千歳さんと初めてのオフ会

 

「ふう……」

 一つ息を吐いて窓際の床に腰掛ける。さすがにちょっと疲れたな。朝から話し通しだ。床に敷かれたラグの上に足を伸ばして後ろ手に手を付いた。視線の先では沢山の人たちが語り合っている。

 今日は朝から本好きの仲間たちとのオフ会だった。キッチン付きのパーティールームを貸し切って四十人もの人が集まった。みんなで料理したり、本にまつわるクイズをしたりしながら、思い思いに好きな本の話をしている。僕にとっては夏以来の久々のオフ会なのでとても楽しい。その所為でちょっとはしゃぎすぎた。なんだか喉が痛くなってきたよ。我ながら呆れる。まあ、買い出しのお手伝いに朝集まってからもう7時間以上経ってるわけで、疲れても当然か。

 そう言えば、ヒメさんは今頃どうしてるだろう? 夏のオフ会で出逢ったちょっと訳ありの女性の顔が浮かんでくる。このオフ会にも絶対出席するって言ってたのに、直前になってどうしても外せない用事が出来たとかで、サンマ祭りがどうとか、漁獲割り当てがどうとかSNSで愚痴ってたけどあれって目黒のことじゃないよね? やっぱりあっちだよね。大丈夫かなと少し心配してしまう。まあ、僕が心配しても仕方ないんだけど。

 僕はもう一度、ふうと息を吐いた。その時。

「あの、大丈夫ですか?」

「え?」

 いつのまにか俯いていた顔を上げると少し小柄なショートカットの女性が僕のことを覗き込んでいた。

「えーと」

 初めて会う人だった。名札を見ると【千歳】と書かれている。

「千歳さん?」

「はい。初めまして、フミさん」

 千歳さんはもう一度僕の顔を覗き込むようにして

「大丈夫ですか? なんかしんどそうですけど」

「あー。いや、ちょっと話し疲れただけだから」

 僕は慌てて答えた。

「そうですか? お酒の飲み過ぎとかじゃないですよね?」

「あー、うん、たぶん」

 と言いながらそう言えば結構飲んでるなあと思う。

「ちょっと待っててください」

 そう言うと千歳さんはすっと立ち上がって離れていく。その姿をぼんやり追っているとキッチンでなにかしていたなと思ったらカップを手に持って戻ってきた。そのまま僕の横に座る。

「はい、これ」

 差し出されたのはいい香りがする紅茶だった。

「うわー、ありがとう。申し訳ない」

「どういたしまして」

 少しお茶目な感じでにっこりと答えてくれる。その笑顔が素直に可愛いと思った。

 頂いた紅茶を飲んでいると千歳さんが聞いてきた。

「オフ会、よく来られるんですか?」

「あんまり頻繁には参加できないんだけど、結構オフ会暦は長いです」

「へえ」

「千歳さんは?」

「初めてです」

「それじゃあ、来るとき緊張したんじゃないですか?」

「ええ、もう、めちゃくちゃしました」

「やっぱり……でも、来てみてどうですか? 楽しめてます?」

「はい。楽しいです」

 千歳さんの笑顔に僕も嬉しくなる。

「わたし、普段はひきこもり気味で、一人で本ばかり読んでるんです。でも、こういう集まりがあることを知って、一度誰かと大好きな本のお話ができたらいいなと思って」

「ああ、分かります。ここにきてる人はみんなそうじゃないかな」

「そうですよね。こんなに楽しくて、だから人だけじゃなくて本たちもすごく喜んでる」

「そうですよね」

 僕は少し違和感を感じながら相槌を打った。本たちも喜んでる? どういう意味だろう? でもまあ、大好きなものを擬人化して話すことはたまにあるしな。そう思って彼女を見ると、どこかを楽しそうに眺めながら、「あの子たちが楽しそうで、わたしもすごく嬉しいです」とつぶやくように言った。なにを見てるんだろうと思ってその視線の先を見る。そこはオフ会参加者が持ち寄った交換本がずらりと並べられたコーナー。二、三人の人が手に取ってページをめくっていた。一瞬、その手元で何かが動いた気がした。え? 気になって目を凝らすと、淡淡した影のようなものが急速に輪郭を取り始めた。やがてはっきりと姿を現したものは

「……こびと?」

 交換本を持つ人の腕に乗って手元の本をのぞき込んでいる。なんだあれ? 僕は目をこすってもう一度よく見たけれど、やっぱりそのこびとはそこにいた。それだけじゃない。気が付くとどの本にも、こびとたちが本の表紙に腰掛けたり、立ち上がって手を額に当てて遠くを眺めていたり、挨拶するようにお互い手を振りあっているのまでいる。

「え? ちょっ、なにあれ……」

 驚いて立ち上がろうとしたら袖を引かれた。見ると千歳さんが口元に指を立てて目で合図している。

「あんまり大きな声を出すと、あの子たちが驚いちゃうから」

 僕はその瞳をまじまじと見つめた。

「君もあれが見えるの?」

「はい」

「……あれは、なに?」

 その問いに彼女はただ一言答えた。

「本の精です」


 ――本の精――

 それって妖精みたいなもんだろうか? それとも付喪神のような妖怪? 童話や漫画では登場する事もあるけれど現実にいるとは思えない。これは何かの手品じゃないのか? と思うけれど目の前に見える存在を否定できない。気が付くと交換本コーナーだけじゃなく、テーブルで楽しそうにじゃべっている人たちの肩の上や頭の上に乗っていたり、床を楽しそうに走り回っていたり、そうかと思ったらカバンの開き口からこっそり周りをのぞき込んでいるのもいる。なんだか一人ひとり個性があるんだなあ。最初の疑問も忘れてそんなことまで考えてしまう。それにしても、

「みんなには見えてないんだね?」

「そうみたいですね」

「なんでかな?」

「うーん……多分、きっかけがないからでしょうか? あと、信じてないから」

「じゃあ僕は、君にきっかけをもらったっていうことかな? でも、今の今まで信じてなかったけど」

「そうですね。でも多分、フミさんは不思議なことをそのまま信じられる人なんじゃないですか?」

「あー」

 そう言われて思い出す。ヒメさんのこともあったなあ。そう気がつくとなんだか急に楽しくなってきた。

「千歳さんは、昔から彼らが見えたの?」

「そうですねえ……初めて見えたのはたぶん子供のころだと思うんですけど、疑問を抱くより先に信じちゃいました」

「そうか、小さい頃から本が好きだったんだね」

「……というか、本しか友達がいなかったんです」

 千歳さんがすこし自嘲気味に言う。

「あー、悪いこと聞いちゃったかな?」

「いいえ」

 千歳さんはフルフルと首を振った。

「むしろこんなことを素直に話せるのが、ちょっと嬉しいです。あの子たちを見える人に逢うのは初めてだから」

 そう言って穏やかに微笑んだ。

「それに、こんなにたくさんの本好きな人たちと、楽しそうな本たちに出会えて、わたしもとても嬉しいです」

 部屋にはたくさんの人と本の精たちがそれこそ思い思いに語り合ったり、走り回ったり、互いの本を覗き込んだりしている。その誰もが楽しそうな笑顔を浮かべていた。その光景を眺めながら千歳さんも笑顔で言う。

「オフ会って楽しいです。今日は、来てよかった」

「そう、それはよかった」



「みなさーん、これからブックポーカーやりますよー。参加する方は集まってくださーい」

 イベント係から声がかかった。おしゃべりしていた人たちが一斉にそちらを注目する。走り回っていた本の精たちまでも立ち止まって首を延ばしている。僕は傍らの千歳さんを振り返った。

「行こうか?」

「はい」

 二人して立ち上がった。オフ会はまだ半分。楽しい時間はまだまだ続く。僕は、千歳さんの笑顔がもっと見れたらいいなと思っていた。



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オフ会物語 Mu @Mu_usagimilkyway

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