ヒメさんの帰り道

「わーきれいですね!」

 目の前でナイヤガラ花火がきらめいています。

「あは! 手持ちだけどね!」

 隣でフミさんが肩をすくめながら、でもニコニコ顔で言いました。周りには一緒に花火を眺める30名以上のオフ会参加のみなさん。誰もかれもが笑顔です。


 今日は読書好きな方たちとのオフ会。なんと屋形船で読書会というめったにない企画でした。夏のイベントということもあり、浴衣参加推奨ということで、わたしもかわいい金魚模様の浴衣で参加です。家で衣装合わせをしていたら、みんな、マグロだのヒラメだのカニだの柄の浴衣を進めてくるので断るのに一苦労。もう、おせっかいなんだから。

 屋形船での読書会はとても楽しかったです。好きな御本の話を誰かとするのはやっぱり楽しい。今、隣で一緒の花火を見ているフミさんとも、初対面ですが、お互い好きなファンタジー小説で盛り上がりました。フミさんは話していても人柄の良さが伝わってきます。誠実で面倒見がよくて、でもちょっとお人好しな感じの男の人です。屋形船でのお料理も、作り立てのものが次々出てきておいしかった。そういえば、途中でボラさんが盛んに海面から飛び上がって屋形船をのぞき込んできたけれど、知りませんよ~、あげないよ~、と心の中で思っていました。その代わり、たくさんやってきた都鳥さんには少しだけおすそ分け。あんまりおさかなさん食べないでね。


 屋形船の後、海岸沿いに広がる公園でみんなで花火をしました。色とりどりの花火にみなさん子供のように歓声を上げて、盛り上がっています。

「ああ、楽しかったあ!」

 最後のナイヤガラ花火が消えたところで思わず声が漏れます。やっぱりオフ会は楽しい。めったに来られないけれど、また来たいなと思います。そこで腕時計を確認して驚きました。もう11時前です。これはちょっといけないかも。楽しさに時間が経つのを忘れていました。もうすぐお迎えが来てしまいます。そんなことになったらみなさんを驚かせてしまいそうです。わたしはそっとみなさんを見渡しました。三々五々笑顔でお話されている方々。このまま、こっそり抜け出てしまえば気づかれないかも。名残惜しいけれど時間がないので仕方ありません。わたしは意を決して後ずさると、さりげなく歩き出しました。

 海岸線をそのまま進むと20メーターぐらい歩いたところで海に向かって伸びている桟橋がありました。ではここから、と思って桟橋に向かおうとしたその時、

「ヒメさん、ヒメさん!」

 後ろから名前を呼ばれました。振り向くとフミさんが向こうからパタパタとかけてきます。あぁ、しまった。見つかってしまいました。

「そろそろ解散みたいなんだけど、最後にみんなで写真撮ろうってことになって、ヒメさんも行こ」

 あー、えっと、どうしましょう。もうあんまり時間がありません。さすがに焦ってきました。

「えっと、あの、ごめんなさい。ちょっと時間がなくて」

「あ、そうなんだ」

 フミさんはそこで少し思案顔になった後、ばッと振り返り、

「おーい、みんなあ、ヒメさんもう時間ないっていうから、こっちで写真撮ろうよ!」

 え? と思いました。その声に気づいて離れたところで集まっていたみなさんがこちらを向きます。

「うん、わかった」

「じゃあ、そっち行くわ」

 そんな声をあげながら、みなさんがこちらに移動してきます。これは、さらにピンチなのでは? 背中を冷たい汗が流れるのを感じます。どうしましょう? 


「じゃあ、撮るよ~、ハイ、チーズ」

 みなさんのとなりに並んで何とか笑顔で写真に納まりました。わたしの笑みが引きつってなければいいのですが。だって、心の中では早く早くと焦っていましたから。

「じゃあ、またね~」

「そんじゃ、帰ろうか」

 みなさんが帰り始めます。わたしは焦りながらも少しほっとして、「じゃ、じゃあ」と近くの人に挨拶して桟橋に向けて二三歩、歩き出しました。でも

「ちょっとちょっと、ヒメさん、どこ行くの?」

 今度もフミさんです。

「そっち桟橋だよ」

「え? えーと」

「フミさんって、どっち方面に帰るの?」

 実はこっちなんですとは言えません。仕方なく

「ちょっと涼もうかと思って」

「こんな時間から?」

「えーと」

「それにその桟橋進入禁止みたいだよ」

「え?」

 フミさんが少し離れたところにある立看板を指さしました。そこには夜間進入禁止の文字。忘れていました。いつもは気にしてませんから。ど、どうしましょう? もう一刻の猶予もない気がします。心臓がどきどきと大きく打ちだします。

「いや、あの、その、実はさっきここで落し物をしてしまいまして、探そうかなあと思って……」

 とっさに出た苦しい言い訳。それを聞いたフミさんが再び思案顔をします。あ、ダメ! と思いました。こんなことをフミさんに言ったら……。そこでフミさんはおもむろに、帰っていく人たちに向かって声を張り上げました。

「おーい、みんなあ、ヒメさんが落し物したって。時間ある人は探すの手伝ってくれ」

 あー、やっぱりです。どこまで面倒見がいいんですか、フミさんは! 自分のミスだとわかっていてもちょっと八つ当たりしたくなります。フミさんの呼びかけに気づいた人たちが戻ってきます。人数は十人以上でしょうか。わたしの心はもうパニックです。

「なになに、ヒメさん、なに落としたの?」

「スマホで照らそうか?」

「こっちかな?」

「そっちはどう?」

 数人の方が桟橋の方へ歩いていきます。ああ、そっちはダメです。行かないで。と声にしようとした、その時、

「うわ、なんだろうこれ?」

 スマホで海を照らしていた方が声を上げました。夜の海が直径10メートルほどの大きさでブクブクと白く泡立っています。その中に黒い影が浮かびあがって……。もうダメです。このままでは、みなさんを驚かせて、怖がらせてしまいます。なんとかしなくては! わたしは一目散に桟橋に向かって駆け出しました。その間にも海面が急速に盛り上がり、激しい水しぶきが飛び散ります。

「きゃー!」

 異変に気付いた誰かの悲鳴も聞こえ始めます。わたしは桟橋の端にたどり着くと胸元から貝殻のペンダントを取り出して、それを顔の前に掲げました。海面からは勢いよく水が吹き上がりだします。

「ヒメさん、危ない!」

 誰かが言うのが聞こえた気がしました。でもわたしは構わず、間に合ってと祈りながら精いっぱい叫びます。


「止まって!」


 その瞬間、ペンダントから閃光が放たれました。光は夜の闇を駆け抜けて、その時……全ての時が止まりました。宙に吹きあがった波しぶきは縫い付けられたように中空にとどまり、海に映る夜景の明かりも揺らめきを止めています。もちろん、さっきまで探し物を手伝いに来てくれたみなさんもその場で動きを止めています。ふう、何とか間に合いました。ほっとすると共に、なんだか申し訳ない気持ちです。時緊急事態だったとはいえ悪いことをしてしまいました。でもこうしないとみなさんに迷惑をかけてしまいます。と、その時、

「あ? あれ? みんなどうしたんだ?」

 後ろから声が聞こえて、心臓がどきんと跳ねます。体も飛び上がりかけました。びっくりして振り返るとフミさんが驚いた顔で周りを見渡しています。え? な、なんでフミさんは動いているの? その時、彼の手がわたしの帯に触れていることに気づきました。あー、それで効かなかったのですね。頭の片隅で理解しました。でも、それよりもこの状況をどう説明すればいいのやら。わたしは途方に暮れます。さらに悪いことに時が止まった海面をこじ開けて、今度こそ本当に黒い大きな塊が海面に浮かび上がってきました。大きさで言うとちょうど今日の屋形船ぐらいでしょうか。

「わ! なに!? 潜水艦?」

 驚いてつぶやくフミさんの姿に、わたしはもうごまかせないと覚悟を決めました。

「あのね、フミさん」

「あ、ヒメさん。大丈夫だった?」

 この状況に驚いているのに、わたしに気づいたフミさんはそんな言葉をかけてくれます。

「はい、大丈夫です」

「ああ、よかった」

 ほっとしたように息を吐くフミさん。ああ、ほんとに、いい人です。わたしの心がじんわり温かくなります。

「でも、これ、何が起こってるんだろう?」

「ごめんなさい。わたしのせいなのです」

「え?」

 頭を下げたわたしをフミさんは怪訝な顔で見つめます。その時、目の前にぬっと大きな顔が現れました。大きなウミガメの顔。それは海から現れた黒い塊から伸びた長い首の先に繋がっています。

「姫様、お迎えに参りました」

 ウミガメさんが言います。

「はい、ありがとうございます」

 フミさんがぽかんとした表情でわたしとウミガメさんを交互に見ています。なんて説明しようかなと迷っていたら、彼がポツリと聞いてきました。

「ヒメさんは、どこへ帰るの?」

「えっと……海へ」

 わたしは正直に答えました。こんな話信じてもらえないかも? と思いましたが、フミさんはしばらくパチパチと瞬きした後で、

「あー、そうなんだあ」とどこか上の空で言ってから

「え? じゃあ、ヒメさんって、人魚姫なの?」

 と改めて驚いたように聞いてきます。なんだか少し楽しくなってきました。

「うふふ。違いますよ。ほら、ウミガメさんがいますし」

「えっと……あ、そっちか!」

 フミさんが何かに気づいたように叫びました。

「信じてもらえますか?」

 そこでフミさんはちょっと笑うと

「うん、びっくりして夢見てるんじゃないかとも思うんだけど、でも、信じるよ。だって、その方が楽しいじゃない」

 わたしの胸の中に何かが満ちてきます。

「ありがとうございます」

「それにしてもこれどうなってるの?」

 フミさんは動かない周りを見渡して聞いてきます。

「えっと、時を、止めました」

「と、時を?」

「はい。時の扱いは我が家の伝統ですから」

「あー、そうか!」

 フミさんが何かを思い出したように声を上げました。

「じゃあ、帰りますね」

 わたしはウミガメさんの差し出した手のひらに乗り移り、そのまま甲羅の上にあげてもらいました。フミさんは甲羅の上に乗った私を見上げながら、

「また会える?」そう聞いてきます。

「ええ、またいつかオフ会で」

「そう、よかった」

 嬉しそうに答えるフミさんの顔を見ていたら、わたしも嬉しくなってきます。

「そうだ。よかったら、これを貰ってください」

 わたしは胸元に手を伸ばしました。

「えーと、玉手箱ならいらないよ」フミさんが笑って言います。

「ちがいますよ」

 わたしも笑って応えると、取り出した貝殻のペンダントを、フミさんに向けて放ります。キラキラと光って彼の手の中に納まりました。

「今日の事が夢でなかった証拠として」

 フミさんはペンダントをしばし眺めたあと、ありがとうと手に掲げます。

「それじゃあ、いきますね」

 わたしはフミさんに手を振ります。彼も振り返してくれました。


 ウミガメさんの甲羅の上にちょこんと座って、海の中をおうちに向かいながらわたしは、あれでよかったよねと心に問いかけます。フミさんの記憶を消すことも出来たけれど、でも、その必要はない気がしました。だって、フミさんですから。それに、忘れられることを考えると、なんだかちょっと悲しい気分になります。でも、また会う約束をしました。そのことを考えると逆に暖かな気分になります。そんな気分に浸っていたら、ふと、あることを思い出しました。そ、そういえば、みなさんの時を動かすのを忘れていました。サーと血の気が引いていきます。あ、でも、わたしが離れたから、そのうち効果は消えるはずです。えーと、どのくらいかかるのでしたっけ? みなさん、終電に間に合うかしら? 間に合うよね? 間に合わなかったら、ごめんなさい。そんな申し訳ない気持ちになりながら、けれどわたしの頬は緩みっぱなしです。

「次はどんなオフ会かしら。うふふ、とても楽しみです」

 そう独りごちるわたしの頬を水の流れが優しく撫でていきました。


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