1.残夏の果て
残夏の果て/1
どこかのだれかが、今日はきっと多くの子どもたちが死ぬだろうと予言していた。
きっと誰かが屋上から身を投げて、きっと誰かが頸の骨を一息に折って、きっと誰かが睡眠薬でずっと眠ろうとする。何人かは失敗して死にきれないのだろうけれど、何人かはきっと、願い通りに。
暑苦しい朝だった。電車は早くも止まっていた。厳しい照り返しに辟易としながらしゃがみ込むと、黒く肥った蟻が虫か何かの切れ端を口で引っ張っていた。誰もが汗をぬぐって、スマートフォンで気を紛らわせて、水滴がいっぱいについたスポーツドリンクをあおって。蝉の鳴き声こそしなくなった。
それでもここに蝉はいる、きっと、この立ち並んだひとたちのなかにも、一人くらいは。夏の一時にしか生きられずに、秋に成れば死ぬ蝉がいる。
大勢の中のたったひとりに過ぎないのにね。ここに立っていれば、その事実は否応なく、私に突きつけられる。
この電車、止めてやろうか。
始業式の時間はとっくに過ぎていた。でも遅刻にはならない。だってXXXX線で人身事故だもの。遅延証明書をもらうまでも無く、私以外にも大勢が遅刻する。ごっそりと歯抜けになった見知った顔の共通点を考えれば、すぐにでもXXXX線が遅れているのだと思い至る。
人身事故って何でしょうね。
事故。
その二文字に隠された真意。もう一度止めてしまえば、また事故が起きる。事故。事故。二連続で止められてはもう学校にも行けやしない。そうでしょう、誰か、誰かその贄になりなさいな。事故に遭いなさいな。
この強烈な光はまだ朝日なのだろう。だって私はまだ誰とも朝の挨拶を交わしていないから。
『おーい、生きてるかー』
LINE。ひとつ手前の駅で足止めを食っているらしい。暇なんだな、こいつも。
『生きてる。朝からお疲れさん』
『生きてたかー うちも生きてたわ まあきばってこおや』
気張って、なんて微塵にも思っていなさそうな言葉が並べられる。
XXXX線の代わりに、別の黄色い電車がホームに止まった。Aは乗っていなかった。ちょうど置いて行かれたらしい。それでも高校生の密度は半端ないったらありゃしない。人間臭さに汗臭さ、それをどうにか誤魔化そうとする人工的な爽やかさが入り混じっていて、吐気を催す空間が醸成されている。シャツとブラウスの胸元にあしらわれた水色の蔦のようなマークが、電車の揺れに合わせて一斉にちらつく。自分の胸元にも、そのマークは付けられているから、なおさら気分が悪い。足元に置かれた重たい紺の鞄に躓きそうになる。舌打ちしながらその鞄を軽く蹴ってやると、それが自分の鞄だった事に気が付く。
三つめの駅に差し掛かって、Aから、ようやく電車に乗れたと連絡が来た。
目的の駅を、私は素通りした。水色の蔦をあしらった一団が、ごっそりと抜けていった。ほお、と一息、口から零れた。新しい陽射しが首筋を焼いた。
何種類かに分類できそうな顔つきの高校生たちを吐き出して、車内はすっかり空いてしまった。若い熱が残り香になって漂う中で、蹴飛ばされた鞄をそのままに、手近な座席へ、私は座った。
頭の奥が、じん、と痺れている。私は呼吸をしている。考えてはいない。何かを考える頭が麻痺している。昨夜憶えたばかりの英単語が、頭の中でやけにちらつく。abandon……abandon……abandon……。
「――おや、どうされました? 随分とお疲れのようでございますね」
ひと眠りでもしようかと頭を下げて眼を閉じたそのとき、酷くねっとりとした声がはっきりと頭に響いた。
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