23. 闇の中

 闇は深く、だが、確かにすぐそこに小さな光が見えた。それはほとんど闇の中でごく淡く幻のような今にも闇に飲み込まれてしまいそうな微かなものだった。近づいて見ると、それが濁った結晶が放つものだと知れた。これが、竜が言っていた「核」なのだろう。これを破壊すれば全てが終わる。竜から託された剣を振りかぶったそのとき、目の前に淡く輝く影が立ちはだかった。

「……何っ⁈」

『待って』

 それは人の形をしていた。闇の中で、淡く輝く光に包まれる長い黒髪に、ほとんど微かに青みがかかった黒い瞳。誰なのかは明らかだった。

「レヴァンティア……?」

『そうだ。身勝手な願いだとはわかっている。だが、どうか、彼を救って欲しい』


 苦悩に満ちたその声と表情から、彼女がずっと長い間苦しんできたことは伝わってきた。だが、今この瞬間にも表ではジェイクが危機にさらされているかもしれない。亡霊の無念になど付き合ってはいられない。


「そこをどいてください。どいてくれないのであれば、あなたごと斬ります。彼への愛に目が眩んであれを放置してきたのであれば、あなたも同罪だ」


 彼女の中に燻る怒りは、何百年もの間、過酷な運命を背負わされた娘たちへの追悼でもある。どれほどの命が、この闇のせいで失われたというのか。それに贄となった娘たちだけではない。彼女の故国では嵐によって途方もない数の民の命が失われたのだ。


 剣を構えた彼女に、レヴァンティアは首を振る。

『わかっている。だが、彼を滅ぼしてしまえば、この地は永遠に不毛の大地のままとなってしまう。どうか、彼の浄化に力を貸して欲しい。元はと言えば私が彼と恋に落ちてしまったのが原因だ。だが、私たち一族の業のために、この地を永遠にこのままにはしておけない』

 時間がないことをわかっているのからか、彼女は手短に語る。かつて、子孫たちを人質に取った魔法使いたちにより、セフィーリアスが永遠に使役される契約を交わしてしまったこと。だが、彼の強大な力はそれが故に魔法使いたちを滅ぼし、それだけでは済まず、彼が慈しんできた大地をも滅ぼしてしまった。彼を滅ぼせば、全てが失われてしまう。

『あなたにこんなことを背負わせるのは、本当に申し訳ないと思う。だが、運命に抗ってここへたどり着いたあなたにしか、きっとできない』

「何を、すればよいのですか?」

『あそこに彼の核が、命の結晶がある。今は淀み、濁ってしまっているが、あなたが触れてその力を注ぎ込めば、浄化できるはずだ』

「そうして、その後、どうなるのです?」

 それだけでめでたしめでたし、となるようにはとても思えなかった。だからこそ、目の前の相手は深い苦悩の色を見せているのだろう。

『あなたの力は、ヴェトが認めるほどに強い。きっと穢れを祓えるだろう。だが、力を使い果たしたあと、どうなるかは……』


 ——結局は贄となる運命からは逃れられないということか。


「けれど、うまくいけば私が最後の贄となる、そういうことですね?」

 レヴァンティアは静かに頷いた。それ以外に彼女は選択肢を持たないのだろう。ユーリは闇の中で、淡く光る結晶を見つめる。かつての精霊王だったもの。目の前の女性を愛し、その愛ゆえに縛られて破壊をもたらしたもの。この地の民や子孫からすれば途方もなく迷惑な話だ。だが、愛するということを知ったユーリ自身、それを愚かな所業と切り捨てることはできなかった。


 呼吸を整えるために、目を閉じる。浮かぶのは先ほど闇から自分を救い上げてくれたジェイクの姿だ。いずれにしても、このまま闇が広がれば彼の命さえも危うい。己の運命がその手にないことは十四歳で告げられてから、百も承知の上だった。それでも、今は自分の命を惜しんでしまいそうだ。


「先祖の不手際による大地の呪いなんて、私には関係ない」

『ジュリアーナ……』

「……なんて言うには、私はあまりに愛され過ぎているようだ」

 父も、母も、兄たちも。そして民も精霊たちも皆、彼女を慈しんでくれた。ジェイクの元へたどり着けたのも精霊たちの加護があってこそだ。ここにいる精霊たちが直接は関わりのない者たちだとしても、彼女の中にはその愛が息づいており、すべては繋がっている。

 淡い光に向けて歩みを進める。それは、今にも消えてしまいそうにかすかに明滅している。

『すまない……』

 深く項垂れるレヴァンティアに、今度は笑って見せる。

「謝るくらいなら、彼の理性がなるべく早く戻るよう祈っていてくれ。できればあなたも彼を導いて欲しい」

『……無論だ』

 勁い眼差しに、頷き返し。光に触れる。


 瞬間、様々な映像が流れ込んでくる。捕われる人々。自らの力で傷つけられ、倒れていく人々。濁っていく水と大地。やがて意識は曖昧になる。自分の中にある、それまで自分が気づいてもいなかった大きな力が、指先から結晶へと流れ込んでいく。確実に流れ出していくそれは、彼女の命にも等しい。

 彼女の中から何かが失われるのと同時に、濁っていた結晶は少しずつ透明度を増し、光を取り戻していく。だが、闇を全て払うのに、あとどれほどの力が必要なのだろうか。海に落ちたときのように、全身が冷えていく。流れ込んでくる悲惨な映像は彼女の意識をさらに侵し、彼女自身の形さえ曖昧にして闇へと溶かしてしまいそうになる。


 そのとき、いつの間にか地面に取り落としていた剣が輝いた。浮き上がった剣を中心に、清浄な風が吹く。闇を切り裂いて声が響いた。

「ユーリ!」

 力強い手がその剣を取り、彼女の腕を掴む。伝わる温もりで、意識が一気に浮上する。

「ジェイク!」

 見れば、服はあちこち裂け、血が滲んでいる。頬にもさらに傷が増えていた。それでも、その灰色の眼は、ただひたすらに彼女を想う色を浮かべている。泣きたいほど、どうしようもなく愛しい。

「しっかりしろ、あと少しだ。さっさと片付けて、あとは……な?」

 彼女の想いを読み取ったのか、彼女の腰を抱き寄せて、ジェイクはニヤリといつものように笑う。そんな場合ではないのに、腰にさわさわと触れてくる手を叩いて結晶に目を向ければ、確かにそれは今や力強く輝いている。


 ジェイクの存在と、剣から溢れ出す花の香りを含む風が、彼女の体を暖め、確たる力となる。

『ヴェト……』

 呟く声に目を向ければ、レヴァンティアは驚いたように眼を瞠っている。

『……そなたは見守れと言った。だが、勇敢な若い恋人たちに免じて、これくらいの助力は許せ』

 どこか面白がるような声が遠くから響く。


 竜と精霊と人との間にどのような約束があったかは知らない。だが、今はその願いを自分の祈りに変えて——。


「セフィーリアス、あなたを愛する者たちの声が聞こえるなら、己を取り戻せ!!」


 叫んだ彼女の声に応えるように結晶が一際強く輝き、彼女の意識は光に呑みこまれた。

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