喫茶、三毛猫

四葉美亜

x.prologue

真っ青なソーダ水の海と白砂糖の浜辺の向で

 真っ青なソーダ水の海と白砂糖の浜辺、甘ったるい葦の茂った湿地を抜けて、列車は止まった。薄暮に輪郭が解けて、静けさは哀しみに閉じられている。


 列車を降りて深呼吸。雨の降った後の匂い。崩れかけた石垣に囲まれた家は、壁には蔦が覆っていて、屋根にはくすんだ色合いの草花が茂っていて、それこそ魔女でも出てきそうな雰囲気にも思えるけれど、一応は、ここが、喫茶<三毛猫>ということになっている。

 背後で、静かに列車が滑り出す気配がした。不揃いで不規則で苔だらけで、時々足を滑らせて転がる客がいるらしい石畳をつたって、ステンドグラスのはめ込まれた真っ黒なドアに向かう。体重を乗せて押すと軋みながら開く。カラン、カラカラン。耳に、心地良い金属音が響く。


「やあ、いらっしゃい。ようこそ――喫茶、三毛猫へ」


 シャツにベスト姿、モノトーンのこざっぱりとした青年が、カウンターで食器を拭きながら私を出迎える。ドアを開けた音だけが、仄暗い喫茶店の中に木霊した。


 客はひとり。くたびれたブラウンのコートに同色のハットを目深に被った老人がカウンター席に腰かけてカップを啜っていた。青年に手で招かれて、私は老人からひとつ席の空けてカウンター席についた。


「新しいお客さんだね。ここに来るまでは無事だったかい?」


 最初から了解していたように青年はカップを私の目の前に差し出した。白いカップの取手には、控えめに、猫のシルエットがあしらわれていた。中には澄んだ赤茶色が注がれていて、柔らかなハーブの香りのする湯気が立っていた。


「それはサービス。気に入ってくれると嬉しいな」


 薦められるがままにカップを口元に運ぶ。ほんのりと酸味のある、アップルティーのような香り。


「嬢ちゃんも若いのに大変だなァ、こんなところに来ちまうたァ」


 嗄れ声で老人が、こちらを見ることもしないままに、そう呟いた。老人はカップを傾けて中身を啜ると、青年に黙って手を出す。青年は求めに応じ、やはり黙って艶のない黒色のシガレットケースを手渡した。シガレットケースを受け取った老人は一本の煙草を引き抜いて口にくわえると、懐にケースを仕舞い、入れ違いに飾り気の無い銀のライターを取り出して火を着けた。


 隣の席から漂ってくる煙も気にならなかった。その甘ったるい匂いは、私の胸の奥の毛羽立ちを撫で、滑らかにしてくれるようだった。いつもなら煙ですぐに痛くなる喉も無事だった。時折、青年が片づける食器が甲高い音をたてていたが、黒ずんだ木の壁がその音の刺々しさを吸い込んで、終わらせていた。時計は無かった。


 隣の老人が吸い終った煙草を、やはり差し出された灰皿に押し付けて席を立った。ポケットに手を突っ込むと、老人はそのままゆったりと重々しい靴音をさせながら、何事かを呻いてドアを開け店を後にした。青年は軽く会釈をするだけだった。


 私がカウンター越しに青年を見やると、青年もまた私の方を見、微笑んでいた。

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