過去編

九日目の露見

 なんとなくおかしいとは初めから思ってはいたのだ、とレンディは当時を振り返る。風の妖精もかくやという繊細な容貌かおかたちに、すんなりと伸びた細い手足。育ちは良さそうだから、貴族のおぼっちゃんならそんなものかと皆は納得していたが、どうにも引っかかっていた。


「なんだよ、レンディ、難しい顔して」

「いや……、なあジェイク。ジャンのことだが、その……」

 どう言ったものかと歯切れ悪く話す彼に、まだ若いながらも航海士としては一流の古馴染みの男は、精悍なその顔をしかめて険しい表情になった。

「まさかお前も、あいつに惚れたってんじゃねえだろうな?」

「……?」

 鸚鵡返しに尋ねると、ジェイクは心底うんざりしたように頷く。

「一昨日はヤコボにラウロ、昨日はリーノにマルコ。挙句、今朝には船長まで真剣な顔をして、あいつと二人きりで会いたいんだが、なんて言ってきやがる」

「そりゃまた……」

 船長は船の上では国王にも近い権限を持つ。そんな相手から請われれば断るのは難しいが、この船はいわゆるならず者の集まりではない。きちんと客から旅客としての料金を受け取って運んでいるわけで、その客に手を出したとなったら信用問題だ。


「ああ、船長もわかってんだよ。だから無理にってわけじゃねえ。あくまで本人がよければ……ってな話だったから、一応本人にも確認した上で断ったさ」

 それでも面倒だ、とありありと顔に書いて深いため息をつく。あの綺麗な子供が船に乗っているのに皆が気づいたのが、十日ほど前。正確には九日前だったか。


 突然船から落ちたその子供ジャンを救ったのがジェイクで、そんな縁で以来、ジェイクの周りをちょこまかとうろついている。船長からの信頼も篤く、それなりに腕っ節も立つ。子供相手にどうこうしようなんて発想もないし、懐いた相手がこの男でよかったのだろう。

 やれやれ、と彼もため息をついた時、当の本人が船倉からちょうど上がってくるのが目に入った。

「ジェイク……に、レンディ」

「お、俺の名前も覚えててくれたかい。感心感心」

 そう言って頭を撫でてやると、金糸のような髪は極上の絹糸のように柔らかだった。毎日潮風にさらされているわりには、いい手触りに、ふとジェイクの方を見やれば、すいと視線が逸らされた。


 おそらくは、何だかんだ言いながら手入れを手伝ってやっているのだろう。ついでにとったフードを被らせておく。

「まだ日差しが強い。お前さんみたいな白いのはすぐに焼けちまうから、日が高いうちは被っときな」

「レンディみたいに、布で巻くだけじゃ、だめ?」

 上目遣いに見上げてくる様子はまるで小動物のようだが、その瞳はちょうど真昼の海のような鮮やかなあおだ。ジェイクに懐いてからは、割と誰にでもそんな無警戒な眼差しを向けているから、周囲に犠牲者が増えているのだろう。


 と、船が高波に煽られて、突然ぐらりと揺れた。細いその体がバランスを崩して倒れそうになったのを、とっさに手を伸ばして引き寄せる。抱き込んだ体があまりに柔らかくて、そして触れた胸のあたりに確かに柔らかい感触がして、思わず顔を覗き込むと、慌てて体を離した。


「あ、あの、ちょっと、着替えてくるから……!」

 そう言って、波に揺られる船もものともせずに、あっという間に船室へと駆け戻っていった。

「……どうしたんだ、あいつ?」

「何か忘れ物でもしたんじゃねえか」

 触れた体は確かに少年のものではあり得なくて、だから普段は身につけている、体型を隠す何かを、おそらくは油断して外してしまっていたのだろう。怪訝な顔で、後に続こうとしたジェイクの肩を掴んで、ニッと笑ってみせる。

「ちなみに、ジャンが船長の誘いに頷いたら、どうするつもりだったんだ?」

 彼らの船の船長は、それなりの年だがまあまあいい男だ。相手が女だけでないことも、船内では有名だったが、ジェイクも言っていた通り、無理やり何かを通す男でもないし、そんなことをしなくても向こうから寄ってくることの方が多い。


 まして、あんな世間知らずのなら。


「馬鹿言え、だとしてもあんな子供にそんな真似させられるか」


 きっぱりと、吐き捨てるように言った顔は、いつになく真剣だった。それがただの庇護欲なのか、それともそれ以上の何かなのか。


 しばらくして、船室から戻ってきたジャンはこちらを探るように見上げてくる。

「大丈夫か、坊主? あんなんでよろけてるようじゃ、船乗りにはなれねえぞ?」

 そう言ってやると、あからさまにホッとしたように、肩の力を抜いてふわりと笑う。そんな表情に、周囲でざわめきが上がる。

「何言ってんだ、レンディ。こいつが船乗りになんかなるわけねえだろ?」

「ジェイクと一緒なら……いい……かな?」

 そう言って見上げる碧い眼差しは、眩しいくらいに純粋でまっすぐだ。

「……やれやれ」

 意味合いは違えど、同じように吐かれたため息は数知れず。


 知らぬは本人とジェイクばかりなり、だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る