第2話 PM8:30 道の駅「憩い」
瞳を車に乗せるにあたって、一本の動画を撮影した。意思確認、彼女と城田の問答を、数分に渡って記録したものだ。万が一、美人局や誘拐犯だという汚名を着せられたとき、自分の身を守る証拠を残しておきたいと思ったためである。
「ねえねえ、悟さんは運転してるとき、どんな曲聴くの?」
「特にこだわりとかはないよ。適当に、好きなの流してるだけ。」
「ふーん、どんなのが好きなの?」
城田は答えなかった。自分の好きなアーティストや曲のタイトルを教えるというのは、城田の中ではハードルが高い。それがもし相手の琴線に触れることが出来なければ、「センス無し」の烙印を押されてしまうかもしれないからだ。
「何それ。じゃ、私が好きなのかけてもいい?」
「別にいいけど、やり方分かるのか?」
「現代っ子舐めないでよ。いまどきスマホの音楽車で流すくらい普通じゃん?」
瞳の言葉は、いつか自分が両親に言ってみせた言葉とリンクした。あの頃、スマホの音源を車のスピーカーで流せるという革命的なことを知らず、ずっと新しい車が欲しいと画策していたのだ。もちろん自分の給与で購入するつもりだったが、父には「無駄な買い物」だと、最後まで反対されていた。
「瞳は、残り半年の学生生活どう送るつもりなんだ?」
「えー、何さ急に。」
「別に急ってほどでもないだろ。単純な疑問だよ。」
残りの学生生活を謳歌しなくては。そんなことを思っていたのを思い出す。想いを持っていたのを想いかえす。
「うーん…別に、特に考えてないかな。社会人になったって、自分の自由が効かなくなるわけじゃないし。」
「自由な時間はあるけど、自適な時間は取りづらいと思うぞ。」
「じてきって?」
「気楽な、思い通りに出来る時間…ってことかな。」
「へぇ、もしかして頭良いの?悟さんって。」
「最終学歴はお前とおんなじだよ。」
学歴なんて、人生においてそこまで大きな比重を占めることはなかったけれど。
「え、うそ、悟さんって富国館なの!?キャーッ、先輩じゃん!」
瞳はリアクションが大きい。それだけ聞くと何だか鬱陶しい印象を受けてしまうかもしれないが、彼女のそれは相手をいい気にさせるような、ポイントを抑えたリアクションだった。彼女は自己申告のとおり話すのが好きなのだろうが、案外聞き上手かもしれない。
「悟さんの学生時代ってどんなのだったの?」
「今とそんなに変わんないと思うけど。」
「またまたぁ、変わるでしょ。だってもう何年も経ってるんだから。」
「…俺の歳って教えてたっけ?」
「ううん。でもなんとなく見ればわかる。もう卒業して6,7年経ってるでしょ?」
彼女の観察眼は恐ろしい。
「すごいな。ほとんど当たり。」
「見ればわかるってば。年相応の顔してるよ、悟さん。」
「老け込んでないだけ良しとするよ。」
「そういえばさ、今この車ってどこに向かってるの?」
何とも今さらな質問である。
「どこってわけじゃないけど…とりあえず、今日の夕飯を買いたいしなぁ。どこかによるか、それともコンビニか―――」
「あっ、それじゃあサービスエリア行こうよ!」
「は?サービスエリア?」
それは、夕食を食べるためだけにわざわざ高速道路に入り、料金を支払えと言うことだろうか?
「却下。わざわざ高速に乗りたくない。無駄遣いだ。」
「良いじゃんちょっとくらい。あ、もしかして高速道路怖いんだ?」
「中学生でも乗ってこないぞ、そんな煽り。」
ふてくされた瞳を見て、城田はしめたと思う。このまま引き返せば、飽きた瞳が車を降りてくれるかもしれない。
「それじゃ、道の駅。これだったら文句ないでしょ。」
「…わかったよ。」
そう簡単な相手じゃなかった。
*
道の駅「憩い」。
何の目的も計画もなくたどり着いた場所なので、これといって大きな場所でもない。人の数もまばらであったが、瞳は満足そうに車を降り、深呼吸した。
「いいねー、何かドライブしてるって感じ。悟さん、何食べるの?」
「そば。」
「あっ、いいかも。私はうどんにしよーっと。」
ドアにロックをかけて、先に歩き出した瞳を追う。
「端から見たらどう見えてるんだろうな…本当に変態とか思われてないかな。」
「大丈夫だよ。良くて恋人、最悪兄妹くらいに見えるって。」
「光栄だな。」
「私はパスかな。彼氏いるし。」
彼氏持ちが見知らぬ男の車に乗り込むんじゃない。
「それにしても悟さん、意外と運転うまいね。」
「そうか?親父にはよく下手クソだって言われたけどな。」
うどんをすすりながら語りかけてくる瞳に、城田はそばをすすりながら答える。
「悟さんって、お父さんと仲いいの?」
「いや、どっちかというと悪いな。相性最悪。」
まさしく、相性最悪という言葉が相応しいだろう。
「どうして仲悪いの?」
「馬が合わないんだよ、昔っからだけど。」
「あー、性格が合わないとか、そういう感じ?」
「ま、そんなところ。あの人は俺のやることなすこと、全部気に入らないって感じだからな。」
父に関していい思い出というのが、城田にはあまりない。昔からよく怒られ、よく怒鳴られ、高校生になるころにはよく失望されるようになった。
理由というのも単純で、城田悟という当時の少年は、父の思い描くような真っ当な人間には育っていなかったためである。
「俺には3つ上の兄貴がいるんだけど、兄貴と俺は性格真逆なわけ。その分親父とはそりが合うんだけど、俺はからっきし。」
「へぇ、私にもいるよ。5つ上のお姉ちゃん。」
「そうか。比べられたりしない?「姉貴は出来てるのに」とか、「お姉ちゃんみたいにしなさい」とか。」
瞳はうーんと唸ってしばらく考えていたが、やがて首を横に振った。
「あんまりないかな。うちって両親共働きで、あんまり子供にかまってる暇なかったから。私の面倒見てくれたのも、どっちかというとお姉ちゃんだし。」
なるほど、5つも離れてくるとそういうことも多いのだろうか。3つ上という絶妙なバランスが、兄弟間の比較という悲劇を生んだのかもしれないと、城田は勝手に自分の中で疑問を浮かべ、そして解決させた。いいや、悲劇というほどのものでもなかったが。
「それで、お兄さんは今も一緒に暮らしてるの?」
「とっくに出て行ったよ。大学卒業してすぐ。5年近く東京に勤めて、今は大阪にいる。」
「近いじゃん!会ったりするの?」
「時々な。結婚して去年子供が生まれたから、その顔見せで会ったくらいかな。」
「おじさんじゃん!」
「うるせぇ。」
そういえば、2人とも初孫には喜んでたな。母さんには先月会いに行ったって聞いてるけれど、親父には会っているんだろうか。
「悟さん。」
「ん?」
瞳の声で我に返る。瞳の目はこちらをじっと見つめて、そして逸らそうとしない。
「もしかして家出の原因って…お兄さんにある?」
家出っていうな。27歳にもなってこんな惨めな響きはない。
「いいや、違うけど?」
「違うのかー!」
大げさにのけ反って無念さをアピールする瞳は、ひどく滑稽に見えた。
瞳は俺のことを年相応と言ったけれど、彼女はむしろ子供っぽい。
「それじゃあ、お父さんとの不仲?」
「まあ…半分正解かな。」
「もったいぶるなぁ、正解教えてよ。結果発表。」
なぜ、1時間ほど前に出会ったばかりの女子学生に、そんなプライベートの権化のようなことを語らなければならないのか。
普通ならそんなことを思うのかもしれないが、そこが瞳の不思議なところである。不快感がない。彼女の尋ね方の問題だろうか。
「いや、やっぱりあんまり言いたくないな。」
「うーん、まあ無理強いはしたくないし、いっか。」
そうかと思うと、あっさりと引き下がってくる。
「じゃ、私に何か聞きたいことない?何でも答えてあげるよ。」
「山ほどあるよ。最初のコンタクトから謎しかないからな。」
しかし、いざ質問をしろと言われると難しい。
瞳について分かっている情報は三つ。大学4年生ということと、1人暮らしということ。そして、5つ上の姉がいるということである。
「…そうだな。働くの、楽しみか?」
「うん、楽しみ。やりたいこといっぱいあるから、今からワクワクしてるよ。」
「そうか。」
現実はそう甘いものじゃない。楽しい、好きなことが出来ると思っていたのは最初だけで、実際は思ったような仕事なんて出来ない。
そんな風に断言してしまうのは簡単かもしれない。だけど、そんなことを言う気にはとてもなれなかった。そんなことを言うのは、大人のエゴだ。
「(それに、別に何もさせてもらえなかったわけじゃないし。)」
「何の仕事するんだよ?」
「うーん、それは秘密。」
「なんだそりゃ。」
「悟さんだって、色んなこと秘密にしてるし。」
「まあ、そうだけど。」
恥も外聞も、飾ることもしない人間だと思っていたが、どうやら瞳にも隠しておきたいことはあるらしい。
「悟さんは?何で前の仕事に就こうと思ったの?」
「おいおい、面接かよ…。」
そんなことはもう覚えていない。就職面接で暗記するほど読み上げた志望理由なんていうのは、就職して一か月後にはもう忘れてしまった。
「覚えてるのは、給料が良かったところかな。」
「え、悟さんの会社ってもしかして大手?」
「デカいと思うよ。従業員二千人いたし。テレビでCMもやってたし。」
「うっひゃ~、見えないね。」
失礼なガキだ。
「でもでも、じゃあ何で辞めちゃったの?あ、もしかして仕事について行けなかったとか。」
「そういう時期もあったよ。最初の頃なんて特に、周りと比べても成果出ないし、契約取れないし、今よりもっとつまらなかった。」
営業マンの宿命というやつだろう。売れる人間がえらいし、売れない人間はえらくない。そこに不満を感じたことは少ない。
「けどまあ、そのうち慣れたよ。仕事もそこそこ出来るようになって、半分の割合くらいでノルマ達成できるようになって、それが七割になって―――」
「楽しそうじゃん。」
「そうか?」
少なくとも、あの時の城田はそうは思えなかった。いいや、あの時は気づいてさえいなかった。ただ何となく仕事をこなしていた。
「俺のいた会社は営業会社でさ。毎年100人以上の規模で新卒採用して、そのほとんどが営業に回されるわけ。毎日電話、飛び込み、また電話。」
「イメージ通りの営業マンって感じね。」
「そうだな。けど、ネットの掲示板で毛嫌いされるほどのもんじゃない。ノルマ達成できなけりゃ給料差っ引かれるわけでもないし、上司から詰められたりすることも、ほとんどなかったよ。」
「それじゃ何で――」
なぜ、という理由を聞かれて、城田は再度考える。きっかけになるような小さな種は、知らないうちにいくつか抱えていた。
「最初の一年で半分はやめるんだ、うちの会社。」
「えっ、その何百人も入った新入社員が?」
「そ。特段労働条件が劣悪なわけでもないし、人間関係がギスギスしてるわけでもないのに、一年目で半分。」
「そりゃ、何か原因があるんだろうね。」
「営業職だからな。ある程度は会社の方も見越して採用してるんだろうけど…」
一年目、同期の中でもそこそこに仲良くしていた河本が、退社の際に話していたことが、今でも頭の中に残っている。
「つまらない、ってさ。ただ何となく。この仕事をしてる意味が分からない、って。」
「そうなんだ。」
「うん、最初はそんなの、俺は考えたこともなかったんだけどな。だって、基本給はそこそこだし、営業成績出せば多少なりとも奨励金は出るし。同期の連中とも、割と仲良くて、居心地もよかったし。だけど――」
だけど、母が家を出て行ったとき。それがふと、トリガーとなって。今の自分の現状に置き換わってやってきたのだ。
「ま、いろいろあって…ふと思っただけ。あ、なんか楽しくないなー、ってさ。」
「なるほどねー…けどいいじゃん。楽しくないならやめちゃえば。」
「簡単に言ってくれるよなぁ…まあ、もうやめたんだけどよ。」
再就職というのは簡単な道のりではない。それが分かっていて、こんな中途半端な生き方をダラダラとしているのだ。
「じゃあさ、じゃあさ。今度は何がしたいの?どんな仕事なら、悟さんは面白いと感じる?」
「仕事に面白さなんていらないんじゃないかって、今はちょっと後悔してるよ。」
城田はそう言いながら席を立ち、レジへ向かった。
そう、あのままダラダラと続けていればよかったのだ。そこそこ馬の合う同僚たちと、頼りになる先輩。愚痴をこぼしてくる可愛い後輩。楽ではなかったかもしれないけれど、決して苦しくはなかっただろう。
「けど、心が死んじゃうと人は死んじゃうからね。」
「宗教みたいなこと言うなよ。」
瞳はにたりと笑うと、スキップして車に戻っていく。その後ろ姿を見ていると、何だか真剣に話していたのが馬鹿バカしく思えてきた。大学生の頃の自分は、あんなにも阿呆そうに見えたのだろうか。
「あと2,3時間ドライブしようよ。もうちょっと聞きたい。悟さんの話。」
「俺の話、面白いか?」
「面白いよ、じゃなきゃ聞かないって。」
この子の前で着飾り、何か体裁を守ろうとする労力がひどく無駄なものに思えてきて、城田は言葉を飲み込んだ。
「あっ、この曲好き。真夜中ドライブ。」
「お眼鏡にかかってよかったよ。」
車のエンジンをかけて、好きな音楽をかけて、アクセルを踏んだ。
出発前についていたため息は、今度は出なかった。
ジグザグな道を行こう たけもとピアニスト @fawkes12345
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