7. 不意の来訪者

 それからあちこちの店をのぞき、一通り必要な物資を買い込むと、そのまま港へと向かった。

「これがあなたの船?」

「そうだ。『東風と夜明けの海』という」

「よい名だ。それに……美しいな」

「だろう? この辺りじゃあ一番速い」

 胸を張ると、ユーリはつられたように笑った。

「ガレー船ではないんだな」

「ああ、そこまで儲かってもいないしな」

「……他の乗組員は?」

「長旅から戻ってきたばかりだからな。一旦解散している。声をかければきてくれる連中も多いだろうが……まあ、今回の旅は俺たちだけだな」

「この大きな船をあなた一人で動かせるのか?」

「簡単なことじゃないが、まあ不可能ってわけじゃねえ」


 言ってはみたものの、一ヶ月もの船旅を一人で乗り切るのは容易なことではない。ユーリが船の操舵について当てにできるとも思えないし、普通に考えれば少なくとも三、四人雇った方が良いのは間違いない。頭ではわかっているのだが、この旅に無関係な船夫たちを巻き込む事は避けたい。

 何より、ある意味密室となるこの船にユーリと他の男たちを長期間乗せておくことについて、如何に信頼できる船乗り仲間であっても一抹の不安を抱かずにはいられない。自分の魅力について、自覚的なのか無自覚なのか曖昧な相手なら尚更に。


「船員をお探しなら、私を雇ってみてはどうだろうか?」

 不意に声をかけられ、ジェイクはとっさにユーリを背後にかばい、剣を抜く。自分でもなぜ剣を抜いてしまったのかわからなかったが、相手は鼻先に切っ先を突きつけられても飄々とした表情を浮かべていた。

「いい反応だ」

 年の頃は彼より少し若いくらいだろうか。白いシャツに仕立ての良いズボンと履き古していながらもしっかりした作りのブーツ。腰には長剣を下げている。薄茶の長い髪を後ろで束ね、眼は鮮やかな緑。背はジェイクよりもやや高い。

「何者だ」

「ただの船乗り見習いだよ」

 険しい眼差しを向けたが、相手は両手を上げて朗らかに答える。だが、その眼は声とは裏腹に、こちらを値踏みするように鋭い。

「一体、あなたはこんなところで何を……⁉︎」

「またあんたの知り合いか?」


 唖然とした声に、剣を上げたままジェイクが振り返ると、ユーリはリィンのときよりも遥かに困惑した表情を浮かべている。嫌な予感がした。これほどまでに彼女が動揺する相手なら、知り合って間もない彼にも予想可能だ。


「王様ってのは、こんなところで油を売っててやっていけるものなのか?」

 ジェイクの問いに、当の本人は否定もせず、さらに悪びれもせずに笑って応えた。

「何しろ我が国の宰相はとても優秀でね。といっても就任してもらったのはつい先頃なんだけれども」

「国を掠め取られなきゃ良いがな」

「それは大いにあり得る。まあ、誰よりも愛する人の父上が治めてくれるなら、私は一向にそれでも構わないがね」

 実力は承知の上だ、と。

「まさか、父上を巻き込んだのか?」


 ユーリの身に纏う空気がただの驚きから、瞬時に冷えて剣呑なものに変わる。この少女は外見とは裏腹に、腹の底に恐ろしく勁いものを秘めているということを改めて認識せざるを得なかった。だが、相手は堪えた様子もない。


「そんな怖い顔をしないで。あなたの考えるようなことはしていない。ただ、私の留守の間に王国がより発展するよう、全権を委任してきただけだよ」

 さらりと恐ろしいことを言う。

「父上は、公爵として公国を治める責務がある。あなたの国の御家騒動に関わっているほど暇ではないはずだ」

「もちろんそちらはすべて解決済だ。言っただろう、私はあなたを救うためなら何でもすると。そしてあなたが思っているより、私のあなたへの愛は深いんだよ」

 ウィンクしながらそう告げる彼に脱力したのか、ユーリの眼差しからは剣呑さは薄れたが、それでも疑念は消えてはいないようだった。

「アレクシス様」

「すまないが、ここではアレク、と呼んでくれるかな』

 ユーリの言葉を遮って、そこだけはきっぱりと言う。さすがに一国の王がこんなところにいるのを知られるわけにはいかないらしい。

「よくある名だと、ご自分ではおっしゃっていたかと思いますが」

「ああ、覚えていたかい? 実は君に親しげに呼んでもらいたいだけなんだ」

 ため息をつくユーリを見れば、彼女がずっとそれを拒否していたことは容易に想像がついた。

「では、アレク様」

「ただの船員に様は不要だよ」

「まだ自称の候補だろ」

「おや、そうだったね」

 何を言っても無駄なようだ。ともあれ、こんなところで立ち話をしていると誰に聞かれるともわからない。ひとまずは船室に移動することにした。

「とりあえず俺の船に乗りたいっていうなら、この積荷を載せるのを手伝ってもらおうか?」

 嫌味のつもりで言ったのだが、相手はただ笑って快諾したのだった。


 積荷を船倉に積み込み、一段落したところで船室に移動し、腰を落ち着ける。積荷の中にあったワインを開けてグラスに注ぐと、ユーリもアレクシスも素直に受け取った。

「綺麗な色だね」

「イスティアのワインだ。これのおかげで随分稼がせてもらったもんだ。で、あんたはこんなところで何をしてるんだ?」

「言っただろう、船乗り見習いだって」

「……あなたの王冠はそれほどまでに軽いものだったのか?」

 今度こそ怒気をはらんだ声でユーリが明らかに非難の声を上げる。彼女も為政者の家に生まれたが故に、その責務について思うところがあるのだろう。ジェイクにとっては、遠い世界の話だが。

「ユーリ、王冠などに意味はないよ。それはあなたも知っているはずだ」

「ならば何に意味があるというのです」

「無論、民だよ」


 存外にきっぱりした答えに、ジェイクも思わず目を丸くした。玉座にありながら、もっとも意味のあるものが民だと言い切れる王など見たことがない。彼らにとって支配階級の人間とは、ほとんどが私服を肥やし、民から搾取さくしゅする者たちだ。だからこそ、彼らは王や貴族を信用しない。信用するのは金と、自分たちの仲間の繋がりだけだ。


「民がいない王など砂漠の真ん中の金貨袋のようなものだ。人々にとって何の価値もない。私が玉座に着いたのは、もともと馬鹿げた政争を終わらせるためだ。兄や従兄弟たちがもっとまっとうな人間でいてくれれば私が出る幕もなくて済んだのだけれどね。あなたは覚えていないだろうが、私が王冠を手にする——せねばならないと決意したのはそもそもあなたのおかげだ。まあ、だけど私の話はこれくらいでいいだろう? 昔話であなたの時間を無駄にする気はないからね」

「あんたが出てこなきゃ話はややこしくならなかった気がするんだが」

「それについては諦めて欲しいね」

 一国の政争を終わらせるほどの手腕の持ち主だ。その言動や外見ほどにお人好しではないだろう。

「だが、あなたは私が旅立つことに同意したはず。なぜ今になって……」

「同意したが、私も旅に出ないとは言っていないよ」

「何のために?」

 心底不思議そうに尋ねるユーリに、アレクシスはため息をついてジェイクの方に視線を向ける。

「君にはわかってもらえると思うが?」

「あいにくとさっぱりだ」


 グラスを傾けながら肩を竦めたが、本当のところは容易に想像がついた。彼の直感が誤っていなければ、アレクシス本人が告げた通り、彼のユーリへの想いは本当に深いのだろう。だが、アレクシスも恐らく街の噂は耳にしているはずだ。そう考えると、かなり気まずい現状だが。


「まあ、いい。君たちの邪魔をするつもりはない。だが、君一人で彼女を竜の島まで連れて行くのはかなり難しいはずだ」

 それは否定できない。

「私は彼女の事情を全て知っている。この旅が容易でないことも、先に何が待ち受けているかもわからない、おまけに財宝なども望み薄だ」

「それについちゃあ、船乗りの伝説を信じるなら、別の意見もありそうだが」

「君が太古の竜を倒し、その宝を奪えるほど勇敢ならね」

「向いてなさそうだ」

「そうだ。ユーリを救うためだけなら、竜を倒す必要はない——そう願いたいね」

 やれやれ、とため息をつく。船乗りというのは、自分の勘を大事にする。人にしろ、自然にしろ一つ判断を間違えれば命取りになることが多々あるからだ。今のところアレクシスについてはひっかかるところがないではないが、その言葉に嘘は見えない。隠し事はそれなりにありそうだが。そして、彼が指摘した通り、この旅の道連れとして彼は最適に思える。


 ——どうやら恋敵であるという一点を除けば、だが。


 だが、リィンの話によれば、そもそも竜の島に辿り着けなければ、ユーリの命はもってあと二年。恋の鞘当てなどしている時間はない。彼女は自らの運命を切り開くために、自分の意志で旅立った。アレクシスもまた、彼女を救うために玉座を空けてまでここにやってきた。まずは、ユーリの運命を彼女自身の手に取り戻すことが何よりも先決だ。

「いいだろう。こき使うからそのつもりでな。船長は俺だ」

「ジェイク⁉︎」

「給料は銀貨百枚。半金前払い。残りは一月後だ」

 そう言って、袋を卓上に放り投げた。

「私は小銭で雇われるつもりはないんだが」

「あんたにとっちゃあ小銭かも知れんが、船乗りにとっては相場だ。俺はあんたに借りを作るつもりはない。この条件が飲めないなら、この話はなしだ」

 金は不要だという相手に押し付けるのもおかしな話だが、そうでもしなければ一方的に——精神的に——負債となりそうで面倒だったのだ。

「わかった。受け取ろう」

 ジェイクの内心を理解したのか、それ以上アレクシスは断ろうとはしなかった。男二人のやりとりに、ユーリは物問いたげにしていたが、それでも口を挟まなかった。彼女なりのジェイクへの信頼の現れだろうか。

「それと、あんた剣は……使えるんだな?」

「まあ、人並みにね」

 アンティリカの内乱は長く続いたという。ある程度自衛できなければ、生き延びることさえ難しかっただろう。

「なら、自分の身は自分で守れるな」

「ユーリの盾になることも厭わないよ——ああ、すまない冗談だ。自分の身はしっかり自分で守るよ。私だって自分の役目くらいわきまえている」


 ユーリの再びの怒気を素早く感知して、アレクシスが両手を上げた。謝罪の言葉を続けたのは賢明だった。そうでなければ、彼女はアレクシスの頬を張りかねなかった。誰よりも彼女自身が運命の重さを知っている。であればこそ、ジェイクの前からでさえ一度は去ろうとしたのだ。

 まして、民という重いものを背負っているはずのアレクシスがそれを彼女のために投げ出すなど、絶対に許せないとわかっていたのだろう。


「船員も見つかったことだし、明日には出発するとしよう。今夜は宿に戻って休み、明日の夜明け前にここに集合だ。いいな?」

「私にも宿は教えてもらえるのかな?」

「銀貨百枚を小銭というようなお大尽の泊まるようなところじゃねえさ」

 きっぱりと断って、船室から追い立てると鍵をかけた。アレクシスは何か言いたげではあったが、いずれにしても明日からはいやでも顔を合わせるのだ。一晩くらいは離れても仕方がないと諦めたようだった。

「それじゃあ、明日、夜明け前に」

「ああ。身ぐるみ剥がれないように気を付けろよ」

「忠告いたみいるね」

 軽く手を振って去って行く背中を見送り、ジェイクもユーリの背を押して歩き出した。


 宿に戻ると、すでに日は暮れかけていた。店の親父があらかじめ用意してくれた夕飯をテーブルの上に並べる間も、ユーリは口を開かなかった。

「大丈夫か?」

 ジェイクが声をかけると、ユーリは弾かれたように顔を上げた。あまりに多くのことが起こりすぎる。自分の運命だけで手いっぱいだろうに、一国の王まで追いかけてきたとなれば、面倒事ここに極まれり、だ。揺れる瞳に浮かぶ迷いはアレクシスのためのものだろうか。彼を目の前にしていたときには抑えていた胸の奥に燻る黒い感情が浮かび上がってくる。

「あいつはあんたに触れたことがあるのか?」

 頬に触れながらそう問いかけると、ユーリは首を傾げた。

「あなたはもう知っているだろう?」

 それはもう。だが、男と女というのは、それだけではない。

「本当に? 一度も、あいつはこんな風にあんたに触れたことはないのか?」

 首筋に唇を這わせると、びくりと震える。頬から指を胸元に滑らせると、その手を掴まれた。

「ジェイク」

「何だ」

「何度でも言う。私はあなたに会うためにここまできたんだ」

「なら、今からあんたを抱いてもかまわないか?」

 端的な言葉に、ただユーリは微笑んだ。

「あなたが約束を守ってくれるのなら」

「……本気か?」

「言っただろう? 冗談で私はこんなところまでやって来ないし、船乗りの誰にでも身を任せるわけじゃない」

 真っ直ぐな彼女の言葉に、どす黒い感情は情けない羞恥と共に引っ込み、かわりに純粋な欲望が顔をもたげる。

「まだ夜が長い時期でよかったな」

 そのまま彼女を抱き上げ、寝台に横たえると微かな震えが伝わってきた。

「せっかくの夕飯が冷めてしまう」

「なら、冷める前に一度終わらせるか」

 にやりと笑いながらそう答えると、さすがにユーリの目が丸くなる。

「一度……?」

「言っただろう、夜はまだ長いんだ」


 それに明日からはこうもいかないだろうからな、とは内心でだけ呟いて、あとは二人とも欲望に身をまかせたのだった。

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