ジグザグな道を行こう

たけもとピアニスト

第1話 PM7:00 公園で

ジグザグな道を行こう



 最近、TVで「車上生活者」というものが注目されることが多い。

彼らは「現住所=車」であると豪語し、車という小さな空間の中でどれだけの快適さを演出できるかを訴え、それをバラエティ番組ではキラキラと輝いている若者、というスタンスで紹介する。実際、紹介されているのは中年夫婦だったりするのだが。

 一方で、報道の特集では「行き場を失ったホームレス」という立場で紹介がされる。実践している身としては、そこまで喜劇的でも、悲劇的でもないのだが。


「まあだけど、真夏はさすがに厳しいものがあるな。」


 電話越しの適当な生返事を聞いていると、いかに相手がこの話題に興味がないかわかる。

 俺、城田がこのような車上生活をし始めたのは、つい三月ほど前のことだった。

特に何か不便があるわけではない。1人で寝起きするだけなら十分なスペースがある。スマートホンの充電をするだけなら、車内設備で事足りる。何より、誰かと生活をしなければならないというストレスがないぶん、あの家よりも幾分マシだ。


「それで、次の仕事は決まったのか?」

「決まってない。まあ、今は急ぐつもりもないしな。」


27歳、もうとっくに世間では「大人」と認定されるであろう男が、こんな風に放浪の生活を送っているのだから、何ともお笑い草である。しかし、俺には27年間の稚拙な人生を過ごしてきて、自分の中で出たひとつの結論があった。


「たった一度の人生、楽しんだもん勝ちなんだよ。」

「計画性のない人生を正当化してるようにしか聞こえないよ。」


話し終えて通話を切ると、シンとした静けさが車内を包んだ。何の理由というわけでもなくため息をつくと、城田は窓の外に目をやる。外にそびえ立っているのは、かつて城田自身が通った大学。富国(ふこく)館(かん)学園大学である。



 城田悟。27歳。独身。身長177センチ、体重67キロ。どこにでもいそうな、三十路に差し掛かりそうな男が現在のような車上生活をすることになった経緯は、特に劇的なな何かがあったわけではない。箇条書きしてしまえば何てことはない理由である。

 両親が別居をして、それを機に勤めていた職場を辞めた。それが今から三月ほど前。

父だけになった家にいることに耐えられなくなり、城田はこうして車上生活を余儀なくされて――いや、自らそれを選択したのだ。


 同期の香取は、それが仕事を辞める理由にはならないと諭した。

ようやく5年近く勤続して、これから自分たちが中心になる時だろう、と。

幼馴染の葉山、さきほど電話越しに話していた男だが――は、後先考えずに物事を決めてしまう城田のことを愚かだと言った。心配してくれているのは伝わっている。だけど、どうにも葉山は口が悪く、どうにも節々に棘がある。だけど、怒ってくれる友人というのは持つべきものだと、不意に思ったりもする。


「はぁ…」


ため息をつくと幸福が逃げていくという。しかし、今のこの状況で、いったいどこの誰が、自分からどんな幸福を奪っていくというのだろう。いつも頭の中で1人考えを巡らせてしまうのは、城田の悪い癖だ。

 ふと、電話の着信音が耳に飛び込んでくる。また葉山だろうか。そう思ってスマートホンを手に取ると、それが間違いであったことがわかる。


「はい、城田です。」

「城田さん。今日送っていただいた原稿、確認しました。」

「ああ、ありがとうございます。」


 端的に言えば取引先である。数年前から、城田は副業として記事作成・文書編集の作業をしていた。本業の片手間でやっていた仕事だったが、月に2、3万円ほどの収入があった。今では簡単な執筆活動もしており、月の良いときに12万ほどの収入がある。


「…はい、はい。それじゃ、またよろしく願いします。はい。失礼します。」


生きていくにはお金がかかるし、お金を稼ぐには働かなくてはいけない。

幸い、自分は大きくひっ迫した生活を余儀なくされているわけじゃない。

27歳、今に至るまで実家で親の脛を齧り続けていたわけだから、家賃や光熱費、水道代、公共料金は実質0だ。

 手取り20万ほど、ノルマ達成やたまにくるボーナスを足し合わせて、5年で600万円ほどの貯えができた。今だって家賃は必要ない。必要経費としてかかっているのは、毎日のシャワー代とガソリン代くらいのものだ。


「こんなもんだよなぁ、人生なんて。」


ポツリとそう呟いて窓の外をぼんやりと眺めていると、大学前の公園に1人、ベンチに腰かけている人影を見つけた。今の時刻は午後7時を回ろうとしている。

 こんな時間に…と思ったが、すぐに考え直した。いいや、自分が学生だった頃、こんな時間に家に帰っていただろうか?答えは否である。


「げっ。」


 思わず、そんな声が漏れた。

 目が合った。公園のベンチに腰かけていた人影が、こちらの視線に気づき、城田の方に振り返ったのだ。

 そうしてから、初めて城田はその人物が女性であると認識した。薄暗くて見えにくいが、栗色の髪に白っぽいワンピースを着た女性。学生だろうか。少なくとも自分よりは若いだろうと、視覚情報で城田は判断をした。


「(移動するか。変な奴だと思われたら面倒だし。)」


 昨今は日本も安全とは言い難い国である。夜道の帰路で女学生を観察している変質者だと思われてしまっては、区切りをつけた人生が区切った場所から真っ二つに折れてしまう。


「あの、ねえ、ちょっとちょっと!」


 呼び止めるような声が聞こえた気がして、エンジンをかける手が止まる。

 しかし、あとで思えばこの行為は失敗だった。声の主を探してみると、なんてことはない。学生カップルが歩道でじゃれ合っている姿が見えた。


「紛らわしいな…知り合いにでも見つかったのかと思った。」


 悪態をつきながら、城田は今度こそエンジンをかけようと視線を落とした。コンコンコン、と何かを叩いている音が聞こえるが、知ったことじゃない。

 コン、コン、コン―――

 ノックの音のようだ。誰かトイレにでもこもっているのだろうか。

 コン、コン、コン―――

 それにしても大きな音だ。車内にまで聞こえてくるノック音なんて。


「お兄さん、お兄さん。」

「ああ―――」


声をかけられて、城田は現実逃避をやめた。車内に響くノックの音は、それはやはりこの車そのものが叩かれていると考えるのが当然である。ゆっくりと顔を上げると、助手席側の窓の外に、ベンチに座っていた女性が立っているのが見えた。

 勘弁してくれ。

 それが城田の正直な感想だった。昔から、何か面倒ごとに巻き込まれるのは嫌いだった。自分に何の得もないどころか、不利益になることばかりだからだ。

 そして、そういった面倒ごとが起きるのには3つのパターンがある。

 1つは環境。治安の悪そうな路地や、飲み屋街に行くことで巻き込まれるパターン。

 2つは人間関係。友人の痴話喧嘩、学生時代の同級生から、数年ぶりの電話勧誘。多くの場合、時間を浪費することはおろか、自分の首を絞めかねない問題に発展する。

 そして最後が、おかしな人間だ。これといった定義はない。ただ、「常識」という枠組みをものともせず、突飛で奇抜な行動をする人間…そういうのが、頼んでもいない面倒ごとを呼び寄せてくる。窓越しのこの子は、間違いなく3つめのパターンである。


「…何か?」


窓をほんの少しだけ開けて、恐々と質問をする。女性はケタケタと笑う。いったい何が面白いっていうんだ、クソが。


「お兄さん、こんなところで何してるの?」

「別に、何もしてないよ。ちょっと車停めて休憩してただけ。もういくつもりだけど。」

「へぇ、行くって、どこまで?」

「そりゃあ、家に帰るんだよ。明日も仕事だから。」


 今やっている学生の小遣いレベルの仕事なら、この子と話しているよりもよっぽどノンストレスで出来るだろう。


「仕事なんですか?明日?」

「そりゃそうだよ。だって明日は平日じゃないか。サラリーマンは平日は働いているものなんだよ。」

「けど、今日だって平日だけど。」

 痛いところを突かれた。

「今日は有給取ってたんだ。」

「あー、有給。取れるものなんだ。掲示板じゃ取れないものだって良く書いてあるし。」


 彼女は納得する。城田は自分のアドリブ力を褒めてやりたくなった。


「お兄さん、仕事って楽しい?」

「え?」


 ふと、彼女がまるで人事面談のような質問をしてきたものだから、城田は聞き返してしまう。彼女は尚も続けた。


「今の仕事、楽しい?」

「楽しいかって…?―――どうだろうな。まあ、楽しいことばっかりじゃないよ。」

「それって、楽しいこともちゃんとあるってこと?」


 楽しいこと。

 そんなことを問われても、城田は沈黙するしかなかった。楽しかったんだろうか?あの仕事をしていて、自分は満たされていたんだろうか?


「(…いや、何で前職のこと思い出してんだ?今の仕事のことを聞いてるだろうに。)」


 1人で勝手に考え込んで、質問の答えを考えていなかった。


「なあ、何だってそんなことを聞くんだ?」

「私、来年から就職だから。だから、「働く」って実際どうなのかなーって。」

「ああ―――」


 なるほど、じゃあ彼女は4年生か。

 自身に近づいている未来のことを見据えて、彼女は自分なりに何かを掴もうとしているのだろう。だとすれば、嘘で誤魔化すのは筋違いというものだ。


「特に楽しいことなんて思いつかないよ。実際、俺三ヶ月前に辞めたし。」

「へぇ、そうなんだ。じゃ、今は無職?」

「定職にはついてない。ま、何もしてないってわけじゃないけど。」

「何で辞めちゃったの?」

「いろいろあったの。」


 実際、決定的な決め手があったわけじゃないけど。


「…ひょっとしてさ、お兄さんって、今その車で生活してる?」

「え、何で分かんの?」


 彼女は自分の推理が当たったことで得意げな顔をして、後ろの窓をコンコンと叩いた。


「だって、荷物多すぎじゃん?布団とかもあるし、これって車中泊する人の装備だよ、絶対。何で?家なき子?」

「金くれんの?」

「あはは、ねぇ、それでどうして?」

「…まあ、ちょっと家に居づらくて。」

「ふーん…」


 どうして、今さっき声かけられたばかりの女子大生に、こんなことを話しているのだろう。いや、もしかすると誰かに話すきっかけが欲しかったのかもしれない。


「ねえ、それじゃあ明日仕事があるっていうの、嘘なんでしょ?」

「まあね。」

「じゃあさ、今からちょっとドライブしない?」

「嫌だよ。」


 彼女は驚いたような、意外そうな顔をした。可愛い女子学生に誘われたら、男はみんなイエスというとでも思ったのだろうか。


「な、何で?」

「フツー嫌だよ。見ず知らずの奴を車に乗せるなんて。」

「別に、私何もしないけど。」

「何もしなくても、立場上マズイから。学生を車に乗せたら、誘拐と思われるかもしれないし。」

「大丈夫だって、私の方から誘ったんだし。」


 美人局の言い分である。


「いや、もういいだろ。いいから家に帰れよ。そろそろ帰らなきゃ心配されるぞ。」

「私一人暮らしだし。」

「何でそんなに食い下がってくるんだよ。」

「心配ないってば。加藤茶は45歳差もあるんだし。」

「何の話だよ。」


 その理論で行くなら、2人は結婚しなくてはならない理屈になる。


「それに…私、喋るの結構好きだし。」


 そういってはにかんだ彼女のことを、城田は鬱陶しそうに見つめた。外見的にも、特段の美人というわけでもない。評価は相も変わらずパターン3だ。 



「シートベルトはつけてくれよ。」

「もちろん。私がつけなきゃ、お兄さんが捕まっちゃうもんね。

「逮捕されるわけじゃないけどな。」


 そんなやりとりをしながら、城田は学生時代に出来た、初めての交際相手のことを思い出していた。思い返してみると、実家暮らしということもあって、彼女を自分の部屋に招き入れたことは一度としてなかった。


「(この車はいわば俺の家なわけだから…最初に上がり込んだ女は、この子ってことになるのか。)」


 そう思うと少しばかりときめいたりするだろうかとも思ったが、城田の鼓動は先ほどまでと全く変わらない速度で鳴っている。


「…あ、そうだ。名前は?俺は城田。」

「私は瞳。城田さん、下の名前も教えてよ。」

「フルネーム教えるのか?やだな…悟だよ。」

「悟さんね。それじゃ、レッツゴー!夜のドライブってワクワクするよね?」


 そういってはしゃぐ瞳と対照的に、城田はワクワクもしないしドキドキもしない。しかし、昨日までは動いていなかった表情筋が、今日はよく動く気がした。


 そして、夜のドライブが嫌いじゃないというのは。

 喋るのが嫌いじゃないというのは、おそらくほとんど皆無であろう瞳との、数少ない共通点だと思うのであった。


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