別れる
孤独星の正体は、新たに観測された惑星だった。
孤独星を「壊す」と決めていた彩子と沙耶は、メールにて彩子の通う予定だった大学に観測時期、場所、方角、を正確に記録しレポートにまとめて提出した。その結果、大発見だと教授に太鼓判を押してもらった。彩子がその結果を受けるのはキャンパスに足を運んでからだ。大学に入ってからの人間関係にはあまり期待を寄せてはいない彩子にとって、一つでも楽しみができるということは、学習に対する大きなモチベーションにつながっていった。
沙耶はその後、一週間もしないうちに夢に向かって旅立っていった。後輩が沙耶と彩子を送り出す前に、行ってしまったのだ。元来の予定よりかなり早い出発だったのだと、その時彩子は沙耶の両親から初めて聞いた。慌てて聞きつけた彩子が急いで駅に着いたときには、無慈悲にも電車は遠くに行ってしまっていた。彩子が最後に見た沙耶は孤独星を壊したあの日の、星空の下で紺色の煌めきを乱反射させた姿だった。
今日はその研究成果を受け取りに行く日、つまり大学の初めての登校日だった。沙耶が旅立ったあの日から、彩子は全くと行っていいほど空を見ることがなくなった。青空も、夜空も含めて見なくなってしまった。忙しくなるというのはこういうことなのか。大人になるということは、選択肢を増やす代わりに視野を狭め余裕を消費するということなのだと彩子は感じていた(しかし大人になることが嫌というわけではない。子供のまま足踏みをしていても何もできないということを彩子は知っていたからだ)。
彩子の目の前に沙耶のいない世界でも、世界は案外いつも通りに回っていた。人は普段のとおりに会話を弾ませ、蟻は働き、彩子の母は鼻歌を歌いながら掃除機をかけて、小鳥は普通に囀りを響かせる。沙耶のような、一人の人間がいなくなったって地球が滅びるわけではないし、孤独星が二人だけのものではなくなったって宇宙がなくなってしまうわけではない。ただ、空には「二人だけの宝物」の孤独星がなくなり、沙耶が隣からいなくなっただけだ。自分の心の穴がぽっかり空いただけだった。死んでもない相手にこんな感情になるなんて、可笑しいだろうか。と彩子は沙耶がいなくなってからずっと思い続けていた。
後から彩子はこう思った。自分は沙耶に恋にも似た「何か」を持っていたのかもしれない。しかしそれは恋に似た「何か」に過ぎなくて、恋そのものでもなければ彩子の知っている感情の語句の中には自分の感情を言い表せるものは何もなかった。もしかしたら、なにか大事な大きなものを抱えているつもりだったけれど本当に何もなかったのかもしれない。それでも彩子の心のなかには、その「何か」が残っていたという実感は確かに残っていたのだ。
彩子は、孤独星を呼ぶように空を見上げた。けれど、孤独星は見えなかった。そもそも夜空をこうまじまじと見ること自体が久しく夜空のどこに、何が浮かんでいるかも見当がつかなかった。ただただ見つめたまま、その場に立ち尽くした。
「あ、流れ星」
一筋流れ始めると、それに続くように数多くの星々が右から左へと流れていった。たまたま夜空を見た日に、たまたま流れ星が流れるだなんてなんて運のいいことなのだろうか。この後に不運でも訪れるのではないのかと、彩子は思った。
流れ星を見て彩子は、あの日のけじめを思い出した。山と田舎の空気、ハッカの飴の味、望遠鏡のスコープ、駄菓子が入った袋、古ぼけた駅、駄菓子屋がある坂道、二人で飲んだ―――
「あ」
ラムネの味。沙耶の上下する喉。それを思い出して、やっと彩子も思い出した。
「ラムネのお金、返してもらってない」
沙耶が予定より早い出発だったため、有耶無耶になってしまったあのワンコイン。本来彩子は沙耶が出発する日に請求しようと思っていたのだ。あまりにも急だったし、孤独星の件があまりにも衝撃だったので、すっかり忘れてしまっていた。
「願い事、できちゃった」
あの日の百円が帰ってくる日が来ることを、彩子は今日とかの日の流れ星に祈った。
孤独星をぶっ壊せ! 橙野 唄兎 @utausagi
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