪異二課は世界が滅びてもただの事件ならば動かない。

 師匠曰く、対怪異二課は《怪異》と《異能》の事件ならばどんな些細な事件でも察知する。

 それが公安対怪異二課。どんなに悲惨な事件について語っていても、越後屋さん——彼女たちの目的はその事件の解決そのものではない。

「ええ、いるのでしょうね。おそらく。単純な集団の信仰だけではない何か。《核》のような《信じるもの》によって。ええ、ええ、いるんでしょうねぇ。口裂け女さんは」

 一筋の風が、越後屋さんのつけた香水の甘い匂いと共に私たちの間を通り抜ける。

「だってもうすぐそこにいますから。口裂け女さん」

 甘い匂いを突き抜けるような悲鳴が、辺りから聞こえる。

「久遠さん……この感覚、おかしい、です……」

 榎音未さんが地面にへたり込む。榎音未さんの感覚のアラートを私たちは一瞬遅れて察知する。

 世界の空気が全て濁って淀んだような感覚。異なる世界が混ざり合ったかのような歪み。私たちの立つ場所からほんの少し先に世界の歪みがあると手に取るようにわかる。

 それまでは暑かったはずの気温が冷たくなったような気がする。じわりと滲んでいた汗が冷たい心地にすらなる。

 まずい、この感覚はまずい。

 私の経験が警告を発する。鮫神とは違う。

 この《怪異》はただデタラメに顕現したものではない。一定の志向性を持って明確な意思を持って生まれてきたものだ。

 私は義眼を外してすかさず《瞳》を駆動させる。私はそれを介してこの世界を構成して、そこに存在する言葉を見る。

 世界は言葉で出来ている。

 友好、敵対、無関心、空気の流れ、意識の流れ、時間の流れ、何かがそこにあって消えていくと言うこと。そんなありとあらゆる事象を構成する言葉。

 物はいいようというのはよく言ったもので、ありとあらゆる現象は無数の言葉で表せる。

 私の《瞳》はそんなあり得たかもしれない《言葉》を全て見てしまう——というのは師匠の談だ。

 《瞳》が疼いて、熱を持つ。私の存在しない右の眼球を介して視神経へ伝わり脳が焼き切れるような感覚を覚える。

 世界を構成する情報量が、言葉となって私の内側へと入り込んでくる。情報の濁流。世界が急に爆発的に膨張したかのよう。どこまでも拡散して、追いきれない。読みきれない。理解を超えるような感覚。

 いや、違う。

 世界は元からこんなに捉えきれないものであるというだけだ。そんな当たり前の、誰でも知っていることに改めて気づき直すだけだ。

 それでも、私は壊れない。壊れないことを知っている。それは私が《言葉師》だから。私がこの《瞳》を持つ者だから。


 そして私は《視る》そこに残る残穢を。


 この一帯を、幾度となく行き来した《怪異》の痕跡。不可思議な現象が起きたという残像、それを信じられぬ人々の混乱と葛藤、死に至った事件被害者の絶望と恐怖。

 同時に私は疑問に思う。ただの不条理への恐怖ではない。

 《怪異》と遭遇したら、不可思議な現象への恐怖が残る。私の《怪異》の痕跡だけでなく、そこにいた人々の感情ですら言葉として《視る》。

 でも、ここに残るのはただ《怪異》と遭遇した時の感情だけじゃない。

 もっと、他の何か。

 違和感。私の《言葉師》としての経験に基づく勘。

 私はその感覚について信じること/信じないことを並行して行う。

 まだ自分の中の答えを見出すには早すぎる。

 でも、これだけはわかる。

「辿ります。見つけます。見つけられます。この先に《怪異》は存在する」

「ええ、そうでしょう。だから貴方に頼んだのです」

 越後屋さんの言葉を受けて私は走り出す。

 残穢が示す先にあるのは強い恐怖と絶望。この世に存在しないかのような何かに出会ってしまった衝撃の感情。

 でも、聞こえる悲鳴は常人のそれ。

 私は目を背けずに進まなくてはいけない。

 世界を明かすにはまだ私は何も見ていなさすぎる。

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