茜さす

七芝夕雨

茜さす

 日がな一日、年を取る。


 秋の夕暮れに目を向けていると、ふとそんな一節が思い浮かんだ。呼吸する度、心臓が拍打つ度、どこかの細胞が死んでいく。


 自覚したことなんてないけれど、少なくとも死ぬための人生なのだから、それは普遍的でなければならない。人類が平等と言うなら、尚のこと。


「……紅葉が見たい」


 ぽつりと零した言葉に、ベッド脇で読書をしていた青年が反応した。彼はよく、耳が動く。長年観察してきて分かった、自分だけが知る癖。


「もう秋だもんな。この辺はまだだけど、行楽地だったら見れるかも」


「まぁ、どうせ見れないのがオチだろうけど」


「先生に聴かなきゃ分からないだろ。その諦め癖、いい加減直せよ」


 なんて、呆れたように青年は言うが、その声は哀調を帯びていた。なんてことのない、むしろ少女を励ますための言葉だろうが、聞き飽きた“希望”は、もう胸には響かない。


 青年から窓へ再び目線を移すと、外にはマフラーを付けた子供が楽しそうに駆け回っていた。院内は一定の温度に保たれているので、自然の温度というものを久しく感じていない。


 思えば傷も増えたものだと、少女は腹部に手を当てた。


「で、なんで急に?」


「急に、とは」


「紅葉のことだよ」


 そう言って、青年は本を閉じる。この話題に興味を持ったようで、椅子も近付けてきた。だとしたら、かなりの暇を持て余していたのだろう。こんな空想話に花を咲かせたところで、彼にとっては何の得にもならないというのに。


 青年の顔から目を逸らしつつ、「別に」と少女は言葉を続ける。


「紅葉の秋って言うじゃない」


「お前、妙に季節感あるよな」


「入院続きだと楽しみが少ないからね」


「あと、なんかババくさい」


「黙らっしゃい」


 まだ14の乙女に、なんてことを。

 とんだ悪魔だと少女は睨みを利かせるが、青年はくつくつと笑うだけで反省する素振りを見せない。


 だから少女も般若の形相から一転、心安らぐ笑顔へと表情を変える。


「そんなことより、彼女さんとは紅葉、もう見に行ったの?」


「……」


 一瞬にして、青年の顔から余裕の色が消える。彼が女性に奥手なのは昔から分かっていたことだ。それに関しては彼も自覚はあるようで、今逃したら婚期はないと前々から口にしていた。……それから、今付き合っている人がどんな人なのか、ということも。


 引きつらせた笑みを浮かべ、青年は少女を見る。それでも青年が言うより先に、少女の方が言葉を続ける。


「どうせ、ろくにデートもしてないんでしょ。私のところに来る暇があったら、会わなきゃ損だよ」


「……いっちょ前に、ガキが」


「人の恋愛に口出しすんな」そう言って青年は肩を落とした。言動と行動が一致していないが、何かあったのだろうか。


「まさか、もう別れたとか」


「ちげぇよ。まだ続いてる」


「まだ」


 引っかかる言い方だったが、一応続いているのか。それはとても複雑なことだと、少女は思う。思うだけで口には出さないけれど。


 頬を膨らます青年に可愛げも何もないのだが、その表情に少女は少しだけ笑みを浮かべた。大嫌いなこの世界に一つだけ賞賛を送るとするなら、この人が生まれたことだろう。


 そして、大嫌いなこの世界を、自分の命と引き換えに呪うとするなら。


「妹としては、お兄ちゃんの行く末が心配なんだよ」


「俺も、お前に彼氏ができるか心配だよ」


 この人と、血の繋がりがあったことだろう。


 そう言って頭を撫でる手は、とても優しい。


 血縁関係にある以上、彼の隣に少女は居座れない。だから今、病院のベッドで寝ている自分は、とても幸せ者なのだろう。こうして、好きな人が見舞いに来てくれるのだから。


 いずれ消えるこの命が、世界を呪うなら。彼の隣で笑う誰かを、不幸にするのだろうか。


 ――それじゃあ、この人も悲しんでしまう。


 それでは駄目だ。好きな人には笑っていてほしい。そもそも世界ごと呪ってしまえば、兄自身に災厄が降りかかるかもしれない。ならば。


「結婚式には呼んでね、お兄ちゃん」


「ああ、クソガキ。お前の病気が全部治ったあとでな」


 ならば、こんな世界に生まれてきた自分を呪って恨んで、死ぬほど嫌った世界の幸せを焼き付けながら死んでいこう。


 気付けば窓の外は茜色で満ちていて、世界を赤く染め上げていた。紅葉とはよく言ったものだと、少女は小さく目を伏せる。

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